はじめに
観るものの人生観や価値観を大きく変えてしまうような、圧倒的エネルギーを持った映画は数少ないが確かに存在する。映画好きにとって、そのような映画との出会いは映画を愛する最大の理由のひとつであるし、また代え難い幸福でもある。濱口竜介監督による255分の映画、『親密さ』は間違いなくそうした映画の一つであろう。脚本の圧倒的な完成度、「言葉」への信頼感、そして丸子橋を歩く男女二人の静謐な語りと共に夜が明けていく、美しい長回しのシーンは非常に衝撃的であり、専門家、素人を問わない数多くの映画評論家からの圧倒的な支持を得た。男女の恋愛の複雑さ、ひいては人間の複雑さを見事に描いた『PASSION』、とある街に迫る不穏な気配を生々しく映像に表した最新作『不気味なものの肌に触れる』など、35歳の若さにして多くの傑作を生み出した濱口監督であるが、東京大学を出てから東京藝術大学の大学院に進むなど経歴も独特である。今回の取材ではそんな濱口監督の素顔に迫った。【関連記事】
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【プロフィール】
濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)
1978年、神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』がサン・セバスチャン国際映画祭や東京フィルメックスに出品され高い評価を得る。その後も日韓共同製作『THE DEPTHS』(2010)がフィルメックスに出品、東日本大震災の被災者へのインタビューから成る『なみのおと』『なみのこえ』、東北地方の民話の記録『うたうひと』(2011,2013/共同監督:酒井耕)、4時間を越える長編『親密さ』(2012)、染谷将太を主演に迎えた『不気味なものの肌に触れる』を監督するなど、地域やジャンルをまたいだ精力的な制作活動を続けている。現在は活動拠点を神戸に移して活動中。
「言葉がたくさんあるってことが、僕にとっても役者さんにとっても拠り所となるという状況がずっとある」
–まずどのような経緯で映画を撮るようになったかをお聞かせ願いたいです。
直接のきっかけは東大の映研に入ったことでした。なんで映研に入ったかというと、高校まで自分では映画好きなんじゃないかと思っていたというか、人より映画を観ているんじゃないかという思いがあったからです。昔は、今と違って新聞の広告欄を見たり「ぴあ」を買ったりして、そこに載っている映画館を自分で調べてという風に、結構観たい映画を観に行くモチベーションが必要な感じだったんですよ。そこまでして映画を観に行くってのは結構映画好きなんじゃないかと自分では思っていて。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかを小学生のときに観て、映画って面白いものなんだって思いました。とはいっても観ていたのはハリウッド映画とか当時だとウォン・カーウァイ(1)とか岩井俊二(2)とか、今思えばシネマライズ(3)とかでやっていそうなものです。それで漠然とモノを作りたいと思ったんですけれど、小説も書けないし音楽も作れないので映画だな、と。映画の脚本って簡単なんですよ。台詞と行動を書けばよくて、文体なんてものはまあもちろんあるけど、必要ではないし。その脚本を「カメラでなんとなく撮ったらなんとなく行けた」みたいな。ひどいものではあるんですよ。ただ、ある物語を自分でも語り得た、と。そんなブレイクスルーがあって映画をやるようになりました。ただ、東大の映研というのは当時、すごくハードコアな雰囲気で、言葉には出されないんだけど「それも観てないの?」感のすごくあるサークルでした。でも、そういう先輩たちはそんなに嫌いじゃなかったし、自分もどっちかと言えば、憧れたんです。今まで自分の暮らしていた文化圏では出会ったことのない人たちだった。それで、その人たちが観るような映画を観て、本数も劇的に増えて、そうしたらどんどん映画のことを語りたくなるわけですね。まるで映画に絡めとられるような感じでした。
–職業にしようと明確に決めたのはいつでしたか?大学進学後は芸大の院にご進学なさったそうですが。
大学四年で卒論を書いたんですけれど、就職活動するのが出遅れまして、結局、一年留年しました。五年生のときに就活しないとな、と思ったけど、映像系の就職先はなかなか決まらなかったし、受かっても少し「これ、自分やりたいかな」という感じだった。どうやって映画の製作現場に出て行けばいいのかが全然わからなかったんです。インディーズで何か賞を取ったというわけでもないし、才能が認められたわけでもないし。階段が全然見えなかった時に「僕の教え子で映画監督になった人がいるから」と美学芸術学(4)の藤田先生(5)が紹介状を書いてくれて、映画監督の下で助監督をすることになったんです。その時に、本当にまったく仕事ができなくて。仕事ができないのは当然なんですけれど、まずかわいげがなかったですね。今思えば色々当然だなと思うんですけれど、助監督の先輩方にはいじめられましたね。その方がこれを読まれた時が心配ですけど(笑)、感謝こそすれ、一切恨んではいない、というのは付け加えたいところです。不遜なところがすごいありましたから。本当に。で、その方の監督した映画と二時間ドラマで助監督をやりました。その後、その監督に呼ばれて「濱口、今のお前のままではいけない」という話になって、「テレビの経済番組をやってる会社があるから修行をしてこい」と体よく追い出されました。それから経済に関する番組でADを一年ぐらいやったんですけど、これが案外楽しくて、ベンチャー企業の社長の話を聞いたりしていました。小さい会社だったのでディレクターとかやれるようになりました。でも「このまま進むとやばいな。自分の進みたい方向から離れてしまう」という思いもあったので、ENBUゼミナール(6)に夜間通ったり、ちょぼちょぼと自主制作を作ったりして、そうしたら芸大が2005年に映像研究科というものを作って、「国立の映画学校が初めてできる」というニュースが衝撃的で、「これが最後の蜘蛛の糸だろうな」と思いました。そして映像研究科を受けて、結構黒沢清さんの面接なんかでも勝手に手応えを感じて「受かったんじゃないか」と思ったんですけれど落ちていました。その後一年は塾講師みたいなことをしていて、翌年芸大に入りました。
―社会人になってから院に入ったということで、その社会人の間の経験ってやっぱり大きかったですか。
これは非常に大きかったです。人生の中では比較的辛い2、3年でしたけれども、本当にいじめられて当然と言うか。それは僕個人の感じ方でいじめられて当然の人はいない、と思いますけど。どうにも使いようがなかったんじゃないですかね。仕事はできないのに、映画だけは見ていて、プライドだけは高い、という人間なんて。現場が終わった後、本当に反省しまして今も申し訳ない気持ちでいます。単に精神論ではなくて、現場での動きなんかも含めて具体的に反省する過程みたいなものがあって、「それが重要だったな」という気がします。藝大にも比較的年長者として入る感じだったんですよ。全部が全部うまく行ったわけではないですけど、比較的人に怒らずにいれたというのは、それが大きいように思います。
–濱口監督は言葉をとても大事にしている印象があります。濱口監督は言葉に対してどのような思いを抱いているのですか?
今もそういう風に作りたいかというとまた別の話ですけど、基本的には言葉というのはすごく大事に思いますね。言葉を過大評価しないように、ということも常々思ってますけど。特に脚本を書くときですね。
書くことによってキャラクターを理解するという過程が僕の中にあるんです。こいつはどういうことを考えているのか、振る舞うのか、と書きながら考えていく。本来は、そこは削ってもいいのかも知れないけど、それを削ると階段を飛ばしたみたいになって、読んでいて理解ができなくなる。だから、なかなか削れないんですね。ただ、削らずに残したその過程が役者さんに転化されて、役者さんは言葉を読んでキャラクターを理解するところがあるんだな、ということは役者さんとのやり取りの中で感じました。言葉がたくさんあるってことが、僕にとっても役者さんにとっても拠り所となるという状況がずっとありました。『THE DEPTHS』という映画ぐらいから役者さんがこの「役」というものに対して尊重の気持ちを抱くということがとても重要なんだな、と思うようになりました。正確に言えばある一人の人間に対してするような、「そういうことを考えているんだな」という気持ちがあった時に、結構よいことが目の前で起こるなという手応えが『PASSION』という映画を撮ったときぐらいからありました。脚本自体が、役を尊重してもらうための演出のツールみたいになるわけですね。それで、その方向をそれ以降も踏襲しているのが現在です。ただ、それが行くところまで行くと、『親密さ』のように四時間とかの映画になってしまいます。それはそれでいいんですけど、これから生きていけるのかしら?とは思います。多分、次のプロセスとして「言葉を削る」という方に気持ちが向かっているのは確かです。
–そういう観点で見たときに、最新作の『不気味なものの肌に触れる』は身体表現にシフトしているという印象があるんですけれど、それは意識なさいましたか?
そうですね。元々、身体コンプレックスみたいなものはすごくあるんです。映画を一瞬で変えてしまう1アクションがそんなにポンポン思いつくわけじゃない。そして、アクションで映画を構成して行く、というのはやっぱりとても現場としても負荷の高いことではあるんですよね。恥ずかしながら、僕はそんなに頑張りたくないんです(笑)。それは映画を些細なアクションを組み立てていくという方法なら、ある程度できますけど、些細なアクションは観客の読み取りを要請したり、巧みな構成の中に置かれないと結構使うのが難しい。それなら大規模なアクション、それ自体で魅了するようなアクションが撮れたら、という話になるんだけど、それをやるには何らかの準備が必要になるっていうことです。人が簡単にはできないことをするわけなので。そうなると、お金もかかるし、今の段階ではこれは無理だな、と。
身体による端的な表現は、映画の力になります。これは確かです。身体の所作一つで何かを理解したりさせたりすることが、映画の魅力として明らかにある。それができると、上映時間も飛躍的に短くなる気はしています。もちろん言葉でも、劇的に凝縮された台詞というのはありますよ。ただ、それをしたときに、観客が映画から何かを受け取ることができないリスクはアクションよりも高いと思います。『不気味なものの肌に触れる』では振り付けをしていただいた砂連尾さん(8)と出会ったことが大きかった。身体を使って話すと言うか。コミュニケーションとしての身体表現というものが画面に現れたわけです。それは僕にとって、すごく入り易いものでした。ただ、結局あんまり短くならなかったですけど(笑)。それでも今はそういう表現が、自分にとって変化の一つの糸口になると感じています。変わりたい時期ではあると思います。
–次にお聞きしたいのは、濱口監督の映画には「恋愛、結婚」と「暴力」という主題があるという印象があり、特に「PASSION」はその象徴的な作品であるように感じます。監督の中にこれらは大きなテーマとしてあるのでしょうか?加えて、失礼な質問にはなりますが、「結局相手を信じても裏切られるぞ」という恋愛観の下で製作なさっているのでしょうか?
そんなに人間不信ではないです(笑)。基本的には、裏切りに見えるものも、視点を変えればそうではないだろうという単純な認識があるんだと思います。一方から見れば裏切りなんですけれど、裏切りとされている方にはそれなりの道理があって、その道理と道理がぶつかっている、というだけ、ではないですかね。結婚というものが出てきやすいのは、結婚には人と人とが一緒に生きていくという性質があるからであって、そこでは上手くいかなさが表面化し易いんでしょう。二十代後半ぐらいになると、周りが結婚し始めて、「こんな簡単に離婚するんだ」、「こんな簡単に浮気するんだ」と思うようなことが結構起こりました。一方で「誰に聞いても言い分はあるもんだな」っていう思いも生まれて。暴力も、誰かが悪くてそうなっているわけではないというか、それぞれがよかれとして思った為したことが巡り巡って暴力になるだけ、という認識です。
(1)ウォン・カーウァイ(王家衛)は、香港の映画監督、脚本家。代表作に「欲望の翼」、「ブエノスアイレス」など。
(2)岩井俊二(いわい・しゅんじ)は、宮城県仙台市出身の映画監督・脚本家。代表作に「リリィ・シュシュのすべて」、「花とアリス」がある。
(3)東京都渋谷区にあるミニシアター。
(4)東京大学文学部美学芸術学科。
(5)藤田一美(ふじた・かずよし)は、日本の美学者。東京大学名誉教授。
(6)映画や演劇、俳優養成の専門学校。
(7)黒沢清(くろさわ・きよし)は日本の映画監督。代表作に『トウキョウソナタ』。
(8)砂連尾理(じゃれお・おさむ)は振付師・ダンサー。2008年より一年間文化庁・新進芸術家海外留学制度の研修生としてベルリンに滞在。