2 作家、米澤穂信(小説の書き方、キャラクタ造形)について
──インタビューなどを拝見しておりますと、先生は「ミステリと小説との融合を目指している」と語られているのをよく見かけるのですが、そのきっかけは何だったんでしょうか?
今は本当に優れたミステリがそうした融合について関わってきていますので、最初の例が何だったのかは分からないのですが、一個挙げるとすればやはり『六の宮の姫君』ではなかったかと思います。あれは芥川龍之介と菊池寛の関係の間に生まれた謎を一つの焦点にしつつ、大学を出て社会に出ていこうとする主人公「私」の側面とも関わってくる。「私」の心理の問題を解決する時に、芥川と菊池の関係が二重結びになって、その交点が生まれるところが、ミステリと小説の融合だと思うんです。ミステリと全く関係なく小説的解決の方が進んでしまったり、小説的な解決が全く行われないままミステリの事件だけ終了してしまったりする。それは「融合」とは言わないですね。
――「日常の謎」について取り上げようとした理由は何だったんでしょうか。
当時、東京創元社を中心にひとつのムーブメントが起きていまして(※15)、私がそれを好きだったというのが率直な理由ではないかと思っております。ただデビュー後しばらくの間は、日常の謎にこだわらず色々なミステリを書いているつもりでした。
──「日常の謎」の定義とは何でしょうか?
面白い質問ですね。実際、日常の謎と呼ばれるミステリの中でも、一切犯罪が関わってこないようなものは5~6割で、残りは日常の謎を発端にしつつも、犯罪が関わってくるようなものになります。そしてこれは刑法を基準に考えるよりも、謎に対するアプローチや姿勢などで考えたほうがいいんじゃないかと思います。だから日常の謎の具体的な定義とか条件を決め付けるよりは、作者の謎に対するアプローチを取り上げて、それを大まかに分類していくしかないんじゃないかと思います。
例えば山田風太郎『青春探偵団』(※16)という短編集は、発端や結末から判断すると、現在の日常の謎と分類されてもおかしくはないし、私も日常の謎だと思いながら読んでいました。が、恐らく山田風太郎自身はそんなこと全く考えていなくて、普通の学生が事件にアプローチする上での態度を書いただけなので、発端や結末から考えて『青春探偵団』を日常の謎だとみなすのは少し乱暴なことなのかもしれません。
これはジャンル分け全般に言えることですが、小説のジャンルというのは読者が本を選ぶ際の基準に過ぎない、と言えると思います。たとえば私の本を読んで、こういうものをもっと読みたいと思った読者が「日常の謎」というキーワードを元に、本屋で次の本を選ぶわけです。たいへん便利な道具ですが、「こうでなければ『日常の謎』ではない」というようなことを言い始めると、小説が道具に縛られるようなことになる、とは思いますね。
──米澤先生は「青春ミステリ」と呼ばれる作品を多く書かれていますが、米澤先生自身は「青春」をどのように捉えていらっしゃるんでしょうか。
僕は「青春」に対してなにか確固とした姿勢を持っているわけではないんです。<古典部>シリーズは大多数の無言の人々とそれによって意見を言わされてしまう少数の人々、という構図を書きたかった。『氷菓』(※17)の学校全体、『愚者のエンドロール』(※18)の2Fの人々、数の違いはありますけれども、それぞれ大多数の意見に押されて自分の言いたいことを封印せざるをなかった人々が出てくる。この構図が書きたかったのであって、青春そのものを書きたかったわけではありません。
だから私は青春小説家として青春に対してなにか確固としたものを持っているわけではないんです。書きたいテーマがあって、そのテーマをミステリとして描くときに、青春というものが現れてきた、そっちのほうが正しいかと思います。
──青春時代というと、「自意識」といいますか、そういうのは高校生くらいですと恋愛に向く傾向が多いと思うんですが、米澤先生はそこを「探偵」にずらして書いているのかな、と個人的には思われるのですが。
それは人それぞれじゃないですかね(笑)
──「恋愛」というものを意識して書くということはありますか。
小説というテーマと、ミステリとしてのプロット、両方を果たすというのが主目的で、その上でごく自然な流れであれば恋愛というものが生まれてくることもあるかもしれません。が、今のところプロット上からもストーリー上からも登場人物の性格上からも「恋をしなければいけない」という必然性が出てこないといったところです。
──割と<古典部>でも<小市民>でも先には恋愛が見えてきそうな気がしますが。
『秋期限定栗きんとん事件』(※19)は一応恋愛小説なんですけどね(笑)
──『遠まわりする雛』(※20)が恋愛小説だと言われていたことがありましたが、あれは想定外でしたか?
読者が「これはこういう小説だ」と定義することをあまり想定していませんでしたので、「ああ、そうか」と思ったくらいでした。
──さきほど「読者」とおっしゃいましたが、小説を書く上で「書く相手」というか、「小説を送る相手」、すなわち「読者になるべき存在」、そういうものを意識されて書くことはありますか。
書き上がった後は意識していますが、書いている最中は全く意識していないです。
──割りと自分の思うままに書いている、ということでしょうか。
いえ、「自分の書きたいものを書いている」というわけではないんです。小説は「完成されている」というか、「完成されなければいけない」、という気がします。他人の例を借りてくるのは非常に恥ずかしいんですが、仏像を作る職人がよく言う話で「一本の木の中に彫られるべき仏様が埋まっている」というのに近いものがあります。私がその仏を掘りたいわけではなく、それを完成に近づける作業をするのが自分であって、「自分がこうしたい」というよりは、「あるべき完成形に近づけていく」というのが自分の仕事だと思っています。その完成形を読者がどう評するかというのは気になっていますし、書き上げる前は考えることもありますが、書いている最中は「完成させる」ということに意識が向いているという感じですね。
──物語を作るにあたって「プロットの要請」や「物語はいずことも知れない場所で生まれ落ちる感覚」ということを以前おっしゃっていらっしゃいましたが、どういうことなんでしょうか。
うーん、何でしょうね……(熟考)ちょっと神秘的というかロマンチックな考え方かもしれませんが、先ほど言ったように、小説は「作家が書く」というよりは、「完成形に近づけていく」という印象がありますし、プロットだったら、「そこから生まれうる最高の形」というものがあるはずではないかと思います。プロットは非常に面白いのに、作家の力量が乏しくて、生まれうる作品の良さに辿りつけなかったら、それはプロットにも登場人物にも申し訳ないじゃないですか。
……この感覚、わかりますかね?えーと、じゃあ例えを変えましょう。皆さん何かゲームはやりますか?
──シューティングをやります。
ファーストパーソンですか、2Dですか。
──2Dです。
ではですね、中央にレーザーを撃つタイプのキャラクターと、ワイドショットのキャラクターがいるとします。で、ワイドショットのキャラクターだったら、その火力を充分活かすために敵に充分接近しなきゃいけませんよね。ところが、自分の技量が足りなくて、画面下の方でうろちょろしていたら、そのキャラクターの性能を充分に生かせていないじゃないですか。そうなると「そのキャラクターを使う意味がないよね」となってしまう。だったらレーザータイプを使ったほうがいいだろうと。これにやや近いところがあるかもしれません。
──ゲームが要請する完成形というものが見えるから、ということですか?
そうです。そうできるかどうかはともかくとして、それにアプローチしていくべきだ、と思いますね。
──スコアアタックに似ているんですね。
(笑)それほど適切な例かどうかはわからないんですけれども、直接小説を例に申し上げるのが難しかったので。まあ、だいぶ遠い例ですけどもね。
──作家の力量というのは「プロット」ではなく「プロットをどのように自分の完成形に近づけていくか」という「表現力」のようなものになる、ということですか。
それは両方でしょうね。素晴らしい表現力、筆力があっても……ああいや、そうでもないですね。プロット的に何も面白いことがなく、「何も起きていないじゃないか」という話でも、すさまじい筆力で読ませてしまう作家というのもいますからね。だから「作家が生み出す理想形」というのは一つではないということでしょうか。素晴らしいプロット故に浮き出てくる「構成美が素晴らしい作品」というものもあれば、文章が綺麗すぎて「読んでいるだけで幸せ」というものもありますから。それは一概に言えるというものではない、というのが正確なところかもしれません。
──米澤先生ご自身としては、プロットから生まれる構成美を重視したいと考えていらっしゃるということでしょうか。
そうですね。ミステリというのは構成美を大事にするところがありますし、自分もそれが好きです。ただやっぱり「この文章はすごいよね、それだけでもう幸せだよね」っていうのも、読む方としては大好きですので、それを否定することはないです。
──先ほど「青春を書こうと思ったのは最初から目指したものではない」とおっしゃいましたけれども、私みたいな若い人間からすると、書かれた年代の心理描写が非常に共感できると思うんですが。
ありがとうございます。
──そこはやはり自分自身が過去に感じられたことなのか、それとも米澤先生がシミュレーションして思いついたのか、どちらなんでしょうか。
基本的には登場人物の人格を作り上げていくと、彼らという人間を自分の中で「彼らはこういう人なんだなあ」と思い浮かんだ時点で、彼らが思う方向性も決まってくるということがあると思います。なので「シミュレーション」といえばその方が主かなあと思います。が、その一方で自分が、当時若い年代の頃に思っていたこと、感じていたこと、その残滓として今も持っているというものが多少出てきてもいるでしょう。それが小説を書くということの妙だとは思います。
──登場人物の造形に関してはモデルになった人物はいないと仰っていましたが、米澤先生は一から人物を創造していく形なんでしょうか。
はい、そうです。
──心理テストを30回ほど繰り返すとも伺いました。
これは古い心理テストなので今でも心理学的に使われているかは分からないんですけれども、「あなたはどういう人間ですか?」という質問をするんです。そうすると「私は米澤穂信です」とか「私は男性です」とか「私の身長は~~です」「好きなものは~~です」といった回答がポンポンと出てくるんです。それを繰り返すと、15~20回目あたりから「あなたはどういう人間ですか?」と訊かれても、あっさり言えるものはこれ以上ないという段階になってくるんです。そうなってくると、段々「他の人と違う、私はこういう人間だから」と言えることをじっくりと考えなきゃいけなくなってくる、それを登場人物の立場になって、さらに30回近くやるということです。
──<小市民>シリーズが書籍になる際に、イラストについて先生自ら片山若子(※21)さんを指定したと伺いました。先生がキャラクターを生み出すうえで、キャラクタービジュアルは意識してるのでしょうか。
自分で書くとき、登場人物はほぼ「シルエット」状態なんです。頭の中で「こういう人なんだ」っていうビジュアルイメージを強固に作り上げていくことはないです。
──プロットや物語を作り上げていく上でも、他の表現形態における姿、実際に動いたりしている様子など、映像的な発想はされないんでしょうか。
映像的発想はほとんどしないですね。ただミステリのトリックやロジックを考える上で、「これはイケる!」と思った時に、ビジュアル的に自分でやってみるということはあります。いいアイディアだと思ったのに実践したら「出来ないじゃん! 実際にやったらバレバレじゃん!」、ということで没にしたことはあります。
──「美味しいココアの作り方」(※22)なども実際に試されたんですか。
やってますよ(笑)
──出来ましたか?
出来ますよ(爆笑)というかアレは自分でやりながら「我ながらいい加減なことしてんなぁ」と思って、それをそのままトリックにしているんです。他人が見たらどうやって作ってるかもうわかんねぇだろうなって思いましたね(爆笑)
実はコミック版(※23)でちょっと連絡ミスがありまして、漫画家さんが1リットルサイズの牛乳パックを描かれたんです。でもそれじゃ入らないんです(笑)入れるためにはふたを閉めたまま横倒しにするか、電子レンジを巨大にするしか方法が無くて。僕は500ミリリットルの方でイメージしていましたから。ふた開けずに暖めて爆発しなかったのか、とは思いましたけどね(笑)
──<古典部>のえる・摩耶花にしろ、『インシテミル』(※24)の須和名にしろ、あるいは<小市民>の小佐内さんにしろ、先生の作中に登場する女性キャラクターは非常に「お嬢様」的といいますか、固定的な観念としての「女の子」のイメージが投影されてるように感じられたのですが、米澤先生の女性観―女性を描くうえで、どこを気にしてらっしゃるのか、などについて教えて頂けますでしょうか。
女性に限らず男性も同じで、じゃあ男性の方はリアルな男性をリアルに取り込むことを目的として書いているかというと、そうではないんです。リアルな男性というのは、リアルから切り出してなにも筆を振るう必要もない。「写真のような絵を描く必要はない」というのと同じであると思うんですけど、僕の女性観、リアルな女性像を描いた結果小佐内や千反田になっているというわけではないですね。
──米澤先生自身のことについてさらに伺います。以前「米澤穂信を作った100冊」(※25)で、今まで影響を受けた本というのを拝見させていただきましたが、小説以外に、たとえば漫画であったり映画であったり、ゲームであったり、そういったものから影響を受けることはありますか?
小説家という仕事をする上で、といいますと、率直に言ってあまり思いつかないですね。好きで読んでいたものはたくさんありますけれど、「小説家としての仕事に影響した」と自明的に思いつくものはあまりないですね。唯一他の所でも言ったかもしれませんが、古典部シリーズを書く前に一条ゆかりさんの『有閑倶楽部』(※26)をちょっと思い浮かべていたところはあると思います。ですが、実際出来上がったものが『有閑倶楽部』につながるかというと、それはほとんどないので、具体的な例示として挙げたことはないかと思いますが。
――米澤先生の作品やインタビューを拝見すると『雨月物語』(※27)に対する何か特別な思い入れがあるように思われますが。
好き、ですね。「好き」という理由以外には、特に思い入れはないですけど。
──以前「米澤穂信を作った100冊」で、『雨月物語』または『春雨物語』(※28)を扱ったプロットがなにかあると言っていましたが、今はどうなったのでしょうか?
……今は具体的には何かすることは考えてませんね。「そういうことをできればいいな」と思っていた時期に、貴志祐介さん(※29)の『ISOLA』というのが先に出てしまって、「あぁ、先にやった人がいるのか」ってびっくりしてしまいましたから。『ISOLA』は確か「吉備津の釜」という話の、怨霊になってしまう女の子の名前だったと思います。
――読書体験のことに関連して少し伺いたいのですが、初めて読んだリドルストーリー(※30)というのはなんでしょうか。
リドルストーリーですか。初めて読んだリドルストーリー……ちょっとわからないですが、記憶に残る限り、「ああ、リドルストーリーだ」と思って読んだのは、比較的早い時期でスタンリイ・エリンの「決断の時」(※31)だったかと思います。おそらく「女か虎か」(※32)は小学生の時に何かの形でそれこそ紹介分みたいなもので見たんじゃなかろうかと思いますが……。ただ一方で、「結末を明示されてない物語についてその続きについて考える」というのは子供のころから好きだったので、それはリドルストーリーへのアプローチに類似するものがあるかもしれませんね。
──Twitter上で米澤先生がツイートやフォロワーの方にリプライするのをよく拝見いたしますが、Twitterをやり始めるきっかけというのは何だったんでしょうか。
なんでしたでしょうね……? あまり記憶にはないですね。もともとインターネットで小説を公開していましたし、そのときに支えてもらった読者という方々に対して情報提供したり、やりとりをしたりする場というのは常にあるといいな、と思っていたんですが。
昔、掲示板をやっていたのですが、掲示板というのはどうしてもスパムに荒らされてしまう。mixiというのはなかなか返信が大変で、百行でコメントされて二行で返すというのもなかなか難しい。それに結構困ったメッセージも来るので、「これはなかなか大変なツールだな」と思っていた時に、Twitterというツールが新しく出てきたんです。その頃には、そう新しくもなかったですが(笑)。「mixiもブログもBBSもやっていて、その上でTwitterもやってるっていうのは、不思議ではないかな」と自分では思っています。
──よくTwitterでフォロワーさん、ファンの方とやりとりしていて、質問にもお答えしていらっしゃいますが、ファンに対しての距離感がBBS時代での距離感を引き継いでいるということでしょうか。
そうですね。そのころの距離感というのは割と持ち込んでいると思いますが、そのころから割と一貫しているんですが、小説の内容に関することについては、特に答えることはしないです。「それはまぁ読んでください」と。自作解説みたいなことを言うことをあまりしない、というのは貫いています。
──それと、作家さん同士でTwitter上で頻繁にやり取りしていらっしゃいますが、それはどうしてやりとりをはじめられたのでしょうか。
いや別に、お互いに目的があってやってるわけじゃなくて、おしゃべりがしたくてやってるんだろうな、とは思いますが。お互い、仕事の話には全然絡みませんし……。
──リアルも含めて、ほかの作家さんとの交流はあるんですか。
授賞式とか、パーティーとか、そういう席ではよくお会いしますね。
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※15 北村薫が「日常の謎」をメインにした『空飛ぶ馬』(1989年)でデビューしたことをきっかけに、東京創元社では、「日常の謎」を書く作家が多く現われた。若竹七海、加納朋子など。
※16 山田風太郎の1959年の作品。クラスメイトの男女6人が、探偵小説愛好会「殺人クラブ」を結成し、学園内外の珍事件を解決する。ポプラ文庫では、米澤穂信先生が解説を担当。
※17 <古典部>シリーズ第1作。<省エネ>主義を信条とする折木奉太郎が、千反田えると出会い、古典部に入ることによって、様々な謎を解き明かしていくことになる。
※18 <古典部>シリーズ第2作。古典部は2-Fから未完成の自主製作映画の謎解きを依頼され、奉太郎は同クラスの生徒たちから様々な解決案を提示されつつ、真相に挑んでいく
※19 <小市民>シリーズ第3作。
※20 <古典部>シリーズの短篇集『遠まわりする雛』で、最後に収録されている短篇。
※21 イラストレーター。東京創元社より出版された小説の挿絵を数多く担当。
※22 <小市民>シリーズ第1作『春期限定いちごパフェ事件』に収録された一編。主人公小鳩の幼馴染である堂島が、小鳩と小佐内を家に招き、「おいしいココア」を振る舞う、というエピソード。
※23 饅頭屋餡子が作画を手がけた『春期限定いちごタルト事件(上)(下)』のことである
※24 2007年。超高額の時給につられて「暗鬼館」に集まった12人の男女が、密室殺人ゲームに巻き込まれる。須和名はその一人。
※25『野性時代vol.56』に収録された、米澤先生に影響を与えたとされる「100冊の物語」
※26 一条ゆかりによる漫画作品。名門校の「有閑倶楽部」に所属する6人の男女が、自身の才覚や財力を発揮して、様々な事件を解決していく作品。
※27 18世紀後半に上田秋成によって著された、読本の代表作。全五巻九篇。
※28 『雨月物語』同様、上田秋成による小説集。
※29 1959~ 小説家。『ISOLA』で日本ホラー小説大賞を受賞。同作で取り上げられている「吉備津の釜」は、『雨月物語』の一編。
※30 物語に示された謎に対して、明確な答えが出されないまま終了するという形式のストーリー。
※31 1916~1986 アメリカの作家
※32 F・R・ストックトンによる、リドルストーリーの代表作。
(3/3に続く)