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Interviews

インタビュー・遠山雄亮さん(将棋棋士)


強い人と指したいから奨励会に入った


初めて将棋にふれたときはいつですか。

3歳ぐらいに、家にある将棋入門の本を繰り返し読んで覚えた、って感じですね。うちは両親もできないので。そのあと近所の将棋教室に行き始めて、子供スクールに入って、研修会・奨励会とステップを踏んで、という感じですね。

奨励会に入会されるのを決心されたのは?

僕は中2のときに奨励会に入ったんですけど、それ位の年齢で「将棋のプロになってやっていくんだ」っていう強い意志を抱くのはなかなか大変でした。
将棋が強くなって大会で勝ち上がっていくと、上位のメンバーはいつもだいたい一緒になって、するとその間でコミュニティができるんですね。そしてそのメンバーがどんどん奨励会に入っていくのを見て「じゃあ俺も入るか」みたいな(笑)。結局「強い人とやりたいから奨励会に行く」という感じでした。割とみんなそうだと思います。

奨励会に入られるにあたってご両親の方は何と仰っていましたか。

うちは「将棋を続けるなら大学まで行く」ことがひとつの条件でした。両親の教育方針なんでしょうね。「大学は見聞を広めるためにも行った方が良い」という考えだったんですね。

少し前だと「プロを目指すなら学業もそっちのけで将棋漬け」という風潮もあったそうですが、遠山さんの頃はまだそういう空気はありましたか。

ありました、ありました。奨励会にいながら大学に行くのって、僕しかいなかった時期があったんです。後輩には学校に行くよう勧めています。将棋はもちろん大事だけど、「大学に行ったから将棋が駄目になった」というのは言い訳だと思っていて。どうせ大学行ってもできる人はできるから。でもそういう意味じゃ時代は変わりました。大学に通いながら奨励会にも行く、あるいはプロになってから大学へ行く、という人はすごく増えましたね。

漫画『3月のライオン』(*12)では、高校生プロ棋士である主人公が学生生活との両立に葛藤する描写がありますが、奨励会に出ていた遠山さんの学生時代はどうでしたか。

どうだったかなー、当時は「月に2回ぐらい学校を休む変な奴だなー」みたいなことは言われてたけど(笑)、他の部分では皆さんとそんなに変わらないです。学校に行って授業を受けて、部活をやって、帰ってきて夜将棋の勉強をやるって生活でしたね、あとは暇な授業中に頭の中で詰将棋解くとか(笑)。

あまり周囲の人には伝えていませんでしたか。

積極的には言ってなかったですね。訊かれれば答えましたけど。学校の先生にはさすがに伝えてました(笑)。それでも当時はあまりちゃんとわかってなかったです。最近は学校側も理解が深いみたいですね。それはきっと羽生さん(*13)とかが有名になったおかげだと思います。
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  1. 羽海野チカ作。2007年よりヤングアニマル(白泉社)にて連載中。
  2. 羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)。1996年、史上初のタイトル七冠独占を達成。

「ある時から、一歩引いた視点でものを見るようになった」

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遠山さんは25歳で四段に昇段、プロ棋士になられましたが、奨励会における年齢制限(*14)との戦いのなかで一番つらかった時期はいつ頃でしたか。

三段に上がると三段リーグ(*15)というリーグ戦があって、そこを勝ち上がって四段にならないとプロになれないという仕組みなんだけども、そのもう一個がすごく大変なんですね。僕は19歳で三段になりましたが、だんだん同期がプロになり始めて、その瞬間は結構屈辱的でした。向こうはインタビュー受けてすごい量のシャッター受けて、そのなかで自分は帰っていく、みたいな。それが半年に一回ぐらいあって、そのたびに心が砕かれましたね。

この取材の前に、大崎善生さんの『将棋の子』(*16)をみんなで読んだのですが、 皆さんはあのような世界を経験されてプロになっていらっしゃると思うと。

大崎さんのはちょっと極端な例ですけどね。それで、(取材依頼文の)質問事項に「将棋に人生を捧げていくことを決心したのはいつ頃ですか」みたいなことが書いてあったじゃないですか。それとすごくつながる話なんですけど。

これは人によるのかもしれないけど、世の中には何かにまっすぐ自分を捧げた方が良いという考えがありますけど、僕はわりとそうではなかったタイプ。プロになかなかなれなかった時期に、なんかふっと一歩引いた視点から見るようになったら、勝てるようになってきて、最後はプロになることができたんだけども、それが今でもちょっとあります。

「一歩引いた視点」というのは?

おととしの震災があったのも輪をかけているのかもしれないけど、僕は、先のことがどうなるかってあんまり予測できないと思っている。すごく極端に言えば、五年後将棋指しっていう職業がなくなっているかもしれないから、「別にこれが潰れても次はこれをやるから良いや」っていう風に生きていた方が、僕は気持ちとしても楽なんです。

あと、将棋だけをやっている状況に居心地がよくなって、そのまま変化しなくなっちゃう、甘えちゃうということが少しあると思っていて、それが僕はすごく嫌なんですね。それじゃ人間成長できないから。

10年、20年もこうして将棋を指し続けるだろうなという風には?

うーん、続けるかもしれないし、続けないかもしれない。そこは分からない、と思っているんですね。だから捧げるっていうことはしない。23歳くらいだったのかな、そういう気持ちを持つようになった時に、当時はそこまで強い意志はなかったけど、ちょっと肩の力が抜けたのか、成績が良くなったという気がしますね。

インタビューだと、棋士が「一生将棋に身を捧げます」とか言ったほうがかっこいいんだけど、実際僕はそういう風にはあまり思ってなくて。でも僕のような例は将棋指しとしては結構珍しいと思います。そういう話まで棋士とあんまり話すことないからわからないけれど。
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  1. 現在、奨励会では「20歳までに初段、26歳までに四段(プロ入り)」という規定を満たせなければ退会、という規則がある。
  2. 三段の奨励会員たちが半年間をかけて行うリーグ戦。上位2名が四段に昇段、プロ棋士となる。
  3. 年齢制限の規定を満たせず、志半ばで奨励会を去った人たちに焦点を当てたノンフィクション(講談社刊)。