今の時代、とにかく「コミュニケーション能力」が求められる。
たとえば、就職活動において企業が学生に求める力に、「コミュニケーション能力」が9年連続で選ばれている、という調査がある。友人同士で話している時でも、やれ「お前はコミュ力が高い」だの、やれ「お前はコミュ障」だの、コミュニケーション能力が重視される。
しかし、ふと立ち止まって考えてみよう。「コミュニケーション能力」とはなんだろうか?この問いに対してしっかりと答えられる人は意外に少ないのではないかと思う。「コミュニケーション能力」というのは自分の言いたいことをハッキリと人に伝えることを言うのだろうか?はたまた、周りの空気を読み、それを乱さないようにしていく能力なのだろうか?その答えは人それぞれなのかもしれない。
今回取材をした平田オリザさんは近著『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』(講談社)でコミュニケーション教育について書かれている。もともと、劇作家・演出家である平田さんは、コミュニケーション能力を育むために演劇による教育が役に立つということを提唱・実践されている。今回の取材では、演劇によるコミュニケーション教育とはどういうものか、今日本に求められている人材とはどういうものか、演劇や芸術が果たす役割とは何かなどの多岐にわたる話題について訊いてみた。
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【プロフィール】
劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場支配人。
1962年東京生まれ。1995年に『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。現代口語演劇という一つのパラダイムを打ち立て、日本演劇界に大きな影響を与えた。その影響力は演劇界にだけにとどまらず、2006年度からは国立大阪大学コミュニケーションデザイン・センターに移り、演劇と社会の接点を探っている。著書に、『演劇入門』(1998年、講談社)、『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』(2012年、講談社)。
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演劇教育とは何か
まず最初に、平田さんが携わっていらっしゃる「演劇によるコミュニケーション教育」についてお伺いしたいのですが、具体的にはどのようなものなのでしょう?演劇教育というのはカナダとかオーストラリアといった多民族国家で一番盛んですね。僕は、2006年にカナダのビクトリア大学というところで4ヶ月ぐらい客員教授を務めていました。カナダの場合には「ドラマ・ティーチャ―」というのがあるんです。
「ドラマ・ティーチャー」とはなんですか?
ドラマ・ティーチャーというのは、演劇教員のことです。カナダで役者を目指す人は、国立大学の演劇学部を出るんです。その後、小劇場みたいなところで頑張るんだけど、二十代も後半になると自分が役者としてやっていけそうかどうかわかるじゃん。そのときにカナダの場合には、もう一回大学院に戻ってそのドラマ・ティーチャーという演劇教育の資格を取るという選択肢があるんです。もちろん、演劇を現役でやっていた人たちだからものすごく演技がうまいのね。
その人達は具体的にはどんなことをするのですか?
演劇教員として実際に授業で演劇を教える一方で、それとは別に、他の授業の先生と連動して授業を盛り上げたりする役割もするわけ。
たとえば普通の教員がずっと教壇の上に立っているのに対して、ドラマ・ティーチャーはときに生徒と机を並べてディスカッションに参加して、そこでわざと変な発言をして場を盛り上げる、といったこともする。俳優だからどんな役回りも全部出来るわけさ。
僕が見学させてもらった授業はフランス語の授業だったんだけど、カナダは二言語国家だから、ハイスクールの授業でもフランス語のコマ数はすごく多い。だけど、フランス語を全く使わない西海岸の生徒にとっては全くモチベーションがないので、どうやってモチベーションを持たせるかという問題があるわけです。
そこで、17世紀のフランスの村の風景をみんなで演じてみる。このときには先生は村長さん役をやる。たとえば、「うちの親戚が毛皮で一発当てましたよ」みたいな。次のシーンでは、帽子をかぶって船長さん役になっていて、別れのシーンを演じる。今度はカナダでの開拓村のシーンに移って、生徒と一緒にどんな村が出来たか絵を描いてみたりとか、当時謳われていた歌を歌ってみたりとかいろいろする。そうこうするうちにまた今度はイギリス軍の悪い将校の役になって、村人に改宗を迫ったりとかする。そういうのを全部やっていくわけ。実際に、その授業を受けているクラスと受けていないクラスでは、一年後のフランス語の成績が1.5倍違ったという報告が学会でもされた。
自分の表現を受け入れてくれるように社会を変えていく
平田さんがそのような演劇教育を導入していくように努力なさっていることのモチベーションはどこにあるのですか?すごくエゴイスティックな言い方になってしまうんですけど、教育に関わるようになったのは、表現者として私が社会に表現をあわせるのではなく、私の表現が受け入れられるような社会にしていこうと思ったからです。芸術家の単純な欲望としてね。
今の現代口語演劇(*1)という方法論みたいなものが確立したのが、1990年前後から1995年頃なんです。当時はバブルとその後の余韻で、世の中が今とは比べ物にならないくらい浮わついていました。だから、当然僕みたいな地味な仕事が受け入れられるにはとても時間がかかる、たぶん社会の側が変わらないと私の表現は受け入れられないんじゃないかと当時から思っていましたね。
他に、演劇教育を社会に導入することの原動力としてどんなことがありますか?
たまたまこの時代にコミュニケーションが大事だと言われています。演劇2500年の蓄積の中からある部分を抽出すると、それが今の時代に求められているコミュニケーションというものに役立つから演劇教育を社会に導入しようとしているということだと思います。つまり、教育のために演劇をやっているわけではなくて、演劇の方が活動領域が大きくて、それがたまたま教育に役立っている。私とて人間ですから人の役立つこと自体は気持ちいいことだからやっています。
またすごくエゴイスティックに聞こえるかもしれないですけど、僕は文化活動やひとりの芸術家の妄想の方が、政治や経済や教育とかっていう個別の行政単位よりもカバーする範囲が広いと思っているんです。妄想の内のある部分が、教育に役立ったり、政治に役立ったり、経済に役立ったりするんだと思うんですね。
厄介なのは、「それが役に立つのはいつかわからない」ということなんです。たとえば、今僕は大阪大学で石黒浩先生(*2)というロボットの研究者とロボット演劇 を作っています。これは文楽をやっている方に来てもらって、手の動きとかをロボットに応用したりしているんです。つまり、文楽が持っている500, 600年の歴史と蓄積がロボット研究に役立っている。たった10年前は、そんなことは誰も考えてなかったんです。だけどそのロボット演劇(*3)が今では世界中を席巻して、いろんなところで上演されている。だから、文化や芸術とかっていつ何に役立つかわからないんですね。
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- 平田さんが提唱している演劇理論。具体的に目立つ外見的な特徴としては、「役者が後ろを向いて喋る」「役者が複数人同時並行で喋る」ということが挙げられる。『平田オリザの仕事〈1〉 現代口語演劇のために』(1995年、晩聲社)、『演劇入門』(1998年、講談社)にくわしい。
- 日本のロボット工学者。大阪大学教授。人に近いロボットを作ることで「人とは何か」という本質を問うている。自分そっくりのロボットをつくるなど、世界を驚かすような研究を生み出している。
- 平田さんによるロボットが出演する演劇のプロジェクト。ロボットを演出することにより、さもロボットが演じているかのように見せることで、「演じるとはなにか」という本質にせまる。