終わりに
BLT駒場のまとめに代えて、BLTにかかわったスタッフの感想を掲載いたします。
感想は、楽しかった、これに尽きます。
BLへの愛あふれる両先生のお話、さらに事前取材で聞いた腐女子/腐男子の声を思い出すと、今でも口の端が、ニヤリとなってしまいます。当日の会場の得も言われぬ一体感、あんなに会場が一つになっていた講演会も珍しい、とのお言葉を頂き、確かにそうだったなぁ、と思い返しています。
このBLT駒場で私たちの「萌え」の核心に迫りたいと思っていましたが、眼前に広がるBLの世界が更に広くなってしまって、逆にもっと何とも言えなくなってしまいました。算段が甘かったようです。
何より違いを感じたのが楽しみ方、着眼点です。
松尾先生は自身の解放の場としてBLを読んでいましたが、同じように男女の格差が存在しない恋愛としてBLを好む人ましたし、完成度の高い作品を純粋に芸術作品として楽しむ人もいました。
江路先生は二次創作でしかできない技法で作品を更なる創作物に昇華し、ある人はコスプレを通じて作品世界に深く身を投じています。楽しみ方が異なれば着眼点も変わっていきます。
着眼点が異なれば、作品に求めるものも大きく変わっていきます。その多様性の中でも傾向を見いだせればよかったのですが、そううまくはいきませんでしたね。となると、これほど多くの楽しみ方を受け入れてくれるBLの懐の深さを答えとすべきでしょうか。しかし、カップリングの受け攻めの組み合わせ次第で、サークルの間に緊張が走るなんてこともありますから、一概にそうとも言えません。これはまだまだ追及していく余地があるということなのでしょう。
一点確信を持つに至ったことがあります。萌えの形は変化していく、ということです。
オリジナルBLでもJuneに見られた耽美路線から、近年のポップなもの、さらにここ数年の傾向である芸術色の強い作品たち。二次創作では常にジャンルの流行り廃りが存在します。トピックだけではなく、人々のBLへの姿勢も変わっていきます。
ひと昔前はもっとBLへの感情を秘める人が多かったと思います。そしたら、このようなイベントを開くことすらできなかったかもしれません。イベントの題材としてBLを取り上げられるのも、姿勢の変化の表れと言えるでしょう。
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一人のキャラクターや一枚のグラフィック、一つの作品をともに愛で、わかるわかる!、と萌えを共有して、語って笑って。ぱっと見腐女子/腐男子がこそこそ集まってにやにやしてるようにしか見えないかもしれませんが、語らってる当人としてはすごく楽しいですよね。
松尾先生のお言葉をお借りしますが、「やはりBLは楽しくなくては」
つくづくそう思った会でした。
松尾先生、江路先生に重ねて御礼申し上げます。
そして、当日に至るまで協力してくださったぶどううり・くすこ様、cafe801様、何より当日ご来場くださったBL大好きなみなさま、ありがとうございました。
BLT駒場スタッフ 植田裕基
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東大でBLの講演会……一体どうなってしまうんだろう……
猪突猛進の末開場を迎える瞬間、一抹の不安が過ぎった。
しかし、腹を括って入った教室には、学内外からたくさんの男女が集まって下さっていた。
冷やかしかとも思ったが、お話の中で上がる作品名の一つ一つに歓声があがるなど、かなり「レベル」の高い腐女子腐男子が結集していたようだった。
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さて、本講演のテーマは「BLのニューウェーブを考える?BLの萌えは変化していくのか??」であった。
その根底には「BLに対する萌えとはどのようなものなのか」「BLへの萌えに普遍性はあるのか」という、よりオリジナルな問いがあったのだが、参加してくださった皆様や記事を読んでくださった皆様はどう思われただろうか。
ここでは私なりの解答を一つ示したい。
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私はBLとは「解放」だと思った。
それは男女の恋愛関係に潜む性差からの解放であり愛仕方のステレオタイプからの解放であり、現実からの解放である。
BLに萌え、妄想することは自由な人間関係を脳内で構築することなのではないか。
私達はふと自由な関係性に触れることで(あるいは勝手にそう思い込むことで)幸せになれる力をもつ幸せな存在である。
初対面の集まりであるにも関わらず謎の一体感とともにアツく盛り上がったBLTeatime in駒場も、恐らく愛すべき一般大衆からすれば意味のわからない集会にすぎないのであろう。
そう思うと腐っていることがとても素晴らしいことに思えてはこないだろうか?
共に盛り上がれる、そういう意味での普遍性はあると私は思っている。
しかしいかんせん萌えの対象はあまりにも多様であり、中にはすぐに廃ってしまうものもある。
それでいいのだろう、というのが私の結論である。
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だって私達は萌えがないと生きていけない生き物なのだから!
BLT駒場スタッフ 馬場絢子