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高野和明取材


2.小説の書き方

わかるように書かなくてはならない

――ジェノサイドを書くにあたって、映像的な(映像が浮かび上がるような?)シーンがいくつか見られましたが、映像と小説の表現としての違いについてはなにか感じられましたか?


高野 映像というのは、一見なんでもできるように見えるけど、例えば人類史のような時間軸に沿った壮大さとか、知識を語るということに関しては不得意なメディアなんです。そういう点では、やはり小説のほうが強い。小説のほうが何でも詰め込めたりする。

表現の違いはいろいろありますが、一例を挙げれば、映画を見ているお客さんは字を読もうとしなくなるんですね。サスペンス・ドラマなんかで「犯人から手紙が来た」となると、文面を映すだけじゃ読んでもらえないから、いちいち俳優さんが声に出して読み上げるでしょう。『ジェノサイド』では、第一部の最後に日本人の主人公が真相にたどり着きますが、その内容を文書で提示してます。あれは小説でしか出来ないことです。


―― 小説を書くにあたって何か気をつけていることはありますか?

高野 分かりやすく伝えることですね。難しいことでも簡単に言える文章が書ければなあと思います。読者に分かってもらえない点があるとしたら、それは内容が難しいからじゃなくて、書き手が下手だからだと思います。


とにかく楽しんでほしい、それだけです

―― 『ジェノサイド』を読んでいると、「戦争」や「人間の野蛮さ」というテーマを感じたのですが、高野さんはインタビューで「エンターテインメントとして楽しんでもらいたい」ってお話しされてましたよね。

高野 そうです。ただ楽しんでもらえればいいんであって、読者がそれ以上のものを受け取ってくれるとしたら、それは付加価値みたいなものです。だって、どんなに中身が高尚でも、つまらない本はつまらないじゃないですか(笑)。とにかく楽しんでほしい、それだけです。

―― 中身は読者が引き出してくれればいい?


高野 そうですね。ただ、エンターテインメントというものに対する世間一般の見方と自分の見方はかなり違うような気がします。エンタメというのは低俗なものと思われがちですが、自分にとっては、「面白いと感じられるもの」はすべてエンタメです。それこそ立花隆さんの『文明の逆説』を読んで知的な興奮を味わうことも、一編の小説を読んだ後に世界の見え方が変わってしまうというようなことも、すべて極上のエンタメなんです。純文学だって、それが面白いと思える人にとってはエンターテインメントのはずです。「この本は、つまらないけど気に入った!」などと言う人はいないでしょう(笑)。何事も、面白いと思うから好きになるんです。なので一冊の本の中に、面白いと思ってもらえるような要素は出来る限り詰め込もうとします。娯楽作品の作り方はハリウッド映画から多くを学びましたが、傑作とされる作品には必ず、「これでもか、これでもか」というような過剰さ、見ている側が「何もそこまで」と言ってしまうような物凄さがあるんですよ。
もっと気取らずに言えば、小説を書く動機は、お笑い芸人と同じだと思いますね。お客さんに楽しんでもらいたいという、その一念です。『シャーロック・ホームズ』みたいに、その面白さだけで全世界で100年以上も読み継がれる作品が書けたら、本当に幸せでしょうね。

―― 読者のことはどのように意識されますか?

高野 読者の反応を予測して書いても、たいていは外れるんですね。だから自分が面白いと思ったことを書くしかない。

それに『ジェノサイド』では薬学を、『13階段』では法学を扱いましたが、専門的な事柄をどこまで書けばいいのかという問題が出てきます。その際、「ここまで書いたら読者は分からないだろう」と思って書かないのは、作者の傲慢なんです。分かってもらえないのは書き手の腕の問題。読者に伝えたいことは伝わるように書かなければいけないのであって、上から見下ろすような態度は許されないですね。書き手よりも読者の方が頭がいいと思っていれば間違いはないです。

―― 一番影響を受けた映画は何なのでしょうか?

高野 観た回数で言えば『レイダース』シリーズですね。三部作で六十回劇場に行きました。

他にも影響を受けた作品はたくさんあります。『燃えよ!ドラゴン』なんかは、とても基礎がしっかりしている映画です。例えば、クライマックスの大乱闘の場面。悪の首領が、強力な武器になる義手を装備していて、最後の決戦でいよいよその義手を装着します。まさにそこへ襲いかかった囚人が、一撃で返り討ちに遭うんです。やられた囚人は、顔に傷を付けて、「こんなに恐ろしい武器で倒されました」と言わんばかりにカメラに向かって悲鳴を上げるんですが、この一瞬の出来事があるとないとでは、その後の緊張感が違ってくるんですね。恐ろしい武器が出てきたら、それがどれだけ恐ろしいのかを観客に提示しておかないと、その後のブルース・リーとの一騎打ちが盛り上がらなくなるんです。

『ジェノサイド』でも、クライマックスで最新鋭の兵器が出てきますが、それがどれくらい凄い兵器なのか、事前に読者に伝えておかないと盛り上がらない。そういった基本的な技術を一つ一つクリアしていかないと、良いエンタメは作れないということをハリウッド映画から学びましたね。


―― 他にはどのような基本があるのか聞いてもよろしいでしょうか。

高野 『ジェノサイド』全体、と言うか、過去の作品すべてを支配している方法論もあります。これは師匠の岡本喜八監督からちらっと伺って、自分なりに会得したテクニックですが……。カーチェイスの場面があるとします。激しい追いつ追われつの末に主人公が逃げきるとする。で、書く側は、例えばこういうドライビング・テクニックを使いました、とか、細かいことにいきがちなんですね。ところが、観客が一番知りたいのは、「主人公はどれだけ危ない状況にいるの?」っていうことなんです。だからこの大局的な状況を伝えないまま、細かい描写だけに走っても、著者が暴走して読者を置き去りにすることになってしまう。

だから『ジェノサイド』でも、例えばイエーガーのパートは、状況が二転三転してどんどん追い込まれていく。この際、「どれだけ追い込まれているのか」っていうのをきちんと読者に伝えないと、緊張感が盛り上がってくれない。森の中で足止めを食ったのなら、どうして目の前の川を越えられないのか、その時、敵はどのあたりまで迫っているのか、とか、そういう状況をきちんと伝えなきゃいけない。こうしたことをクリアにしておかないと、戦いの目的が見失われてしまうんですね。

―― ちゃんと緊張感を伝えないといけない……

高野 そうそう。それがまず真っ先に、お客さんに伝えないといけない情報ですね。ミステリーならば、「主人公が解かなきゃいけない謎との追いつ追われつ」になります。例えば、今、主人公がやってる捜査は、全体の解明の中でどの部分に位置するのか。それが解明された結果、次にどういう謎解きの段階に進めるのかっていうのは、常に提示して進まないとダメです。主人公の刑事が苦労して聞き込みに歩き回っても、何のためにそんなことをしているのかが明確でなければ、読者には退屈なだけです。