5生命の話は人間社会に当てはまる点もある
生命の話は人間社会に当てはまる点もある
――今後、生物に限らず、内部のダイナミクスと相互作用を考えた理論が必要なんですか?まあそういう一般的な理論が作れれば、生命だけじゃなくて社会の理解にも進むような理論ができればいいなあと思ってるんだけど、確かに難しいですよね。
社会科学の理論とかそういう問題をまじめに取り上げないといけないんだけどどうやっていいかわからないので難しいんだよね。
例えば、結局いろんな階層性があってそれらが整合性をとれるかというのは、個人とそれが作るある範囲内の社会とさらに国とかそういうレベルでも似たようなことがあるでしょう。、いろんな社会システムとか国とかがうまくいってるのは割りとそれが整合性とれている状態。
――個人の目標と社会の目標の整合性が取れてたらその社会はうまくいってるわけですよね。
安定した状態が維持されているわけですよね。
でもその安定は中でいろんな変化が起きちゃうと永久には続かなくなる。その変わり方も徐々にはではなくて、ラディカルになっちゃうわけですよね。一方で生物の進化とかも、ある状態をずっと作れてても変わるときは一気に変わる、ということはよく言われている。
生命の起源と資本主義の起源は似ている
例えばさっき生命の起源の話をしたけど、生命の起源と資本主義の起源は似てるんですよね。生命は、いろんな分子が作りあってうまく回りだすと、細胞がうまく増えていく。システム自体が増えているということですね。
資本主義もある段階では、この商品を作るとかいう経済システムができていたんだけど、それが現代的な資本主義になるというのは、お互い作り出すとかいうのが軌道にのってうまく回りだす。そして一旦それが回りだすと勝手に動いていく。
そういう生産をすることがどれだけ意義があると感じられるか、という人間側の考えも巻き込んで。
お互いに触媒しあって生産しあって成長しあうシステムがどうやってできてきたか?
そのときに、資本主義が起動にのって動きだしたときに、さっきの少数コントロールみたいな構造が大事かもしれない。
中国で資本主義が生まれなかったかというと、あまりにでっかすぎて少数のコントロールによる制度がうまく生まれなかったから、イギリスで生まれたのはサイズが調度よかったから、という規模の問題かもしれない。
生物でも同じ。でっかすぎてもちっちゃすぎてもうまくいかない。
自立的にお互いにたくさんのものが維持されつつ増えていく仕組みには、最低限この大きさが必要、大きすぎてもだめ、というのが多分ある。
そこら辺がわかると、生命の起源も資本主義も数学的に同じ仕組で理解されるようになるんじゃないかと思ってる。でも社会はもっと難しいですよね。生物のほうが実験できるのでそっちで理解するのがまず大事かなと。
――今まで自然科学で理論を積み重ねてきて、次はやっと社会科学の理論が構築される時代?
まあそううまくいけばいいんですけどね(笑)
例えば経済物理ってのもあるけど、うーん。経済学は、その成立時の状況もあって平衡系熱力学とか平衡系統計力学に範を仰いでいる。けど経済は平衡状態じゃぜんぜんない。
その意味ではダイナミックに変化しつつなおかつ安定性を持っているような理論が必要なんだけど、経済ではまだできていない。
だから生物で先に理論を出すのがいいかなと思います。
あと科学だと実験というのが大事だけど、実験するからにはそれを見る人がいる、でも社会科学では観察者もその対象に含まれているから難しい。
脳科学でも「脳を理解しようとしている自分」というのが中に入ってきちゃう。そういう「自分」をも取り組んだ系ができればそれが究極なんだけど、まあ難しいよね。
荘子が言ったことをいかに自然科学の立場に載せるか、ということをずっとやってきた気がする
――小説からインスピレーション受けたりしますか?好きで読んでるだけだけど、まあインスピレーション受けることもある。SFで言えば小松左京には影響を受けた。「たまたま地球上で進化した生物に限定されない、宇宙のどの生物にもあてはまる生物学、つまり普遍生物学を作る」ということを言っていてね。
――哲学や思想で「生命とは何か」というテーマに取り組んでいる人の中で、影響を受けた人はいますか?
荘子ですね。シンボル化されたものはごく一部で、それの下にはもっと多様なダイナミクスがあるということを言っているんだけど、生物学的には、シンボルとしての遺伝情報があって、その下にはもっと多様なダイナミクスがある、ということになる。その意味では荘子がいったことをいかに自然科学の立場に載せるか、ということを一貫して何十年もやっているという気もする(笑)
終
終わりに
「生きているという状態に対して成り立つ一般的な法則があるんじゃないか。それに対する理解をしたい」
金子先生の「生命とは何か」という問いへの取り組みはこの言葉にされていると思う。
「一般的な法則」――それは物理学がこの世界を理解する原理として見出そうとしてきたものであり、いまその対象は生命にまで広がっている。
その法則への足がかりとして金子先生が提示したものは、ゆらぎであり、要素間のダイナミックな相互作用であった。先生の語った「ゆらいでいることやノイズがあることが、生きていることに積極的な意味があるんじゃないか」という言葉は私に新しい生命研究の在り方の一端を垣間見せてくれた。
取材中には物理学で培われた思考を生命に当てはめる難しさも話題にあがった。数万の異なる要素が相互に作用し合う複雑で巨大な自由度を持つ系は、物理学では扱われてこなかった(扱うことができなかった)領域である。物理学や数学の成果を踏まえつつ、生物という平均化できない対象にする理解をどのように深めていけるのか?
また、生命のような複雑な系の理解が、より広範な経済や社会の振る舞いなどの理解へつながる可能性も示唆されていた。生命の理論を足がかりに、いつか経済や社会も数学的な仕組みで理解することができるかもしれない。
「生命とは何か」という問いに対する金子先生のアプローチ、将来解決されるべき課題、そして生命理論の可能性を知ることができ、非常に貴重な取材であった。
真野 智之
2012年9月20日 駒場キャンパス金子研にて
記事:大野 拓生、小林 瑛美、真野 智之