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内田樹さんに会ってきた


14.「もっと貧乏すればいいのに」

S ちょっと別の話に移らせてもらいますが…ブログで内田先生の大学時代に関しての記事を読んだのですが、個人的にはああいうものに憧れみたいなものを抱いていて。ああいう大学時代の過ごし方というのは今でも必要だと思われますか?

内田 そうだなあ…中進国の大学生だから(笑)、とにかくみんな貧乏だったから。お金が無い中でどうやって工夫して楽しく暮らすかと。「じゃあキャンプでもするか」という感じですよね。他にあまり楽しみがなかったんだよ。今みたいにみんなお金を持っていて楽しいことがいっぱいあればそれは改めて…でも共同生活というのは本当に「お金がない」に尽きる。前提条件として。とにかくみんなで限られた資源を共有するしかない。どうやって愉快に共有するかというように考える。もしいま僕がもっと若くて、豊かな国に生まれていたら、「別に一人でいいよ、一人が好きなんだよ、来んな来んな」と言ったかもしれないしね。それはわかりませんよ。社会の前提条件が違うから。でも楽しかったけどね、キャンプ生活は。結構もちろんつらいわけですよ、その、5人で共同生活するというのは。「俺のラーメン誰が食ったんだよ!」が年がら年中だから。

S お金があるとそういうのはできませんかね?

内田 そうだね。共同生活するエクスキューズが無いからね。

L 今の若者もみんなお金無いと思いますが、昔は次元が違うくらいお金が無かったんですか?

内田 そうだねえ、文化的にあまり子供のころから「お金が無い」ことに訓練されていないんじゃないかな。「金が無いなりに楽しもう」ではなくて、どうやって金を稼ぐかという方向に頭が働いている。僕らの頃は「どこに行っても金が無い」という感じだから。今だったら学生で起業したりするけど、僕らの頃はやってもやっても金は無いし、所詮知れてるわけで、そのわずかな金をみんなでどうやってやりくりして面白おかしく暮らそうかという風に考えざるを得なかった。

X 今の話に続けてなんですけど、今の大学生を教える側の立場からご覧になって、昔と変わって、こういうことすればいいのになあと思うことは有りますか?

内田 もっと貧乏すればいいのになあと。(笑) 資源の乏しい環境に置かれた時に人間は持っている本来の資質が開花するというか。たとえばトマトでもさ、お水あげないでカラカラなとこに置いとくとワーッと実がなるのと同じで。みんな生来のすごく豊かな資源を持っているけど、環境が緩いと発現しない。環境が厳しくなると生き延びるために必要な様々な力が出てくるわけで。だから基本的に環境の関数なので人間主体の側が努力してどうこうというのはなかなかできない。頑張って欲しいなあとは思うけどさ。でも進んで貧乏になるっていうのは…(笑) だけど僕は「貧乏は怖くない、恐れるな」と言っているけどね。貧乏になったらなったなりにいいことがあるよというか。必ずそれを埋め合わせるための能力が出てくるからね。こっちの方がおもしろい。おもしろいと言ったら変だけども。結局お金とか社会的地位というのは外付けでしょう。無くなっちゃう。自分の中に発現してきた人間的な資源、能力…危機管理センサーとか何でも食えるとかどこでも寝られるとかすぐ友達ができるとか、そういう能力は無くならないからね。

X やはり内田先生は身体的な方だと…

内田 持ち歩けるものは頭の中につめこんだ知識と身体資源だけだからね。後のものは全部なくなるからさ。基本的には諸行無常で祇園精舎の鐘の声だからね。ユダヤ人と同じで、自分に投資するなら絶対無くならないもの…頭の中に入っているものと体の中に身につけた技術。これは絶対無くならないから。「どこに行ってもそれで食える」ものを作るのが必要で。今の豊かな世界で若い人たちが一番遠ざけられているのは「ここで無一物になったときどう食っていくか?」という問いだよね。そういう問いを発したことが無い。「全部なくなっちゃいました。裸一貫です。どうやって食っていきますか?」と言われたとき、「あ、俺はここにきちっと知識入ってるし、体にはしっかり色々な技術があって、どこに行っても食えるから」というのが無い。そういうことのために時間使ったりしないでしょう? ほとんどの人が投資しているクラスの勉強とかは、今の社会システムの中でしか価値を持たないような種類の知識や情報だよね。このシステムが瓦解した時にも使えるものに若い時は投資しないと。

V では、このシステムはもう長くないということですか?

内田 いや、結構良くできたシステムだから持つとは思うけど、でもあちこち破綻してくるとは思うし、機能不全であるということがローカルにはあると思う。まあ、大きなカタストロフとか大破局は来ないと思うからそんなに心配しなくてもいいと思うけど、細かいカタストロフなんかは何度もある。そこに巻き込まれる可能性があるからそこで生きのびる基礎的な知力と体力、生きる知恵と力を身につけないとね。言わないものね、生きる知恵と力なんか、学校教育では。それは生きることがあまりにも簡単になっているから。例外的な歴史的状況のなかのことであっていつまでも続くわけではないからね。

G でも、どれが今のシステムが崩壊したときに役に立つ知識かを見極める力が今の人には不足していると僕は思うのですが、先生はどうお思いですか?

内田 うーん、だからカタストロフというのは予見不能、未知で何が起こるか分からないということだから、何が起きるかわからないことがここで起きますからこれをやっておきましょうということはあるわけないのだからね。何が起きるかわからないからとりあえず自分だけは一番やりたいことをやっておきましょう。これが一番正しいですよ。これがしたいんだけど、こっちをやったほうがいいらしいぞということはやる必要ないわけね。これやってもし死んでこれが使えなかったら本当に無駄なわけでしょう。したいことやった分にはとりあえずね、後で使えなくてもああ面白かった、ってなるわけじゃないですか(笑)。

G 自分の体のシグナルに従うということですか?

内田 これやりたいなあという、何というか生きる知恵と力が一番のびのびと最大化するような生き方を考える。それを知っていると、こういう時にこういうことをしているといいらしいぞ、微妙な変化だけど、生きる意欲とアイデアが湧いてくるぞ、っていうのがあるわけね。こういう生活をしていると(自分が)全部閉じていく、どういう時に閉じてどういう時に開くかにはいろんな条件があるんだよね。それこそ食生活とか睡眠時間とか健康管理とか対人関係とか、している仕事とか住んでいる場所とか。あるアパートに暮らしている時は暗くて、引っ越したら開くということがあるからね。そういうことを重ねていくうちに、自分がいい状態で意欲があって、センサーの感度がよく、基本的に上機嫌でいられるのはどういう条件が整っている時なのかということが分かってきて、それをずっと引っ張っていくと危機体制が非常に強くなっていく。早くから分かるから、あっち行きたくないって。

G 私事なんですけど、いま僕はオーケストラに入ってて、どちらかというと学校の勉強より音楽のほうを優先させているんですけど、でもそれは自分でやりたいと思っているので、それはそれで自分の声に従っているということですか?

内田 やりたくて、それに従っている自分の調子が良ければね。オーケストラばっかりやってて、やってる俺は駄目だと言って落ち込むとかいうのではあまり意味がない。その、何をやるかではなくて、何をしたら機嫌が良くなるか。上機嫌というのが本当に大事なんですよ。危機は機嫌が良くないと乗りきれないの。あの、暗い顔したやつが大体すぐ死んじゃうんだよ。陽気な人とか、にこにこしている人が死活的危機を乗り切れるというのが経験則なんだよ。どうやって機嫌を良くしていくか。

G それはやっぱり自分がやりたいことをするわけですか?

内田 やりたいことっていうのかなあ? 変な話だけどやりたいことを我慢して義務を果たすことで結果的に機嫌が良くなるということもあるからね。だからここら辺のさじ加減は難しいのよ。だからバランスでね、例えば勉強6のオーケストラ4、5の5、5.5の4.5、という風にやっていくうちにこれが一番バランスいいということにある日気がつくわけよ。その一番バランスがいいところでやればいいわけ。10、0とか絶対バランスが良くないから。それはね、外形的なアウトラインがなくて自分の感覚で決めるしかないわけよ。これが一番安定しているって。