4.新作『ダゲレオタイプの女』とは
―――それでは、新作『ダゲレオタイプの女』の話についてお伺いしたいんですけど、そもそもフランスでこの映画を撮るようになったきっかけは何ですか。
きっかけは、フランス在住の日本人のプロデューサー、吉武美知子さんです。レオス・カラックス、ポン・ジュノ、ミシェル・ゴンドリー(16)が監督を務めた、『TOKYO!』というオムニバスをプロデュースした人なんです。特に、レオス・カラックスに関しては東京で実際に撮影するにあたって、「どうしたらいいんだ」って相談に乗ってくれないか、っていうことで、堀越謙三(17)さんを通して、僕に何度か「こういったものはどこで撮ったらいい?」と質問をしてきました。そのときに僕がしたアドバイスは何も聞いてくれなかったですけど(笑)。それで、吉武プロデューサーが、「何かフランスで撮ってもいいと思われる企画があったらぜひやりましょう」とそのときに言ってくれて、プロットを渡したのがそもそもの始まりです。何を渡したかといいますと、15年近く前に、トロント映画祭などで何度か会っていたイギリスのプロデューサーが「何かホラー映画を撮らないか」って言ってきたんですよ、そのときにこっちもめちゃくちゃ乗ってですね、ヨーロッパを舞台にしたホラー映画の企画を書いたのがはじまりですね。ただ、その後そう簡単には進まず、そのプロデューサーと何度か打ち合わせもしたんですが、やはりどうもお金が集まらないということでそのまま立ち消えになったんです。だからその吉武プロデューサーから話があったときに「イギリスの設定だったけど、ま、いいか」と思って出した。すると、「これは面白いじゃない、やりましょう」ということになって、実現する運びになりました。
―――フランスで制作していて日本との違いを色々感じると思うんですけれども、どういうところが一番大きかったですか。
全体としては、実は驚くほど日本と似ていました。言葉の問題はもちろんあるんですがそんなに大きい物じゃなかったですね。日本と変わらないくらい皆さん「監督の意図を実現しよう」という思いがはっきりとありました。言葉も通じないし、曖昧な意志表示しかできない日本人監督の意図をです。それだけ「日本以上に監督の責任は重いなあ」と思いました。俳優もスタッフも「これであなたのやりたいことはできてる?あなたの思い通りになってる?」と何度も確認してきて、「あなたの思い通りになることが私たちの望みなんだ」って。こっちもある意味プレッシャーなんですけれども(笑)。別にお世辞でも社交辞令でもなくて、みんな気持ちいい人達でしたね。これは笑い話に近いですが、最初に戸惑ったのは基本的な文化の違いに関してですね、スタッフも俳優も、特に俳優なんですけど、脚本をまず渡して読んでもらって、数日後にカフェで会うんですけど、こっちも緊張しているわけです。まず、「わからないところがたくさんある、たくさん訊きたい」というところから入り、こっちはショックなわけです、「そんなにわからなかったのか」って。それで、しどろもどろに応えて、「どうでしょう」ってきくと「今日の話で少しわかったがまだまだわからない」で時間切れになって終わるわけです。すると、フランス人のプロデューサーが「彼は本当にやる気がある、本当にやりたがっているよ」と言ったんです。「質問があるってことが、如何にやる気があるかということの証なんだ」と。だから「これだけわからない、教えてくれ」ということは、それだけやりたいということなんだよ、と言われて戸惑いました。日本だと最初に会って「質問有りますか」「ありません、すべてわかりました」となると「やる気があるな」となるけど、フランスでは何も質問がないと「ああこの人はやらないんだな」ということに近い、ということになるんです。蓋を開けてみると「山のように質問がある、全然わからない」と言いながら5つぐらい大きな質問があって、それに答えれば良くて。日本だと「何も質問がありません」と言っておきながら蓋を開けてみると5つぐらいあったりするんです(笑)。結果一緒だけど、最初どうしたら良いかといった時の文化の違いですね。質問という形での対話を彼らはしたがるんですね。
―――国民性というか、今の日本人って全然映画を観ないなあと思うのですが、フランス人は日常的に映画と関わりが深いんですか。
日本人よりはかなり映画を観ると思いますよ。とくに東京と違うなあと思うのは、新作映画のポスターがそこら中に貼ってある。日本も昔の都会はそうだった気もするんですけど。今って、映画館に行かないかぎりよほど目にしないじゃないですか。フランスだと、駅とかに行くと必ず貼ってある。日本では新発売の缶コーヒーの広告とかあちこちに有りますけど、フランスだとああいうのが全部映画の広告なんですね。だから、次何観ようかなと思っているときに「あ、これだ!」と目につくところに貼ってあるから、そういうことを考えて街を歩いている人が一定数いるということですね。これは決定的に違いますよね。ただフランス人に言わせると「フランスでも映画を観る人はどんどん減っているよ」と嘆いている。これからどうなるかわからない、と。
―――フランスで制作したり、そこで支援を受けるにあたって、内容について口出しとかやりにくさは日本と比較してどうでしたか。
日本とはまた違った意味での「脚本至上主義」は感じました。商業的なことではなくて、文字としての完成度を、字面として伝わってくるものをものすごくハイレベルで求めてくる。それは、みんな口々に言っていました。脚本の中に、最初からどんな場所で撮影するのか、音楽はどこから流れるのか、どんな風に撮るのかまでできたら書け、と。つまり、人物の描写も含めて、それがどういう映画になるのかをあらかじめ描写しなければならないんです。日本では脚本にそこまでは求めません。実際、場所と言ったってフランスだとよくわからないし、脚本には「パリの街角」って書けばいいと思っている。ただ、「街角」じゃ許されない。「何通りで、晴れていていい天気の中で、みすぼらしい姿のなんとかのコートを着た主人公のまえにうだつのあがらない男が現れて……」と、すごく長くなりますが、こういう風にいかにも情景が思い浮かぶように書くと喜ばれる。でも、そう書く事の弊害はやっぱりあります。つまり、監督が誠実にそう書いちゃうと、「それ」でしかならなくなるんです。たとえば、「下北沢の何番」って書くと、「三軒茶屋を撮ってみよう」という発想がまるっきりなくなる。つまり、脚本時点で監督のロケハンの仕事が始まってしまっている、というふうに。「徹底してそういうものになっていく」という良さもありつつ、僕は日本で作ってきましたから、脚本を書く時点では単に「街角」でいいと思っています。それが具体的にどこの街角になるかを追求することこそが、撮影の醍醐味なわけですし。
―――僕個人の関心で、自分が「文化政策」をやっていることもあって、作り手の方に聞いておきたかったんですけど、文化庁から300万円ほどもらって生活の足しになって助かった、というお話があったと思うんですけど、それでも映画を生涯撮り続けることに関して、公的な支援で「こういったものがあればいいな」、「これが助かった」、あるいは「今のこれは嫌だ」みたいな、実感として思われることがあればお聞きしてみたいのですが。
フランスにはこんな制度があって驚きました。映画の製作に携わる人たちにはギャラが支払われるのですが、必ず社会保障費として何%か引かれるんですが、引かれたお金から、その人たちが仕事をしていないときの保障が必ず出る。僕も日本人ですけどそのシステムでやって、あるパーセンテージが引かれて、フランスから帰ってきて夏とかに日本で映画を撮っていたんですけど、フランスから当然のようにお金が入っていたんですね。フランスで作った口座に、突然ぎりぎり生活出来るレベルのお金が入っていた。あ、みんなこれで月々優雅に暮らしているんだと。まあ、その分最初支払われるギャラは減るのでよしあしはわかりませんが。フランスって映画以外にもそういうのが整っているんですね。だから、ある時期がっと働きますが、あとは働かない、というやり方でも生きていける。
―――日本には絶対ないですね。
ないですね。まあ、いい制度には違いないんですが、作家は怠惰になりますね(笑)。「どうしてそんなにたくさん撮るんですか?年に一本も二本も」とよく聞かれますが、「仕事ですから」と答えます。フランスの監督は三年に一本撮っていれば十分生活できる。日本では、監督は一年に一本ぐらい撮らないとまともな生活はできないですね。大学の教授とかをやると、かろうじてなんとかなりますけど。映画の監督だけですと、どんなに偉くなっても一本撮って一年ぎりぎり生活できるぐらいしかもらえないので、次の年たちまち失業してしまう。今の若い人たちはそういうことを随分気にしているようで、大変だろうなと思います。僕はそういう意味でいい時代に育ったのか、若い頃全然考えなかったですね。「食えなくなるんじゃないか」とか「大学出てどこに就職すべきか」とかは。
―――最後に、監督が一番影響を受けた監督は誰ですか?
二人あげてもいいですか?自分が映画を撮る立場で影響を受けた人は二人いて、一人はやっぱりジャン・リュック・ゴダール(18)。もうひとりはスティーヴン・スピルバーグでしょう。この両者の引き裂かれたところにいるのが僕の持ち味だと思っています。東京芸大で教えているときも、映画を毎週観てもらったりするのですが、この二人の作品は必ず入ってきますね。
(16)レオス・カラックスはフランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグ以降のフランス映画に新たな波を起こした。代表作に『汚れた血』『ポンヌフの恋人』。
ボン・ジュノは韓国の映画監督。進歩主義的な「386世代」の監督であり、韓国映画界のヒットメーカー。代表作に『殺人の追憶』『グエムル―漢江の怪物―』。
ミシェル・ゴンドリーはフランスの映画監督。ミュージック・ビデオのディレクターからキャリアをスタート、『エターナル・サンシャイン』でアカデミー脚本賞を受賞。
(17)堀越謙三(ほりこし・けんぞう)は日本の映画プロデューサー。1982年、渋谷に映画館・ユーロスペースを設立。製作にも進出し、ウェイン・ワン監督の『スモーク』(ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)やB・フドイナザーロフ監督『コシュ・バ・コシュ』(ヴェネツィア映画祭銀獅子賞受賞)など多くの実績を残す。1997年には映画美学校を設立、2005年には東京藝術大学映像研究科の新設に尽力するなど、堀越氏の映画人材育成への貢献は計り知れない。
(18)ジャン・リュック・ゴダールはフランスの映画監督。いわゆる「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手である、批評家として映画と関わり始めたゴダールは、1959年『勝手にしやがれ』で長編映画デビューすると、一躍スターダムにのし上がり、以降現在に至るまで第一線で映画製作を続けている。代表作は『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』『ゴダールの映画史』。