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文學談話室 市川真人講演会・公開インタビュー



§2 文学の現在・そして未来について~市川真人先生講演会


見聞伝ゼミナールの方々から、文学賞と電子書籍という観点から、文学の現在あるいは未来について話をして欲しいというご依頼をいただいてお邪魔しました。たいへん広いテーマなので、短い時間でまとまるか心許ないですが、どうぞよろしくお願いします。

文学の中に、必要だと思う何かを見つけて育てていく

日本で「近代」なる時代が始まってから百数十年が経ちました。そのなかで、かつて文化の中心としてイメージされてきた「文学」なるものから、人々はやや離れつつあるようにも見えます。「文学なんて、ホントは要らないんじゃないの?」とさえ思うひとがいるでしょう。そんななか、それでもなお「文学」が必要だと感じるならば、その必要性の理由を再発見し、育てていくこと――というのが、ここにいらっしゃるみなさんもふくめ、21世紀の初頭に文学に関わる人間たちのある種の責務に思われます。そんな前提で、「それにしても、そもそも、なんでそんなことになっているのか?」というのが今日の話の中心です。

テキストのアイデンティティが失われていく時代

今日のように、電子書籍を含めた形で「文学の現在を考える」というテーマが設定されたとき、第一にひとの興味を引くのは「文学なるものがどんな風に変わるのか、あるいは変わらないのか」ということだと思います。

AmazonのKindleという電子書籍リーダーが、いよいよ日本で発売されようとしていますよね。先行して広まったApple社のiPadとも競合しますが、これら二つの対立が、実はひどく本質的に「電子書籍って何なの?」という問いや、電子書籍端末を介して私たちが読む「文学」の今後の可能性に、つながっています。

2000年代後半からアメリカではKindleで本を読むスタイルが普及しつつあります。飛行機の中でKindleを使って本を読んでいるという人はすごく多い。Amazonでも、Kindleむけの本の方が、紙の本よりもたくさん売れるようになっている。そのことでもわかるとおり、Kindleは、今まで私たちがイメージしていた「本」を電子で読むための端末です。他方で、iPadをはじめとする汎用端末は、映像・音声や音楽を含めた「音」・そして文字テキストといった要素が全部混ざったコンテンツを鑑賞できる端末です。文字で何かが書かれてそれを読み取る、在来の「本」の形を前提にしたKindleに対し、iPadをはじめとする汎用端末の可能性――このことが、従来の書籍に対して電子書籍というものを考える上で、ものすごく大きな変化だと思います。

私たちが今イメージする印刷物としての「本」は、550年ほど昔、ドイツのグーテンベルクという人が活版印刷というものを始めたことで普及し、今日まで続いている文化です。その技術で最初に作られたのは、聖書でした。印刷されることによって、ドイツの小さな町を起点に、最初は国中に、さらにヨーロッパ中に、そして世界中に、同じ形の聖書が広まっていく。それまでの時代は、木版の印刷ならば途中で作り直して版が変わったり、まして筆写なら途中からぜんぜん違う話になってしまったり、ということがあった。「異端」と呼ばれるものの生じる理由でもあります。ところが、活字印刷された聖書ができることで「聖典=カノン」が成立し、誰にでもはっきりと「どれが異端か」が分かるようになった。

印刷物としての本は、「ある何処かの一カ所で印刷したものが、そこを出発点に世界中へ広がっていく」イメージを持ちます。その本たちが作り上げた「近代」もまた、複製技術の時代、どこかに「本物」があり、それが多方向に一方的に広がっていく時代でした。

しかし、電子書籍について考えると、印刷された本が作り上げたそんな文化が変わりつつある、ということがわかります。さっきもお話ししたように、電子的なメディアは、文字だけの媒体と、さらに映像や音楽が加わった媒体という二種類のものがあり得るようになっていく。同時に、複製を前提としたデジタルデータをコピー&ペーストすることで、同じ形でいくらでも流通させることが出来てしまうし、微妙に細部の違うものがいくらでも作れる。電子書籍という技術の登場によって、良くも悪くも今まで僕らがイメージしていた「本」や、そのテクノロジーをもとに書かれる「小説」といったものが、だんだん変わっていく時代になったわけです。たった一つの正典としてある特定の作品が読まれ、そしてその作品が変わらずにきた時代と本のイメージを、新しいテクノロジーがしだいに侵食していく時代へ。大量のテキストが現れ、しかもそのテキストがいくらでも書き換わっていく……固定したテキストのアイデンティティが、次第に失われてゆく時代に私たちは突入しつつあります。