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オフィシャルサイトを開設致しました。

沢山のお祝いを頂きありがとうございます。ついに28歳になってしまいました。

27日が誕生日の身としては、28歳というのは特別な年齢で、日付を年齢が越えるこの時までに「何か」になっていることができれば、そしてそれまで生きている事が出来れば、と小さい頃から願い続けていました。それが果たせているのかどうかは分かりません。むしろ不義理や未熟さが際立ち、ご迷惑をかけるばかりの毎日のようにも思えますが、しかしなによりも、今日まで支えて下さった方々に心から御礼申し上げます。これからも自分の出来る限り精一杯、毎日を過ごして行きたいと思いますし、凡庸な自分に出来るのはそれしかないのだと最近つくづく思っています。

最後になりますが、駆け出しの身には不似合いながら、28歳を機に棒振りとしてのオフィシャルサイトを開設致しました。現在のこのブログ(http://kenbunden.net/wpmu/kbd_kimoto/)は7年間継続しているもので思い入れもあり、また実は結構なアクセス数を毎日頂いておりましたので、閉鎖せずこのままにしておきますが、音楽に関することやコンサート情報などの更新はオフィシャルサイト(http://y-kimoto.com/)にてご報告させて頂く所存です。

作成にご協力下さった方々、温かいメッセージを下さった皆様、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。

Nuit Blanche – Yusuke Kimoto Official Web site-   

春の夕方

 

このぐらいの季節の夕方がとても好き。

それは、明らかに春でありながら、夏のようであり、不思議なことに、秋の気配も一瞬感じさせるものだから。

春の夕方はどこでもない世界へ人を誘う。たとえば、記憶に。

 

27歳で見つけたもの。

 

 

自分から文章を奪って行くような人や環境には身を置きたくない。金銭的なことではなく、それこそを僕は「貧しさ」と呼ぶだろう。

その理由が分からなくともなぜか文章を綴らざるを得ないような、誰に見せるわけではなくても書かずにはいられないような、そういう人に、場所に、職に、関わっていたい。

コクトーのあの文章が今もまだ響いている。ひとことで言えば「魔術」的なものに。自分の行動原理があるとすれば、その一点に尽きる。

 

 

探求の時期

 

Certaines recherches, dont l’exigence est illimitée, isolent celui qui s’y plonge. Cet isolement peut être imperceptible : mais un homme qui s’approfondit a beau voir des hommes, causer, disputer avec eux, il réserve ce qu’il croit de son essence et ne livre que ce qu’il sent inutile à son grand dessin. Une part de son esprit peut bien s’employer à répondre aux autres, et même à briller devant eux ; mais, loin de s’y confondre par cet oubli de soi qu’engendre le commerce excitant des similitudes d’impressions et des contrastes d’idées, celui-ci se sépare par cet échange même qui lui fait ressentir plus nettement son écart et l’engage à se retirer en soi, avec soi, plus vivement à chaque contact. Ainsi se forme-t-il, par réaction, une solitude seconde, qui lui est comme nécessaire pour se rendre secrètement, studieusement, jalousement incomparable. Davantage, il pousse ce retranchement et cette reprise si avant, qu’il s’isole soi-même de ce qu’il fut et de ce qu’il fit : il n’est d’ouvrage de ses mains qu’il ne revoie sans brûler de le détruire ou de s’y remettre…

  (Paul Valéry,  «Crépuscule et Final», Gallimard, p.1238-1239)

 

最近は、このことばかり考えている。

 
 

日刊マニラ新聞社さま「ナビマニラ」に掲載頂きました。

 

2015年の2月にマニラ交響楽団&ワールドシップオーケストラ&トンド・チェンバーオーケストラとの演奏について、以下のページに掲載頂いておりました。

ツアー最終日のRizal Parkでの演奏になります。素敵な写真と共にご紹介頂いておりますので、どうぞご覧下さいませ。

また9月にここで指揮させて頂くのが楽しみです。

 

http://navimanila.com/…/japane…/1337-wso-band-in-luneta.html

 

永遠の前奏曲

 

明日に本番を控えて、あるアンコール曲の、自分のはじめての演奏動画を四年ぶりに見た。

なんと素敵な仲間たちと演奏できていたのだろう。棒にどれほど反応してくれていることか。

何よりも自分の未熟さに苦笑しつつ、ひたむきな必死さに何故か泣けてくるのだ。

全身でそこにある時間を味わい、棒を振ることを通して「何か」を生み出そうと格闘している精一杯の自分がいた。

それは拙いが、決して醜くない。いつまでたってもこれが原点であり続ける。

節目が訪れるたびに僕はこの曲を取り上げるだろう。そして、そのときにはいつも、演奏前夜にこの最初の動画を見直すことだろう。

 

明日は明日にしかない演奏になることを確信する。

あれから四年経ったいま、こうして棒を振ることが出来ることに、この曲を再び演奏することが出来ることに心の底から感謝しながら。

別れと出発を告げる響きよ、明日の一瞬に宿れ。

 

ひとつひとつ

 

宝塚でのリハーサルを終えて、とある関西のふたつの大学のオーケストラの指揮者候補として、自分の名前が出ていたということを聞いた。

そうして名前を挙げて頂いたことが本当に嬉しかった。これからも見返りを求めず、ひとつひとつ丁寧に全力でやっていくのみ。

近況

 

2月14日から3月11日まで、マニラとカンボジアを回って、Worldship Orchestraとマニラ交響楽団、およびカンボジアのアンコール・ユースオーケストラとの合同演奏会を指揮していました。

全部で10公演。マニラでは、昨年に共演したマニラ交響楽団の奏者の方々から「待っていたよ!!」と迎えて頂たり、パイレーツ・オブ・カリビアンでリザールパークが揺れるような演奏をしたり、

マニラ空港にタクシーから飛び降りてダッシュすることになったり、色々なことがありました。もちろんカンボジアでも色々あって、皇太子さまはじめ御皇族の方々の前で演奏させて頂いたり

アンコールワットの近くで即興演奏をしようとしたら捕まりかけたり(演奏に際してはカンボジア政府公認を頂いていたので事なきを得ました。むしろ最後には歓迎して頂きました)

ひとつのエントリーで書ききることは出来なさそうですが、海外を回って指揮するうちに強く強く思ったのは、僕はやっぱり音楽をしていたい、指揮者として生きて行きたいということでした。

日本に帰って来てからもその気持ちは変わっていません。長く続いた学生生活も3月で終わりにします。 それで生きて行けるかは分からないけれども、生きて行けるように自分を磨くしかない。

 

帰国してからも3月20日に東京で、22日に宝塚でコンサートが控えている関係で、休みなく毎日東京と宝塚を移動してリハーサルをし続けています。

落ち着いたころにまた、ゆっくりと時間を取って文章を綴りたいと思っています。ひとまず無事帰国のお知らせまで。

ヘッセの庭

 

ヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉しみ』に出会って衝撃を受ける。

庭のことを考えて、庭を必要としていることに気付く。

しかし今は「満開の花」という一篇を引用するに留めよう。

 

桃の木が満開だ
どの花も実になるわけではない
青空と流れる雲の下で
花たちはやわらかにバラ色の泡と輝く

桃の花のように想念がわいてくる
日ごとに幾百となく
咲くにまかせよ 開くにまかせよ
実りを問うな!

遊びも 童心も 過剰な花も
みんななくてはならぬものだ
さもないとこの世は小さすぎ
人生になんの楽しみもないだろう

 

 

 

祈りの宛先

 

端的に言って、年が明けてからずっと、「祈り」ということを考え続けている。

久しぶりに高熱を出した前夜も、うなされながらずっとそのことを考えた。

翌日ふらつく頭で「展覧会の絵」とバーバーのアダージョを振りにいったときも、頭の中ではずっとこの問題が流れていた。

何か特定の宗教に関することではなく、行為としての「祈り」。彼岸の領域を超えるもの、生と死を繋ぐもの。

演奏するときに、指揮するときに特別な時間が訪れるのは、内面からこの「祈り」と言うほかない感情が溢れてくるときだと気付くのだ。

 

だとすれば祈りとは何か。祈りの宛先はどこか。いまだ言葉にはならないけれども、考えは徐々に形を取り始めている。

「指揮者としての私は、ただ音楽に奉仕する存在なのです」というカルロ・マリア・ジュリーニの言葉と、小林康夫の一文が重なり合う。

「祈りが目指している出来事に対して、祈る者は非力であるのでなければならない。

激しくそれを願うが、しかし願い祈る以外のいかなる世界内的可能性も絶たれている者にとってのみ、はじめて祈りは可能になる。」

物を書くとき、話すとき。それから指揮するとき。おそらくは何かしらの出来事を呼び込むという点において、「祈り」という身振りは全てに共通する。

だからこそ、この身振りに対して、僕は自分の人生を賭けようと思う。

 

新幹線の車窓から「天使の梯子」がふと見える。その中を舞い上がる飛行機の姿に感動する。

気付かないだけで、身の回りには奇跡的な出来事がたくさん宿っている。

今年一年は「祈り」という問題を考え続けながら、日常の奇跡に敏感でありたいと思う。

 
 

さあ、今から奈良でリハーサル。新しく沢山の人たちに会うだろう。

音楽に関わることが出来るということもまた、僕にとっては一つの奇跡なのだ。