== 宮嶋氏の考える若者 ==
1.二十歳のころの宮嶋氏
宮嶋さんの二十歳の頃は、ちょうど日芸に在籍しながら、右翼の赤尾敏を追ったりとか、ソ連に売春婦を撮りに行ったりしてた時期ですよね。
そういう時代には、悩むこととかあったと思うんですが、その上で僕らに知っといたほうがいいよ、こういうことあったよ、ということはありますか?
宮嶋:
そんなんないわー。
今は今の事情があるんやし。
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学生:
若い時分は、無茶とかしてらっしゃったんですか?
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宮嶋:
若い頃なんてそれぐらいしか取り柄ないですから。
あと、写真週刊誌でコンプライアンスが今と違いましたから、割と無茶ができた。
「今の若いもんは」っていうのは石器時代から言われてるセリフですから、今に始まったことじゃないです。
特に「いまどきの若いヤツ」「いまどきの」がつくともう、やめたほうがええぞって、言われてます。
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学生:
宮嶋さんの若い頃に「いまどきの若い奴は」って行ってた人というのは、カメラマンの世界だとベトナム行ってた人らですよね。そういう人たちに勝ったろう、とか考えていたんですか?
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宮嶋:
ありましたね。
僕らは、ロバート・キャパとか一ノ瀬泰造に憧れてこの世界入って、最終目標はやっぱwar correspondent、war photographerだった。
けど、俺が生まれた年にはもうパリ平和会議が終わっていて、ベトナム戦争はないんですよ。
僕らの大学生時代には、辛うじて学生闘争や成田闘争がありましたけど、成田闘争の時だって、あんなの全然たいしたことないなんてすぐ言われて、腹立ちましたわ。
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ベトナム戦争の武勇伝聞かされたって、そりゃ俺ん時やってたら俺も行くわい、今自慢されたってどうしようもないわ、ですよ。
そこでもう勝負できないわけですよね。御巣鷹山を扱った映画『クライマーズ・ハイ』でも、連合赤軍と大久保清の連続殺人事件に関わった奴が社内で一番でかい顔して、追随した若い記者の原稿潰していくっていうのもありましたけど。まぁ、似たようなもんでしょうね。
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偉そうにしてる先輩にはむかついて、でも勝てない。となると、今は今なりの作品ができないかって。
あの当時はアメリカ留学が流行りつつあったんで、なら逆の発想でソ連行こうかっていうのが最初でしたね。
行ったら行ったで面白かったですから、二回目行くときは売春婦一本で絞って行ったりとか。
当時のソ連の売春婦なんて、誰もまだ撮ったことないですから、多少は金になりますし、結局デビュー作になりました。
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右翼の赤尾敏もそうですね。
でもあれは当時まだ発表してくれる媒体がないんで、撮ってから発表まで結構かかって参りました。
写真の方は誰に見せても恥ずかしくない、いい作品だったんですけどね。
それで結構腐りましたね。
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学生:
ちなみに宮嶋さんの右派的な思想っていうのは、赤尾敏に付いてたときにはもう出来ていたんですか?
宮嶋:
なかったですね。あんときはもう面白いから。
左の方は取材がしにくいんですよ。
中核派革命軍の取材の時も、もうそれはうるさい。
デモとか行っても、ただの学生のカメラマンだったんで、機動部隊からはいじめられる、参加者からもいじめられる、でね、左派の人たち結構ややこしいんですよ。それで結構嫌んなったって言うんはありますね。
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学生:
大学の頃から赤尾さんなどの社会的なテーマを扱っていたのは、報道カメラマンとしてやっていこうと思ってらっしゃったということですか?
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宮嶋:
それもあるんやけど、やっぱ向き不向きってあって。
やっぱストレートな写真が好きなんでしょうね。
学生時代にもモデル撮影とか結構していたんですけど、やっぱ僕はこう言うのは才能がないって分かる。
一生懸命やって、それでできなかった時の直感的なもんもあるし、やっぱりやる気がでない。
女の子撮るのも嫌いじゃないんですけど、あんまり難しい注文来たら、僕よりうまい人に頼んでくださいって言いますからね。
二十歳の体力は欲しいですけど、二十歳には戻りたくないですね。
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2,.レンズから若者を見続けて
学生:
今の大学生は、大学生はモラトリアムだとか言ってサークルで居場所を求めたり、学生起業したり、結局自分はこの道だって絞れないと思うんです。
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宮嶋:
うちらの時からありましたよ。
群れる奴は群れていましたけど、私は違いました。
入るときにはすでにカメラマンになりたい!というのがあって、自分ではそれは良かったと思いますね。
他の仕事やっていたら、多分、失敗するか何もできなかった気がします。
他に選択がなかったって言うことがあるんでしょうけど、続けていると僕はやはり胸をはってカメラマンが天職だと思えますね。
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学生:
カメラマンの世界一本で22歳から27年の間、いろんな世界撮ってきて、日本の若者も色々見てきてられると思うんですよ。
で、そんなかで、あ、なんか違ってきているな、っていうのは?
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宮嶋:
そりゃ、時代が変われば当然変わります。
けど、若い人に媚を売るつもりはありませんけど、本質的には変わってないです。
そりゃ僕らの時はネットもなければ携帯電話もなかったわけですから。それを同次元に語ることは僕はちょっとできないですね。
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学生:
日本の若者だけでなくて、世界の色々な地域の若者もここ2?30年見てこられたと思うんですけど、日本と同じように全然変わってないなって思いますか?
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宮嶋:
全然変わってない国ありますよ。
アフガンなんて多分100年変わってへんのとちゃいますか。
タリバンが出てきたりとかいうのはあっても、18、9の若者は農作業をして、家族を作って、その合間に戦争して、というのは変わってないでしょうね。
日本が激変したっていうのも、コミュニケーションのツールが激変したっていうだけで、第二次大戦が終わった時みたいな、社会情勢やカルチャーの逆転があったわけでもないですから。うちらの時もやっぱりヘタレはおりましたし。
むしろ、私の仕事なんかしていると、自分の二十歳みたいなイケイケでがむしゃらな奴が今来たら困るんですよ。
若者脅威論ですね、むしろ。
頼むから、もう大企業に就職したいって愚痴でもこいて下宿で大人しゅうしといてくれ、来たらちょっと足引っ張ったろとね(笑)
自分らだって上の人で邪魔な奴は名前を出して批判してきたわけですね。
僕らが批判したのは、やはりベトナムへ行った人たちや、逆に行かなかった人たち。
要は今の報道写真界の重鎮になってる人は、生き残ってるっていうことは行ってないって言う人が多いんですよ。
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学生:
一ノ瀬泰造も向こうで死んで。
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宮嶋:
まぁ、そうですよね。
行った人は死んで、行かなかった人らが大きな顔してるわけじゃないですか。
そういう人らに対して批判もして、煙たがられたりもしてきたから。
でも、批判する以上はそれだけの作品を残したいっていうのはあったし、そういうハングリー精神も作品につながったんでしょうね。