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Interviews

【SF企画】幸村誠先生取材(漫画家)

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その人は、甘いコーヒーを飲みながら、人類の追い求める理想と、SFが果たす役割を語った。
まるで子供のように純真で情熱的で、だけど真理を追い求める姿勢はまるで老師のようでもあった。

【幸村誠】
1999年、宇宙ゴミ=デブリが社会問題と化した近未来を舞台とした漫画『プラネテス』でデビューする。
それまで注目されてこなかったデブリの脅威を題材に、その下に経済を回し、社会生活を営む未来世界の描写は、宇宙開発関係者からも高い評価と支持を得る。
一方で、限りなく現実社会に近い社会で、今を生きる我々と同じように悩み苦しみ、そして前に進んでいく等身大の人々の姿は、SF漫画という枠を超え、幅広い層の共感を得た。

そして今、時を1000年遡った、11世紀のヴァイキングたちを描いた『ヴィンランド・サガ』を連載中でもある。

その作品の中では、一貫して「人は何故、前に進もうとするのか」「人の愛とは何なのか」を追求してきた。

彼の生み出す作品は、どのようなところから生まれ育ってきたのか。
僕たちは、彼に聞いてみることにした。

2月26日の昼下がり、丁度僕らの後輩たちが試験を受けている真っ只中である。

その話をすると彼は、「僕も今日、東大受験行けば受かってたんですけどね!取材があったし、まあイッか!って!」と
何と僕らの取材を優先させてくれたと言うではないか。
これは是非とも、イイ取材にしなければならない。

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PHASE 01 幸村誠はいかにして「点火」したのか
PHASE 02 『プラネテス』と宇宙開発の最前線の邂逅
PHASE 03 SF漫画の持つチカラ
PHASE 04 幸村誠の世界観
PHASE 05 幸村ワールドはどこへ向かうのか

PHASE 01 幸村誠はいかにして「点火」したのか

――『プラネテス』を描かれたのが99年からですが、元々SFに興味を持たれたきっかけというのは何だったのでしょうか?

最初は、中学生くらいの頃、星野之宣先生の『2001夜物語』(*1)なんかの、SF風味の漫画から入ったと思います。

忘れられないのが、木城ゆきと先生の『銃夢(ガンム)』(*2)。
あんな作品は読んだことなくて、衝撃的でしたね。

星野之宣先生の作品は、アイザック・アシモフ(*3)とかアーサー・C・クラーク(*4)とかの古典SFを踏まえた作品で、こう言っちゃなんですがお行儀が良い。
木城ゆきと先生は、『ブレードランナー』(*5)からのサイバーパンクの流れも含みつつも、木城ゆきとSFを作り上げた。

あんな暴力的で、アクションに充ちていて、それでいて人間の何かを追及する作品は、なかったですね。
当時の木城ゆきと先生はまだ無名と言ってよくて、そんな方があんな漫画を描いているのを観た時は「ああ、こんな漫画描いてみたいかな」ってちょっと、そわそわしましたものです。

――ではやはり、星野先生や木城先生から影響を受けて、中学生の頃からSFが好きで、漫画家も目指していたのでしょうか?

漫画は好きでしたけど、中学の頃は漫画家になると思っていなかったです。
じゃあ何になるというと、これが皆目見当もつかなかったです。
中学生で、みんなが異性の話とかする頃に、メンコやテレビゲームに熱中して、うまい棒なんか咥えているような子供でしたから。
それが、中学2年生の終わりの頃進路の話を言われる段階になって、僕は永遠に子供じゃない、高校も進むし、大人にならないといけないんだと、ショックを受けましたね。
その時、漫画家もちらっと考えましたけど、どこを受験すれば漫画家になれるのか分からなくて、これは現実的じゃないなあ、と諦めました。

それで何となぁく受験して附属高校に入りましたが、その何となくがいけなかったんでしょうね、高校が全然楽しくない。
これは駄目だなあ、そのまま多分普通にしてたら大学に行って就職して……ぜんぶ何となくだなぁ僕、と思いました

このままじゃいかんと。だから、漫画家になろうと思ったのは、高校1年生の時です。

そうやって進路を考えなきゃって時に、立花隆さんの『青春漂流』(立花隆,講談社,1988)という本に出会いました。
その本は、立花さんが若くして活躍している人たちと対談した対談録です。
それを、口にうまい棒をいっぱいに詰め込んだ、イマイチやる気スイッチの入らない子供が
「こんな本があったなんて!?」と衝撃を受けて、スイッチの場所は分かった。
それ位には元気を与えられた。

――その時は、SFマンガを描きたい、とかあったんですか?

そうですね、やっぱりSFでしたね。小説なども読んでましたから。

特に、未来を描きつつも、実際にこういう未来が訪れるだろうってなるべく考証に徹した、ハードSFと言われる作品を描こうとしてました。
大変強く影響されて、今も何で映画化しないのだろうってずっと思っているのが、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』(*6)。
初めて読んだ時は中高生で、はるかに子供だったんで、ただスゴイなあ、スゴイなあ、と。
大人になってから読み返してみても違う面白さがあって、やっぱり「スゴイなあ」と驚きます。

――そうして、多摩美大に入られました。美大の環境で、こういうSFを目指そう、あるいはこういうSFから脱却しよう、などという想いはありましたか?

僕は大学は2年しか通っていなかった上に、何のサークル活動もせず、絵とバイトをする日々でした。だから、大学の仲間や知り合いは少ない。けど、すぐ上の先輩で、『無限の住人』(*7)を既に描きだしていた沙村広明先生がいました。こんな絵が上手い人見たことなかった。
聞けばまだ20代も前半で、「沙村先生みたいになりたいな」っていうのが、多摩美大の漫画好き、漫画描きの憧れでしたね。
ただ、僕は昔からマイペースで、誰かの後を追ったりとか、そういうことはなかったんです。

――実際に漫画の世界に踏み入れたのは、誰に言われるでもなく、自分で決めたのでしょうか?

両親は、僕が大学を出て、それなりに就職するのを望んでいたんですけど、僕はマイペースなもので……。漫画家になりたいって言ったら反対するだろうなって思って、こっそり講談社にアシスタントで応募して、守村大(*8)先生 のところに行くことになってから、こっそり「僕漫画家になりたいんだけど」って言いました。

――じゃあ、そこからがマンガ業界でのスタートということで。

ですね。20歳の時です。
守村先生の所でアシスタントを始めて1か月の頃僕はようやく現実を思い知らされました。
自分は美大にも行っているからアシスタントなんて簡単だと、調子に乗っていたんですよ。だけど、僕は20歳の小僧で、何も知らないどころか千里の内の一歩も踏み出してなくて、あまりにもプロの世界でこんなに通用しないんだと思い知らされました。

でも守村先生は、そんな僕にお給料をくれたんですよね。ホントに何も仰らないし偉ぶることもないですけど、20歳の小僧の「やる気スイッチ」を入れてくれた。
ただ僕をスタッフとして雇ってくださっただけですけど、教わったことは大きかったですね。

――デビューなさったのが『プラネテス』ですから、3年くらいアシスタントをなさっていたんですか?

22歳の時プラネテスの第1話が仕上がって、連載して頂くことになりました。
恥ずかしい話ですが、実は僕が初めて描いた漫画なんです。
長い付き合いの担当の方が話を持ってきてくれて、カラーページまで回してくれました。それで出来上がったのが、第1話ですね。僕はね、漫画家になりたいとか言ってるくせに、持ち込みも何にもしなかったんですよ。

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*1星野之宣によるSF漫画。『月刊スーパーアクション』(双葉社)で1984年6月号から1986年6月号まで連載される。
*2木城ゆきとによるSF格闘漫画。『ビジネスジャンプ』(集英社)で1990年から1995年にかけて連載された
*3アイザック・アシモフ(1920-1992)アメリカのSF作家。アメリカにおけるSFの「黄金時代」(おもに1940-50年代を指す)を代表する作家。クラーク、ハインラインと合わせてビッグ・スリーと呼ばれる。代表作として『我はロボット』『ファウンデーションシリーズ』など。
*4アーサー・C・クラーク(1917-2008)。イギリス出身のSF作家。アシモフ、ハインラインとともにビッグ・スリーと呼ばれる。代表作に『幼年期の終わり』『2001年宇宙の旅』など。
*51982年のアメリカ映画。リドリー・スコット監督。ハリソン・フォード主演。原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。
*6『幼年期の終わり』(原題Childhood’s End  Ballantine Books 1953)オーバーロードと呼ばれる異星人と人類の接触を描いた作品。クラークの最高傑作とされることが多い。
*7沙村広明による日本の漫画作品。『月刊アフタヌーン』(講談社)にて1993年から2012年まで連載された。1997年に第1回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。また、英語版が2000年にアイズナー賞最優秀国際作品部門を受賞している。2008年夏よりテレビアニメ全13話も放送された。
*8守村大(1958-) 漫画家。代表作として『万歳ハイウェイ』『あいしてる』『考える犬』など。