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【観劇企画取材】福井健策先生(弁護士)


【オーファンワークス】

このコストが極限にまで高まったものが、いわゆるオーファンワークス(孤児著作物)というものになります。いくら探しても権利者が見つからない作品のことです。このオーファンワークスは、演劇に限らず過去の全作品の半数以上にのぼると考えられています。権利者の許可がとれませんから、これらの作品をアーカイブに入れることは「裁定制度」というかなりハードルの高い制度を使わない限り不可能です。もちろん、権利者が見つからないぐらいですから、市場ではとうの昔に無くなっています。あとは、死蔵され、忘却され、散逸していくのを待つのみです。やがては物理的にも、消滅が近付くでしょう。

 

――権利者が見つからなくて、作品が死蔵されてしまうということですが、これに対して、例えば国立国会図書館があらゆる書籍の納入を受けて保存しているように、アーカイブ事業を行っていく動きはあるのでしょうか。

 

動きはあります。元々、国立国会図書館そのものが、著作権法31条2項によって無許可でのデジタル化を認められています。これに基づいて国会図書館は書籍を中心に所蔵資料のデジタル化を進めていますが、所蔵資料には書籍のみならず映画フィルムやレコード・CDもあるので、理論上は国会図書館が全てをデジタル化し、一定の制約下で公開することが可能です。

問題は国会図書館そのものの予算です。いわば日本中のあらゆるアーカイブの総本山でありながら、デジタルアーカイブのために使える予算は年間で一億円にも満たない。アーカイブ事業のための制度作りはまだ今後の課題という状況です。世界各国が熱心にアーカイブ事業に取り組みつつある状況ですので、日本も十分な予算・人手・ノウハウを投入することが求められるでしょう。

 

【著作権とビジネスモデル】

――現行の著作権制度そのものに対しては、どうお考えでしょうか。

 

演劇の上演という観点で言えば、それほど不満はありません。著作権法38条1項は、「非営利目的で観客から入場料を集めなければ、他人の作品を上演・上映・演奏・口述することは可能」だとしています。ですから学生やアマチュアの方が入場料を集めずに既存の作品を上演することは可能だということになります。入場料を集めて上演するには許可が必要となりますが、これはバランスとしてやむを得ないと思います。

ただ他の分野では、権利が強すぎて流通を阻害している場合があるのは事実です。というのも、現在の著作権の仕組みはデジタル時代以前に設計されたものだからです。これまで、文化産業或いはコンテンツ産業と呼ばれているものは、コピーを販売することで成立してきました。新聞・書籍・レコードというコピーを販売し、その代金を集めて生活の糧として、次の作品を創る。このようなビジネスモデルを支えていたのが、現行の著作権制度です。その本質は、誰かの作品をその人に無断でコピーしてはならない、というところにあります。これによって、コピーをコントロールすることで、コピーの販売で生計を立てることが可能になります。

しかしこの仕組みは、インターネットの普及によって崩壊しつつあります。お金を払ってコピーを買うことが減ってきてしまった。インターネットで作品が配信されることによって、コピーをコントロールすることが困難になってしまった。すると、これだけ流通が自由になっているのに、コピーを禁止することに本質を置くのは非現実的だという批判が高まってきます。ですから、著作権を全く不要だとするわけではありませんが、たとえば許可を不要として、その代わりに使用されればお金が返ってくるというような仕組みが主張されています。現行の制度が一度に無くなればどれほど多くの人が失業するかということは手に取るように分かりますから、簡単には今申し上げたような立場には立てませんが、そういう視点が出てくることは理解できます。

ですから、保護と利用のバランスというものを考えた場合に、それを現行の制度よりも利用の側に傾けるという意見は現在有力化していて、私もそのような議論の場によく参加しています。特に先ほど言及したオーファンワークスなどは、そのような意見が妥当する典型的な場面だと思います。

 

――今のお話ですと、演劇というものは初めから、著作権制度が想定するコンテンツの形態とはずれているということになりそうですね。

 

その通りです。伝統的に著作権についてやかましくない業界と、より厳格な業界とがありますが、演劇や現代アートは前者に、レコード産業や出版業界は後者に分類できます。これは心の広狭の問題ではなくて、ビジネスモデルの違いですね。レコード産業や出版業界はコピーを販売することで成り立ってきましたから、そのコピーを勝手にばらまくという著作権侵害に対しては厳格に臨むことになります。一方で演劇は、戯曲がコピーされて配布されたとしても、劇作家の収入源には大して影響しません。彼らはコピーを売ることで生計を立てているのではない。公演を行い、入場者から入場料を取ることで生活の糧とする。ですから、彼らも劇場に無断で忍び込もうとすれば厳しい態度で臨んでくることになります。

もちろん、演劇にも、第三者による上演を自由に許さずお金を取るための、上演権という仕組みが関わってきます。ですから、『レ・ミゼラブル』や『キャッツ』『オペラ座の怪人』といった世界的なミュージカルは例外的に、著作権に厳しい。世界各地の上演によって莫大な収益を得ていますから。しかし、舞台の世界でこのように第三者からの上演料収入を当てにしているのは、ごく僅かな例外です。

このように、ビジネスモデルの違いによって著作権への態度も変わってきます。デジタル時代の中で、コピーを囲い込んでお金を稼ごうとするビジネスモデルが危機に瀕する一方で、ライブイベントの側は寧ろ売り上げが伸びていますが、このことも先ほど申し上げた著作権制度の変革の動きとも重なってくることになります。

 

――ここまでのお話は、複製芸術か一回性の芸術かという分類に則っていたと思いますが、それでは、芸術的価値を自立的に捉えるジャンルと、芸術的達成=金銭的利益という大衆芸術的なジャンルとの二分法で考えた場合は、どうなるのでしょうか。

確かに、マンガは大衆芸術だとも言え、売り上げが大きい分だけ著作権には厳格になる。一方で純文学であれば、そもそも売り上げが少ないので著作権への関心は少なく、寧ろ無料で読まれてもいいから、大学の先生に書評を書いてもらったり、講演に招かれたりする方が喜ぶかもしれませんね。ただ演劇の場合は、大衆演劇と高尚な演劇の区別自体難しいし、いずれにしても、どちらも著作権には厳しくない。ですから、大衆性か芸術性かというファクターは、著作権に対して決定的な影響を持つとは言えませんが、市場での需要の大小に応じて合理的な行動が変わるのは確かだと思います。面白い視点ですね。