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【映画監督】想田和弘監督取材



「少なくとも自分に出来ることは無視しないでやっていくというか、普通のことを普通にやりたいというだけです」


ドキュメンタリー映画を撮る際に、特に『精神』などの作品では、撮られた側から「これはもうやめてくれ」ということを言われることがあると思うのですが、それによってカットされたシーンもありますか。

あります。やっぱり基本は同意のもとにやりたいですからね。


変な言い方ですが、あの映像が衝撃的過ぎて、「これを上映したら撮られた人は自殺しちゃうんじゃないか」って思ってしまったくらいなのですが、被写体の方にはどのような思いを抱いていますか。


例えば藤原さん(18)との関係は今でも続いていて、フェイスブックで友達になったりもしています。結構お互いに書き込みしあったりして、楽しいですよ。藤原さんに限らず、被写体の方々との関係は普通にずっと続けていきます。彼らの姿を僕は世の中に出すっていう風に自分で決めたわけだから、それなりに責任が伴うし、「作品が世に出た段階で自分の仕事は終わり」だとは思わない。別に、僕が彼らの人生を背負うとか、そんなつもりはないし、土台不可能なわけだけど、少なくとも自分に出来ることは無視しないでやっていくというか、普通のことを普通にやりたいというだけです。そんなにたいしたことじゃなくて、例えば何かSOSがあったらちゃんと答えられるようにするとか、その程度のことですけど。


観察映画を観ていると、同時によくこんなシーン撮れたなっていうのが多くて。面白いシーンが来るぞっていうところで観察力・集中力を保つのはやっぱり常人にはできないなという風に思うのですが。

撮影は本当に疲れます。撮影のモードに入ると24時間アンテナ貼っているからね。例えば、『Peace』を撮っていた時には、妻の父や母が被写体でしょ。お義父さんとお義母さんの家に僕は居候しながら撮っているわけだから、そうすると24時間、お義父さんとかお義母さんの動きが気になるわけ。例えば夜中にお義父さんがトイレに起きるだけで僕もカメラ持って起きちゃう。でも、ずっとそれでは身体も精神も持たないので、休む時はきっちりカメラを手放して休む。それは大事。


カメラってすごく暴力的な装置で、カメラがあることによって、起こり得たことが起こらないということがあるんじゃないかと思うんですが、そこはやっぱり苦悩したりしますか。

あるね。あるある。理想的には目に埋め込みたいよ、カメラを(一同笑)。起きている間はずっと録画したい。


想田監督は相手との対話を重要視している印象がありますが、それはカメラがあっても面白いことを引き出すための手段なのですか。

あれは被写体の人に話しかけられるから僕もしゃべっているだけなんです。別に何かを引き出そうという魂胆はない(笑)。ドキュメンタリー作家の間では、被写体と一定期間付き合ってから、カメラをもち出して撮り始めるという作家が多いと思うし、それがむしろ普通なんだけど、僕の経験ではそういうカメラが回ってない時に、一番面白いことが起きるものなんですね。それをもう一回再現しようと思うと、誘導尋問せざるをえないわけですが、それで出てきたものって、最初のインパクトとは違うんですよ。やっぱりチャンスは一回限りしかないんです。だから僕は被写体の人から許可をもらえたら、すぐにカメラを回し始める。すると、まだ僕らは知り合って間もないので、被写体の人もいろいろと僕に話しかけてくるんですね。それが結果的に映画に残ったりするわけです。

(18)『精神』の出演者。

File5-1
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既にドキュメンタリー界において一時代を築きつつある想田監督であったが、素顔は非常に懐の深く、気さくな方であった。この気さくさこそが、取材対象のバリアを解かせ、彼の作品に数多く見られる「奇跡」を生み出しているのだと実感させられるような取材であった。監督はこの先どのような題材を選びとり、観察するのだろうか。何を選んだとしても、監督のアンテナと観察眼があれば必ずや名作となるだろう。