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Qu'est-ce que l'école des Annales? 

 

 現在、朝の四時半。数時間後に控える歴史の試験のため、アナール学派について纏めてみようと思う。

タイトルをフランス語で書いたのは、タイトルが意味する日本語を検索ワードに打ち込んで直前にシケプリを探す不届きなヤツ

(そんなヤツがいるのかは知らないが)の目に留まらないようにするためである。

さて、それではアナール学派について以下に概説しよう。といっても、物凄い分量になってしまったので、明日の試験時間内に

書き切れるかちょっと不安だが、そこは気合でカバーということで。

 

 アナール学派とは、1929年にマルク・ブロックとリュシアン・フェーヴルによって創刊された雑誌、

「社会経済史年報 Annales d’histoire économique et sociale」にちなんだ歴史学の一派である。アナール学派のはじまり、

すなわち「社会経済史年報」(この雑誌は以後、何度もサブタイトルを変えてゆくが、一貫して【社会 sociale】の文字は含まれていた。)

の創刊には、「地理学年報」「社会学年報」「歴史総合評論」という三つの雑誌が大きく影響を与えている。

 

 まず、ポール・ヴィドル=ド=ラ=ブラーシュによって1891年に創刊された「地理学年報」は、歴史学者の視点と地理学者の視点を

融合させたものであり、ブロックに「地理学者が現在の事を知るために過去に目を向けているのと同じように、歴史家は過去を知るため

に現在に目を向けなければならない」という思いを抱かせるに至った。

 次に、エミール・デュルケームによって1898年に創刊された「社会学年報」は、「人間の営みを何よりも集合的事象と捉え、

人間社会を諸要素の関連から生まれる全体構造と捉える」ことを主張するものであり、これは専門化・個別分野への特化が進んでいた

当時の歴史学に対する「様々な学問を横断的に抱える歴史学」という構想をブロックらに与えたのである。

 そして最後に、1900年にアンリ・ベールによって創刊された「歴史総合評論」における、「歴史の視点を軸としつつ諸学の統合に至る」

というコンセプト、さらにはアンリ・ベールによる「人類の発展」双書の作成や、総合研究国際センターの設立などが、ブロックら

アナール学派の創設に極めて大きな影響を与えることとなった。

 

 以上のような背景から、アナール学派は、人間事象をすべて相互連関のうちに捉えようとし、諸専門分野との対話や相互乗り入れを

試みようとする、という性格を持つ。そして、事件史中心ではなく、人間の生活文化すべてを視野に収めた総合的な歴史学を目指そうと

するものとなった。さらに、(西洋と異なる)「他者」を認める、という「エスノセントリズムからの脱却」を掲げ、現在の視点からのみ過去を

解釈しないこと、すなわち「アナクロニズムからの脱却」をも目指すという性格を持つものでもあった。

 また、人々の「感じ、考える、その仕方」を扱う心性史mentalité や、下から上へ、つまり庶民に立脚して王侯貴族にまで至る包括的

な歴史を描こうとする全体史histoire totale という分野を特徴的に含むものであった。ブロックが『歴史のための弁明』で

「歴史学が捉えようとするのは人間たちなのである。そこに到達できないものはせいぜい考証の職人に過ぎないのであろう」

と述べるように、人間をあらゆる角度から全体として捉えようとするアナール学派は、現在から過去に問い、過去から現在に

問い返すという「問いかけの学問」であって、タコツボ化していた従来の歴史学に対して

「新しい歴史学 Nouvelle histoire」であったと言う事が出来よう。

 

 アナール学派は、今に至るまで、大きく四つの世代に分ける事が出来る。

まず第一世代は、伝統的政治学に反発して、地理学・社会学・文化史への関心を強く打ち出したマルク・ブロックや

リュシアン・フェーヴルらの時代である。

 第二世代は、数量的手法の洗練を受けて数量史が勃興した時代である。数量的手法は、価格史・経済史の研究へと応用され、

第二世代を代表するフェルナン・ブローデルを生むことになる。

 続く第三世代は、第二世代の期に洗練された数量的手法や統計分析の手法が出生率などの統計へ応用された時代であり、

人類学的手法への接近を強めるとともに知的細分化が起こった時代でもある。第三世代の代表として、ジャック・ル=ゴフや

アンドレ=ビュルギュエール、アラン・コルバンらが挙げられる。

 そして、『中世歴史人類学試論』のジャン・クロード=シュミットらが活躍する第四世代、すなわち「いま」に至るまで、

アナール学派は歴史学の自己革新の動きをリードし続けていると言えるだろう。

 

 

 これが大問Ⅰで、あと二問あるのに解答用紙が足りなくなりそうです(笑)そもそもこの内容を暗記するのだけでも一苦労ですね。

なお、この文章を作成するにあたって、いつも読ませて頂いている「のぽねこミステリ館」という西洋中性史を研究されている方の

ブログで挙げられた文章や本を大いに参考にさせて頂きました。このブログで、以前スーツの研究に際して読んだミシェル・パストゥロー

の名前を見つけたときはちょっと驚きました。アナール学派と昨年の自分の関心が、思いもしない所で繋がったな、と。

パストゥローのみならず、今年は服飾に加えて色や音、香りなど五感の歴史に興味を広げていたので、そんな矢先に

アラン・コルバンという歴史家(「感性の歴史家」という、まさに今の自分の関心そのものでした。)の名前を知り、

そしてのぽねこさんのブログに導かれてコルバンの著作に何冊か触れる事が出来たのは本当に幸せな出会いでした。

ありがとうございます。

 

(ちなみに、少し前に流行った映画「パフューム、ある人殺しの物語」には原作があって、パトリック・ジュースキントの”Das Parfum”が

それなのだが、さらに、このジュースキントの小説は下敷きにしている本がある。それこそがアラン・コルバンの

「匂いの歴史 Le miasme et la jonquille, l’odorat et l’imaginaire social 18e~19e siecles」であった。

コルバンが描きだした匂いの歴史を、ジュースキントが小説にし、そしてトム・ティックヴァー監督が映像化した、というわけだ。

映画のオチには首を捻らされたものの、映像の描写が不気味なまでにリアルだった理由が分かった気がする。)