2012年9月20日、東京大学駒場キャンパスの金子邦彦先生の研究室を訪ねた。
生命とは何か?
言うまでもないことだが、「生き物」であり、「物」ではない。
ゆえに、ある意味でそれは物理学の扱う「物」という範疇には収まらないものである。それでは、物理学者が「生命」について真剣に考え始めた時、彼らが見出すのはいったい何なのだろうか?
今回お話を伺った東大の金子邦彦先生は、生命の問いに挑む物理学者の一人である。
著書の『生命とは何かー複雑系生命科学へ』(2005:東京大学出版)では、<複雑系>という視点から生命の本質に迫ろうとしている。金子先生の提示する、ごく単純化された抽象的な生命のモデルから、自己複製・分化・進化など生命にとって基本的な振る舞いが立ち現れてくる様子は、私たちの驚きを誘う。私は生物物理分野に関心を抱く一学生としてそのアイデアが切り拓く新しい「生物」の在り方に感銘を受けた。
生命とは何か?
現在に至るまで解決されることのないこの問いを、金子先生にぶつけてみた。
金子邦彦
1956年生。東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻相関基礎科学系 教授 東京大学・複雑系生命システム研究センター(センター長)
専門は、生命基礎論(複雑系)、カオス、非平衡現象論。
著書に『生命とは何か 複雑系生命科学へ』(東京大学出版会、2003年)、『カオスの紡ぐ夢の中で』(小学館、1997年)など。
金子氏は物理学的なバックグラウンドから、部分と全体の動的な相互関係として生命を理解しようとしている。
※本文中では敬称を略させて頂きました。
0シュレディンガー『生命とは何か?』について
シュレディンガーの答えは不十分
金子邦彦先生 シュレディンガーの『生命とは何か』(1944年)は、前半ではDNAは非周期的結晶の上に情報が載っているということを予言していて素晴らしかった。でもそれってあまりに分子的発想で、本当に生物が持つ情報とは何かとかそういうことにちゃんと答えたわけじゃない。後半部分では「負のエントロピー」についての話で、むしろ非平衡現象が生物の本質だというようなことになった。それがチューリングパターンのような話と組み合わさって、非平衡現象研究の物理学側のわりと大きなモチベーションにはなったと思うんだけれど、生物学側にとってどのくらい具体的に意義があることを言えているのか。例えば、生物が非平衡現象であるというのはそうかもしれないけれど、それがどのように本質かというのは(言えていない)。あるいは非平衡であるというのは自明の理であって、その上で生物らしさというのは別のとこにあるかもしれないわけです。結局いまひとつ非平衡現象をやった物理学側の研究が生物側で評価されていないのはそこにあるんじゃないかと。僕は物理出身で、ある意味でシュレディンガーの流れを受けた、「非平衡散逸構造のかなたに生物が分かるだろう」というプリゴジーンに共感を持ちました。ちょうど彼がノーベル賞を取った頃で、その方向の考えに影響を受けて大学院に入りました。非平衡になると、色んなパターンが出来たりカオスが生まれたりと色々面白いことが起こります。それはすごく楽しかったし、そういうことが生物の中で起こっているのも事実なんだけど、でもそれが生物の本質的な問題に対する答えにどこまでなっているかっていうのはやや疑問というところはあるかなと思います。
――先生が最初にシュレディンガーの生命とは何かを読まれたのは大学2年生だったということを書かれていますが、その時には先生はどのような興味を持っていらしたんですか?普通のいわゆる物理学を極めるつもりでいたのか、それとも生命の方も興味があったんですか?
僕はなんか天邪鬼なので(笑)。物理学だとみんな素粒子やるとか決まった方向があるじゃないですか。それよりも何か違った方向に新しい物理学が作れないかなといった興味があった。「生きてる状態」というのはわりとありふれて在るわけで、こういうものに対して物理的にどうやって理解したらいいのか、そういうところの新しい物理学が作れないのかな、というのはずっとあって。それで、そういうものの元祖本みたいな感じで読んだという感じですね。