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内田樹さんに会ってきた


11.中進国の子供として育つ

L 著作の中で、ハンカチ落としだったか、気配を感じる能力を養う遊びをしなくなって、子どもがどんどん身体的なシグナルを感じなくなっていると書かれていたんですが、やはり昔の子どもと今の子どもは全然違うと感じられているんですか?

内田 それはもう全然違うと思うけど。でもそれは社会の違いだよね。関川さん風に言ったら僕たちは中進国の子どもで君たちは先進国の子どもだからさ、全く社会状況が違うじゃない。中進国はもっとワイルドだからね(笑) すごくリスクが高くて、将来の見通しだって本当に暗かったわけだから。何か今の人たちのを読むと、昔は明るかったとか昔は希望があったとかいうけどさ、希望なんかないよ。全くわからないわけだよ、未来のことなんて。それって「ええーっ」と思うけど、僕が子供の頃はとにかく二言目には「日本は戦争に負けたんだから」と。「何か買って」とか「チョコ買って」と言うと「ダメ」と言われて、「なんで?」(と聞けば)「負けたから」(笑)。 ずっとだからね、「負けたから」っていうのが。すべての不如意は「敗戦国だから」という。だから貧乏なんだということをずっと言われ続けて。

だから子供の頃は本当に、例えば「飛行機に乗る」なんてことは自分には絶対ないと思っていたし「外国に行く」なんてことは多分絶対ないだろうと。それで今みたいな暮らしをしていって…六畳一間で暮らしていて七輪でごはん。これがまあもう少し、家がこの三倍くらいになるとかご飯のおかずがもう二品増えるとか、それぐらいの変化はあるだろうと。けれど海外旅行とかアメリカ人の生活―テレビを見ているとか冷蔵庫があって車が二台あって―こんなの火星人の暮らし、みたいな感じでさ。そういう所を目指していこうなんて発想は全くなかった。なれるわけがないと。実は非常に暗かったんだよ、(将来への)展望というのはね。こんな感じの生活がちょろちょろ続いて行くだろうなと。それを「希望に満ちた」と言われてもさあ、違うだろう全然、というか。

X 先生の感覚ではいつごろそういう転機が訪れましたか? 徐々に変わっていったとは思いますが…

内田 60年代だから、東京オリンピックくらいからかな、急速に変わっていったのは。

L でも子供はその時代に即した育ち方をした結果、そういう身体的な―

内田 うん、中進国だったら子供なんか構っていられないっていうのがあったしね。とにかくまあ基本貧乏というか。貧乏だから、貧乏な生活に耐えていけるような子供になりなさいということだよね、一番の基本は。貧しくても大丈夫というか。何でも食えるとかどこでも寝られるとか。遊ぶ能力というのが大切。お金が無くても楽しめるのを考えろと。だから表に出て、お金が無くてもできる遊び―相撲とか、三角ベースをやる。もうちょっと大きくなってくると野球とかね。でも野球はグローブとかバットとかいるわけだからかなりお金がないとできない。あとは本を読む。本はまあ結構その頃でも潤沢にあったので。本を読む趣味を持っているとお金がかからない。あとは絵を描くとか漫画を描くとか。とにかくだいたいあれだよね、虫を捕るとかね、金かからないやつ。とにかく工夫第一で金は無いよという。その中でみんな工夫する。ベーシックな条件は貧乏。貧乏で先の展望が無い、というのが大体50年代、60年代の日本の子供たちの状況。その中でどうやって遊ぼうかなと考えるわけだから、例えばかくれんぼとかハンカチ落としとか缶けりとか身体感覚を敏感にするような遊びは結構おもしろい。どきどきする。

L やっぱり(今の)子供たちにそれが足りないというのは、マイナスですよね。

内田 うーん、先進国だからね。安全な社会だからさ、僕らの頃は実際にもっと危険だったからね。今の環境とは全然違うんだよ、やっぱり。「昔はすごく安全で最近は危険が多い」というのも嘘ではるかに昔の方が危険だった。犯罪発生率も比較にならないし。まず親が子供のことなんか見ていなかったから、食うのに忙しくて。基本的に放置だから。子供は全部放り出されて路上に出てざわざわ遊んでいるわけだから、防空壕に入ったり池にはまったり川で泳いだりとか。今だったら考えられないよね、小学校に入る前の子供が多摩川でワーッと泳いでいるとか。大人なんか誰もいないのに橋から飛び降りたり、今だったらヒステリックにキーッてなって「何やってんのアンタ!」「どうすんの流されたら!」―泳げないんだからさ、「わああああ」ってなる(溺れながら泳ぐ真似)(笑)。でも結構死なないものだよね。(当時の遊び場は)工場跡地ばかりだから、全部空襲されて焼跡のまま十年間放置されていたところで。鉄のくぎとかコンクリートの破片とかガラスの破片とかがジャーッとあるところでワーッと遊んでいるわけだからさ、転んだりとかしたら… あと穴に落ちる奴もいた。走っていたらいきなり地下室にドーンと落ちて上がれないとかね。タイル張りで上がれなくて「上げてください」って泣いて、大人が来て梯子をかけて子供を救いだすとかさ。そういうふうに極めてデンジャラスな原っぱで遊んでいたわけだから、やっぱり危険に対するセンサーというのはある程度持っていないと怪我しちゃう。大人が見ていてくれない場所は危険とか、犯罪も多いし。窃盗とかそういうのの多さは今の比じゃないからね。少年犯罪―「子供たちが危険だ」とか「今は少年犯罪が多い」とか言われるけど今の少年犯罪の発生率なんて1950年代の5%くらい。つまり当時の少年犯罪発生率は今の20倍くらい。警察がまだちゃんと機能していない時期の少年犯罪の数が(今の)20倍ぐらいだから、実際は(警察が気づいてないものも含めると)多分100倍ぐらいだと思う。すぐに物を盗むしさ…盗む、壊す、殴る、蹴る。コントロールする大人がいない状況で育ったわけだから。体罰なんかね、ありまくり。殴ったりけったりとか。高校生が喧嘩してチェーン巻いたり、竹槍で突いたりとか、そういう時代だったからね。要するに昔は危険な時代であったので(笑)、体感の練磨が必要だったと。今は安全なので犯罪も全く発生しないし。車とかは危ないけど知れてるしね。

G でも昔は良かったと主張されている方の多くは年をとった方なので、その当時は子供だった人ですよね?

内田 それは記憶を捏造しているからだよ。

V 先生がそういうことをちゃんと覚えていられるのはどうしてですか?

内田 それは「そんなわけないじゃん」って思っているから(笑)

G 他の方は自分が記憶をねつ造していることに気づいてないということですか?

内田 リアルタイムというのはね、後から来るとわからなくなってしまうんだ、ここ(現在)から見るとね。50年代というのは、2010年から見ると、「このあと高度成長があって、バブルがあって、色々あって、その結果こうなった」というルートをたどって見てしまうから。そのときのリアルタイムはわからない。リアルタイムは「ここからここは全部抜いて、この後何が起こるかは全くわからない」状態にして、はじめてわかるわけで。1958、59年というのは僕にとっては黄金時代なんだけど…すごく楽しかったし、日本も明るかった記憶があるけど、自殺率最高だからね。戦後最高、今より高いんだから。

X そういうのは後からデータを見て「そうだったんだ」と…

内田 結構わからないものなんですよ。実は50年代は見通しが暗かったんだよね。子供だから楽しかったけど、大人たちはどうしていいかわからなかったんだね。