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【映画企画】是枝裕和監督取材


はじめに



今や、海外でひとかどの監督として注目される日本人映画監督は少なくなった。そのような状況下で是枝裕和監督は、デビュー時から国内外問わず様々な賞を総なめしている。描く題材はセンセーショナルなものが多く、2004年には『誰も知らない』で母親が失踪した幼い兄弟姉妹を描き、そして2013年には『そして父になる』で出生時に子供を取り違えられた2つの家族の葛藤を描いて非常に高い評価を受けた。
是枝監督の作品では、フィクションなのかドキュメンタリーなのかがわからなくなるほど、登場人物が徹底的にリアルに描かれている。何かに立ち向かう人々の姿を、非常に緻密にそして客観的に描く。私たちは次第に登場人物に対する共感を抱くようになり、終映後には、折角出会えた登場人物と別れなくてはならない寂しさと是枝監督の映画を観られたことへの幸福感を得る。こうした感覚を与えてくれる映画監督は、本当に稀である。
是枝監督は何を思い、何を考え映画を作っているのか。是枝監督は現代の日本映画界をどのように捉えているのか。是枝監督の素顔に迫った。

                                              (取材日:2014年9月22日)


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【プロフィール】

是枝裕和(これえだ ひろかず)

映画監督。早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、番組制作会社テレビマンユニオンに参加しドキュメンタリー番組の演出を手掛ける。2014年に独立、制作集団「分福」を立ち上げる。1995年、映画監督デビュー作『幻の光』がヴェネツィア国際映画祭 金オゼッラ賞を受賞。続く『ワンダフルライフ』はインディペンデント映画としては異例の全米200館公開を果たす。2004年、『誰も知らない』で主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を史上最年少受賞。2013年には福山雅治主演の『そして父になる』が、カンヌ国際映画祭 審査員賞を受賞した。





1ドキュメンタリー時代を経て映画監督へ


――どうして映画監督を志すようになったのでしょうか。


うーん。ずいぶん昔の話だなあ。物を書くのが好きで、はじめは小説家になりたかった。
「小説をやろう」と思って大学に入ったけど、大学では小説の書き方を教えてくれるわけではないんだとすぐ気づき、どうしようかなと思っていたら映画にはまってしまった。だから、大学時代は授業には行かずにずっと映画館で過ごしてしまった。
二十代の頭ぐらいに「映像に関わる仕事に就いて飯が食えるといいな」と思い始めた。当時、日本の映画界に入るルートはあまりなくて、自主製作でやっていくか、コマーシャルから近づくか、とりあえず現場に入り込んでピンク映画の助監督からやるか、テレビに行ってみるかの四つぐらいの選択肢しかなかった。自分は、テレビっ子だったので「テレビも面白いかな」と思ってテレビに入った。ただ、「二十代のうちにはなんとか独立して映画をやりたいな」とは思っていました。


――テレビ局でドキュメンタリーを撮っていたころから、今のようにフィクションの映画を撮るようになった経緯を教えてください。


もともとはフィクションをやろうと思っていたからね。当時はドキュメンタリーをやりながら劇映画の脚本も書いていた。「ずっとドキュメンタリーをやってくぞ」という覚悟が決まっていたわけではなかったんです。
実は、ドキュメンタリーの仕事を本格的にやり始める前に一度深夜ドラマを作ったんです。それは5日間のスケジュールと1千万の予算の中で1時間分を撮らなければならなくて、台詞を言い間違えなければOKと言わざるを得ない状況だった。頑張りましたけど、この限られた予算とスケジュールで質の高いドラマを撮るのは正直難しいと思った。それに、ドラマ制作には多くの人が関わっていて、そのような大きな集団を動かしていくような能力は自分にはないなとも当時は思っていた。それで、4・5人の規模でできるテレビドキュメンタリーの制作をやってみることになった。


――デビュー作『幻の光』(1)はどのような経緯で撮ったのでしょうか。


昔、水俣病の担当だった高級官僚が患者側と国側の板挟みになって自殺をしたという事件があって、遺された奥さんのインタビューを柱にして作った番組が初めてのドキュメンタリーの仕事でした。その仕事を見たテレビマンユニオンのプロデューサーが「こういう小説があるんだけど興味はないか」と言って持ってきたのが『幻の光』だった。『幻の光』も、旦那さんを自殺で亡くした女性のモノローグでずっと進んでいく話です。その小説が、自分がやったドキュメンタリーの仕事と僕の中ですごく重なってしまったんだよね。「これは何か縁があるな」と思って、是非やらせてくれと言った。だから、企画のスタートは僕ではなくて、プロデューサーの側からだった。それがデビュー作となりました。


――是枝監督の作品では人間がすごくリアルに描かれているなと感じます。ドキュメンタリー時代を経て、人を観察する目は変わりましたか。


うん。大学時代をずっと映画館で過ごしていたから、それまでは世間知らずで頭でっかちな人間だった。そのままフィクションに進むよりは少し遠回りしたけれども、テレビドキュメンタリーというジャンルで世の中との接点を経験でできたのはとても大きかったと思う。今は映画を作るときに「デッサンを描くときのような視点で人間を観察する」ことを心掛けている。そうするようになったのはきっとドキュメンタリーをやったからだと思います。


――「脚本をそのまま役者に喋らせない手法をとっていることがある」と著書にお書きになっていますが、 それはどうしてでしょうか。


なんでだろうね……。僕は「内発的な言葉」という言い方をしていますけど、与えられた言葉を上手く言えているかどうかということではなくて、映画の中でその人自身から出てきた言葉や表情を撮りたいと思っている。そのためのアプローチの一つとして、『ワンダフルライフ』では一般の人に台本なしで自由に喋ってもらい、それに出会った役者側のリアクションを撮るというやり方をした。そうしてフィクションとノンフィクションを衝突させることでなにか生み出せないかと考えたんです。その次に撮った『DISTANCE』では、シチュエーションとキャラクター設定が用意された状況で、あとは役者に即興で喋ってもらった。そこで役者が発した言葉をもとに次のシーンを考えていくという、かなり実験的なことをやった。
今は自分で脚本を書く方向に戻ってきてはいますが、出来上がった脚本をそのまま役者に読んでもらうよりは、役者と話しながら、できるだけその人自身から言葉が出てきたように撮っていくことを意識しています。


――そういったドキュメンタリー的手法を取り入れているからか、最早フィクションではないのではないかと思うくらいに作品からリアリティを感じます。その中で、敢えてフィクションでやっていくことの意味、フィクションの力はどういうところにあるとお考えですか。


フィクションの力か……。 難しい質問だね。ドキュメンタリーよりフィクションの方が上だと思っているわけではないんだけどね。そもそも何故映像をやっているかということも、今まで自分の中ではあまり言葉にしていなかったです。
フィクションって、自分たちが生きている現実の世界を批評するというか相対化する側面があるじゃないですか。「いま自分たちの生きている状況が、絶対的なものではないんだ」とか「絶望的に見えるけど実は絶望するほどでもないんだ」と思ったりするように、フィクションもドキュメンタリーも現実に別の角度から光をあてる作業だと思っている。だから映像制作とは、今自分が生きている世界を再発見・再評価していく行為だと思っています。それは「自分とは何か」を発見していく作業でもあるからね。





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(1)宮本輝の小説作品。1995年に是枝監督によって映画化され、ヴェネツィア国際映画祭で金オゼッラ賞を受賞した。