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【観劇企画取材】福井健策先生(弁護士)


【演劇を如何に後世へ保存するか】

とはいえ、映画なら二、三十年前のものでも普通に観られるのに、舞台の世界では二、三十年前が太古に等しいというのは、流石に寂しい。後世へ伝えることも出来ないし、過去のものをどんなに恋焦がれても、観ることが出来ないのですから。

例えばこの春『春琴』という、イギリスのサイモン・マクバーニーさんの作った舞台が世田谷パブリックシアターで上演されましたが、4回目の上演でこれが最後だと言われています。というのも、ヨシ笈田さんというパリ在住の八十歳の名優がもうこれ以上この作品の舞台に立つのは無理だろうと考えられているからです。本当に掛け値なしに素晴らしい舞台なのですが、恐らくあれを観ることは我々も他の人たちももう出来ない。そのことは、取り返しがつかないのだけれども、やはりなにも残らないのは余りに寂しい。たとえその舞台の3分の1しか再現されてなくても、何か残っていて欲しい。また誰かがその記録から学んで再演しようと思うかもしれない。だからこそ、演劇を記録することの必要性もあるのではないかと思います。

今までは時間的な話をしましたが、実は空間的にも同じですよね。「世田谷パブリックシアターほか全国3箇所で公演します」と言うことは逆に、日本全国のほとんどの人がその公演を観られないことを意味するわけです。世界的な作品でも、ニューヨークやヨーロッパの都市で公演しても、世界全体では大半の人たちが観られない。しかし、出来るだけリアルに感じられるような映像という形で残り、そしてネット上で誰でもアクセス出来るようになっていれば、多くの人がそれに触れて、不完全でも何が行われていたかは知ることが出来る。そしてその感動の一端を共有することが出来るかもしれないですよね。

以上はライブイベントそのものを残す試みについてですが、アーカイブというものはもっと広範にわたります。例えば、戯曲の、照明装置の、舞台図面の、そして衣装のアーカイブというものも考えられる。また、いつ上演し、何人が観劇し、誰がキャスト・スタッフであったか、というメタデータのアーカイブも考えられますね。かつて誰かが何かをやった痕跡のようなものを除いて、資料が何もかも散逸してしまっていることはしばしばです。ライブイベントの大半はこの状態で、再演して別の形で甦らせることすら出来ませんが、それでは余りに惜しい。ですから、ライブイベントのデジタルアーカイブは不可能だけれども必要であり、まだまだ出来ることはいっぱいあると思います。