「僕は『映画になる瞬間」って言いますけど、そういう瞬間が必ず訪れるんですよね。」
編集作業は一番大変で腕の見せ所かと思うのですけど、どこから手を付けているんでしょうか。
最初からテーマを設定してしまうと、映画がそのテーマを証明するための道具になってしまうので、それはやりたくない。じゃあどうするかというと、まずは撮った映像を全部観ながら「ログ」を書き起こす。『演劇』だと307時間ぐらいカメラを回してるから、セリフとかを全部書き起こしてログにするのに6か月ぐらいかかってるんだけど、それをまずやる。
それが済んだら、「面白いな」と思ったシーンから繋いでいく。そのシーンが具体的にどういう風に使えるかはわからないけど、とにかく繋ぐ。なぜなら、面白いってことは、きっと大事なシーンになる可能性が高いからです。そういう作業を続けていくと、次第に「面白いシーン」がいっぱい出そろってくる。そしたらまず一本につなげてみるんですね。
でも、つなげて最初に観たときは、必ずあまりにもつまらなくてがっかりする。一つ一つのシーンは面白いと思ったのに、つなげてみるとなんでこんなに凡庸に見えるんだろうって不思議に思うくらい。でもその理由は分かっていて、その時点では「シーンの羅列」にしかすぎないからなんです。だからこれをどんどん組み替えていく。これに時間がかかる。そのうちに、お互いに全く無関係だと思っていたシーン同士を、くっつけてみると意味が生じたり、化学反応が起こる。あるいは、くっつけてたシーンを実は離してみると面白いとか、そういうことがだんだん発見されていくわけです。
台本がない分果てしない作業になると思うのですが、やっぱり組み替えていくうちに「できた!」という瞬間があるのですか?
あるある。僕は「映画になる瞬間」って言いますけど、そういう瞬間が必ず訪れるんですよね。これは本当に主観的な判断ですけどね。
尺の問題もありますが、シーン同士の有機性の問題だけではなくて、作品全体として「ここで終わりだ」という区切りはどう決めているのでしょうか?
尺は基本的には最初は決めていないですよ。その映画に必要な尺を使うっていうのが基本姿勢。だから、『Peace』みたいに75分のものもあるし、『演劇』みたいに5時間42分になっちゃうものもある。それは毎回、過不足ないように作っているつもりなんですよ。
やっぱり、通してみた時に自分が退屈しないか、観ていて緊張感を保てるか、といったところが大事ですね。編集が出来てなくて、まだシーンの羅列にすぎない段階では、『演劇』なんか最初の20分くらいでもう辛くなってきたりするからね(笑)。それを自分が退屈しない構成になるまで、組み替えていくんです。
監督の作品の特徴として、静止画で街や庭先の様子を短いショットで回して、間に隙間を開けて、観客を観客の視点に同一化させないというか、想像力を解放させる瞬間というのがあると思うのですけど、ああいったシーンの作り方についてはどういう風に考えていらっしゃるのですか。
たとえば『演劇1・2』でしたら、平田オリザ(14)と青年団をずっと撮っていますよね。それを僕は「メインのアクション」と呼んでいるんですが、それはある意味で、虫眼鏡で狭い領域を凝視するような作業なわけ。で、それをずっと続けていると、だんだんそのことを社会的な文脈に置きたくなるんですよ。もっと広い世界を観たくなるというか。そういう時に三脚を担いでちょっと外にでる。どんな街で平田オリザや青年団は暮らしているのか、という問題意識を持って。
すると、街角でカメラを回すときに、自分の視点がメインのアクションの撮影から影響を受けるんですね。たとえば青年団を撮っていると、街中でも演劇的なものに目が向くようになる。『演劇2』には、駅の構内でずっと細かいところを掃除しているおじさんが出来てきたりしますけど、ああいうのも平田オリザのやっている、芝居をコンマ数秒単位で永遠に調整していくような作業と重なったりとか。で、編集作業では、そういう映像を化学反応が起きるように組み合わせていく。漫然となんでもつなげばいいわけではない。何かこう、ひっかかるというか、こうやってサンドイッチにしてみると何かが変わってしまうというか、そんな感覚を求めながら編集をしています。
メインのアクションをあえて壊していく、隙間とか穴を穿っていくような作業に見えたのですが、それと同時に、穴の外側をも逆に穴の内側の視点から構成する、という、二つの方向性を同時にやってらっしゃるということでしょうか。
そうですね、両面あるでしょうね。ああいう「間」のシーンには、他にも機能があって、ひとつは編集のリズムをつくるということです。たとえばメインのアクションですごくヘビーな話をしていると、観ている側はそれを消化する時間が必要なんですよ。登場人物がずっと喋るシーンがあって、次にまたすぐ喋るシーンがつながると、観る方は消化できなくなっちゃう。だからヘビーなものが続いたら、箸休めのように、必ず一定の時間をとる。時間を取るために街を見せたりする。
でも、街を見せながらただ時間をつぶすだけだと面白くないから、何らかの化学反応を起こすシーン、しかも化学反応を起こしつつ、メインのアクションを社会的な文脈に置くという機能も果たすシーンを選ぶわけです。
(14) 平田オリザ(1962-)は劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場支配人。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。想田監督の『演劇1』『演劇2』は平田オリザと青年団の人々をめぐる観察映画である。