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Interviews

高野和明取材


1.『ジェノサイド』について

リアリティのある作品にしようとしたら、調べるのが大変で…

――はじめに、この作品『ジェノサイド』は、立花隆の「文明の逆説」*1に強い影響を受けたと伺いましたが、はじめて読んだ時、どのように思ったのでしょうか?



高野和明(以下高野) とにかくびっくりしたんですよね。20歳か21歳の頃にこれを読んだのですが、ここに書いてあることを使って何か物語を書けないかと考えた。

――それから25年の構想を経て完成されたと伺いましたが、構想から完成に至るまでの経緯を教えていただけますか?

高野 完成までに時間がかかった理由のまず一点目として、フィクションとはいえ、最低限の科学的な考証が必要だと思ったんです。そのあたりをしっかりやらないと、子供騙しになってしまうので。
それで、物語のキーとなる「新種の生物」について、こんな生き物が本当に生まれるのかと思って調べてみたら、生物の塩基配列っていうのはほとんど変わらないので、10万年以上の長い時間をかけてゆっくりと変化していくというのが当時の定説だったんです。あんな生き物が、いきなり出てくるのはあり得ないんじゃないかと。
二点目は、それを無視して無理矢理話を作っても、あまり面白いストーリーができなかった、ということです。
2001年に小説家でデビューしたあと、次の作品をどうしようという時に、いつもこれ(『ジェノサイド』の構想)が真っ先に浮かんでいたんですが、今お話しした二点がネックになって、なかなか踏み切れずにいました。
突破口になったアイデアは、「この生き物が生まれたら、人類は絶滅するんじゃないか」というものだったんですね。20年間、それは結びつかなかった。
さらに2001年の同時多発テロ以降、だんだん世界がおかしくなっていって、「アメリカがこの生き物の存在を察知したら、どうするだろう」と考えたのも、ストーリーを作る上での大きなブレイク・スルーになりました。それに生物学が進歩して、塩基配列は従来考えられていたよりも、はるかにダイナミックに変化するということも分かってきた。
ただし、全体のストーリーが決まっても、下調べがあまりに大変になりそうで、今度は現実的な制約でストップがかかりました。職業として小説を書く以上、自分の生活は破綻させないという最低限の前提があるわけです。しかしこれを全部調べて書くとなったら、本を書いて得られる対価より、書く期間の生活費と必要経費のほうが上回っちゃう。それでずっと迷っていたんですが、一人だけ、友達にこの話をしてみたら、「それは面白いから、是非書け」と言われて、もう採算度外視で書いてしまえ、となったわけです。読者への出血大サービスです(笑)。
その際、頭にあったのは二つのことでした。自分は長い間、映像のほうで仕事をしてきたんですが、いくらいいアイディアがあっても、製作費が足りないために実現できないということが映像の世界ではよくあるんです。しかし小説は違います。書き手一人が冷や飯を食う覚悟さえ固めれば、あとは純粋に想像力の勝負に持ち込めます。誰も思いつかなかったようなビジョンを作品にすることができる。
もう一つは、映画作りの師匠、岡本喜八監督の姿ですね。監督さんは、私財を投じてまでも、ご自身の作りたい作品を作り続けた方で、それに比べたら、貯金が減るくらいで泣き言は言っていられないというのもありました。

実際の暴力は忌まわしく汚らしいもの

―― 『ジェノサイド』では凄惨な暴力のシーンがたびたび出てきたり、単なるご都合主義に終わらない不条理なシーンも出てきたりしますが、そのようにリアルにモノを描くということも意識的にされていたのですか?

高野 戦場での暴力というのは凄まじいもので、そういうのはなるべくリアルに徹して描こうとしましたね。映画や小説の中では、銃を撃つ人は大義を背負って勇敢に闘って、撃たれた人は「うわぁー」とか言って死ぬじゃない。でも実際の死体は、あんなキレイなものじゃないし、間近で見た人にとっては生涯忘れることのできない凄惨な状況が展開される。そういうのをなるべく正確に描こうとしましたね。
これは作品の内容にも依るんですけど、これまでは暴力を「忌まわしく汚らしいもの」として書いてます。しかし、それこそ「ダイハード」とか「インディ・ジョーンズ」みたいな勧善懲悪の冒険活劇を書くのなら、別の描き方をしますけど。普段はそういう作品も喜んで観てますし。

―― 戦争や暴力をリアルに描こうと思ったきっかけみたいなものはあるんですか?

高野 映画や小説などのフィクションが、人々の戦争観を美化しているのではないかという批判です。例えば合戦シーンなんか、武士たちが勇猛果敢に斬り合うみたいなイメージでしょうけど、実際に何百人もの人間が大型刃物で殺し合ったら、正視に耐えない光景になるでしょう。それに昔と今では、戦争の考え方もずいぶん変わってしまったと思うのね。自分の世代っていうのは、実際に戦争を経験した人たちから直接、話を聞いて育ってるんです。いい話は一つもない。軍隊内の理不尽な暴力だの、捕虜虐待だの、そんなことばかりです。1970年代の前半くらいまでは、渋谷とかの繁華街に行けば、傷痍軍人たちが地面に座り込んで物乞いをしてました。目や手足を失った悲惨な姿で。今の若い人には想像もつかない話でしょうけど、そうした光景を子供の頃によく見ました。今も渋谷のガード下を通ると、いつもそこに座っていた両足のない人の姿を思い出します。どういうわけか、そうした人たちは、よくアコーディオンを演奏してた。
私の師匠の岡本喜八監督は、ちょうど皆さんと同じ時期に徴兵されて、幹部候補生として20人の仲間と行進中に250キロ爆弾を落とされて、その場の17人が爆死したという場に居合わせた方なんですね。監督さんは奇跡的にかすり傷で助かったんですが、目の前にいた人は、手足を切断されて、腹から内臓がこぼれ落ちた状態で、それでも生きていて、内臓をお腹の中に詰め込もうとしてた。監督さんの後ろにいた人は頸動脈を切られて血が噴き出して、「血を止めてくれ」って言って、監督さんはそれを一生懸命止めようとしたけれど、止められなかった。それが、たった一発の爆弾が落ちた時の状況なのね。関心のある方は、最近、出版された監督さんのエッセイ集『マジメとフマジメの間』(ちくま文庫)を読んでみてください。こういう話を知ると、戦争なんて絶対にやるもんじゃないと思います。だから、若い人たちが世の中の動きに対し、右側から文句を言うっていうのはちょっと憂慮します。戦争が起こったら、その若い世代から真っ先に戦場に送り込まれますから。

―― そういうことも思って「ジェノサイド」の戦争の場面はより残虐に描いたんですか?

高野 より残虐に、というよりは、ありのままに描こうとしました。特に戦争を扱う以上は、師匠の岡本監督に顔向け出来る作品にしたいなあと思いました。
『ジェノサイド』の中で、ルーベンスという登場人物が敬愛する科学者の手を見つめるシーンがありますが、自分もよく監督さんの手を見たものでした。戦友の血を止めようとして、止められなかった手を。