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BL Teatime in 駒場


第一部・オリジナルBLの萌えって 松尾慈子先生

松尾先生、第一部
こんにちは、朝日新聞の松尾と申します。よろしくお願いします。漫画について話したことはあったんですが、BLについてのみ話してください、というお話は初めてだったので、みなさんテーマを許容していただいたうえでご参加いただいているということでよろしいですか?あんまり好きすぎてちょっと暴走するかもしれませんが……司会の方止めてくださいね(笑)

<紹介作品>

『トーマの心臓』 萩尾望都

『一限はやる気の民法』 よしながふみ

『真夜中を駆け抜ける』シリーズ 依田沙江美

『Going To Hell』 つづき春

『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』 水城せとな


頭を殴られるかのような衝撃-『トーマの心臓』萩尾望都

私が初めて出会ったのはBLと言いますか、最初に心を奪われた漫画が萩尾望都先生の『トーマの心臓』なんです。ドイツのギムナジウムを舞台にして、トーマという少年が、優等生のユリスモールへの愛をつづった遺書を残して自殺してしまう所から物語が始まる、名作中の名作です。古本屋で中学一年生の時に出会ったのですが、心をわしづかみにされちゃって、毎日毎日その頃は読んでいたんです。

私の心を惹いたのは何だったのかなと思うと、それは作中の少年愛ではないんです。『トーマの心臓』は、私が出会った一番最初の、自分のアイデンティティに悩んでそれを探し求める作品だったからだと思うんです。小学生のころは健全な少女漫画を読んでましたので、自分とはどうあるべきかとか、まったく考えたことなかったんです。そんな茫漠とした少女時代を過ごしていたので、頭を殴られるかのような、心奪われる思いで『トーマの心臓』を読みました。一番胸に来たシーンは、オスカーが

「どうして死にいたるほど愛せる?ぜったいにかんたんなことじゃない。トーマは本気できみ(ユリスモール)が好きだったんだと思うよ」

と言って、「愛とは何だろう」と優等生のユリスモールが悩むところですね。

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女性性の抑圧の解放の場として–『一限はやる気の民法』よしながふみ

よしながふみ先生は今や『昨日何食べた?』と『大奥』で有名ですけど、よしなが先生はつぶれる前のB-Boyでよくお描きになっていて(会場笑)、あ、よかった、わかってくださるんですね!!それで私とても好きなんですが、ぜひ紹介したいのが『一限めはやる気の民法』です。よしなが先生の嘘がなさそうで、「あ、そうなんだろうな、本当にあるんだろうな」と感じさせるところがいいんです。

主人公の田宮くんがセクシャリティについて悩むシーンがあるんです。そこがつぼですね。「俺は女が好きじゃないだけで、ゲイじゃない。俺は違う、俺は違う」

と不良の藤堂に迫られて電車の中で一人悩むというシーンです。

私はここに共感するなぁとしみじみ思ったんです。田宮君は自分の性の対象が男であることを認めたくないんです。

ここで、BLに私が傾倒した理由がふと思い浮かびます。私は女性性の抑圧を感じていたからBLに走って行ったんじゃないかなぁと考えています。

BLならば男同士だから、対等であるか否かを考えなくていいんです。ですが、男女の間で対等な関係はあり得ず、女性が自らを解放できないのは男性の方が上位に存在するという意識があるためではないか、と漠然と考えていました。だからその抑圧を解放する場として、BLを求めて行ったんじゃないかと私は思いました。

女性はある程度感情を抑圧しなくてはならないんです。家庭に入れば家族全員の感情のクッション材となって、子供が怒れば子供の怒りを受け入れ、お父さんのわがままはお父さんのストレスとして受け止めています。それで、女性って何だろう、という感情からBLに来たのかなぁと思います。

また、女性が男性から選ばれなくてはならない、男性に選ばれてこその女性、という強迫観念のようなものが、世の中に蔓延していて、なぜ男に認められないと女性として認められないのかなぁという思いが頭の中にあったのかも思います。選ばれるものとしての恐怖のようなものも背後にはあったと思います。

私、BL読んでて攻めと受けどっちが好きかって言ったら、受けの方が好きなんですよ。それは決して自分を受けに重ねているわけではないんです。私が攻めのように受けを愛してあげたい、というか、自分をどっちにも投影しつつ、受けを愛することで自分をもう一回愛しなおしてるのかな。そんな深読みもしています。

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リアリティあふれる大人の仕事ぶり–『GOING TO HELL』つづき春

これはもう絶版なのですが、大変良作なんです。これは早すぎたBL作品で91年から、5年か6年くらいという長い間連載していた、俳優同士のBLです。天才肌の葛生という俳優がいて、その三つ下の加浦という男の子が葛生の才能に心酔していくんです。ヘテロの加浦を男性性愛者の葛生が段々落としていくんだけど、同業者なのでお互いの才能を妬むところとかがあって、すごくリアリティがあるんです。葛生は、加浦が俳優として駄目になりそうだ、と思うと、葛生が加浦の女を寝取っちゃったり、加浦が葛生の演技をそのまま真似てみたりとか、大人が仕事をするということがきちんと描かれていると私は思いました。

加浦が自分の価値を見いだせない、という所がまたよくて、

「天才肌の葛生と比べて俺はなんて駄目なんだ、子役からやってんのになんだよ」

って腐ってるときに、自分に迫る葛生に

「なんで俺なの?」

と聞くシーンがあるんです。

他にも、BLの象徴的なところだと思うのですが、

「お前におぼれそうなんだけど、こんな俺はお前は好きじゃないんだろ」

って加浦が葛生に聞くところがあるんです。

「その通り、俺に溺れるような男は好きじゃないぜ」

と、葛生が拒むんです。その対等というか、お互いに戦う感じが私の心をわしづかみにしたんだと思います。

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相手が自分を選ぶのではなく、自分が自分を赦す–『真夜中を駆け抜ける』依田沙江美

これは私が本当に愛している依田沙江美先生の作品です。毎年有明に行っていたころは差し入れもしていたくらい大好きなんですよ!!

画家の勇気と編集者の昇が主人公です。勇気は才能があるが故にすごい浮気癖があって、それに昇はすごくやきもきしていて、「どうしたらつなぎとめられるかな」、と考えているんです。勇気が15歳、昇が17歳の時に初恋で出会って、大人になって別れて再会しています。

「いずれお前は俺に飽きる、その時俺はどうしたらいいんだろう」

と、昇がいうのですが、このような先まで見据えた大人らしい思いが好きなんです。

依田さんの作品に必ず出てくるテーマが「許容」というか「赦し」なんですよね。赦す相手は相手の男じゃないんです。このシリーズの三巻の『美しく燃える森』で顕著に出てくるんですが、昇が過去の自分の過ちを思い出して、赦してほしいと思うことがあるんです。ですが、許しを乞う対象は相手の男の勇気ではなくて、自分自身なんです。ヘテロ恋愛において相手が自分を選ぶのではなく、自分が自分を赦すのだというところに依田さんは常にテーマを置いていて、すごく好きなんです。

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どこまでが愛なのか、友情なんだろうか–『窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる』水城せとな

作者が「私が女で、ものすごく理想に近い形の女の人が迫ってきたらどうだろうか、とどこまでが愛なんだろうか友情なんだろうか、受け入れておけば愛なんだろうか」と考えて描いた作品です。登場人物がずっとずっと悩むということが、ものすごくリアリティーをこの作品に与えていると思います。

登場人物は大人で、きちんと仕事をしている、家族の事も考えつつ将来の結婚も考えつつ、そして恋の相手が男である、社会からドロップアウトするのではないかと悩み悩みやっていくんです。そして二巻目の『俎上の鯉は二度跳ねる』で、やっとくっつくんです。

『窮鼠は?』が出て、三年待って待って『俎上の?』が出て、もう買って帰った時友達がたまたま遊びに来てたんですが、「ごめん、30分ごめん」って言って待ってもらって、読み終わったときに、「ごめん語り合いたいんだけどいい?」って言ったんですけど、その子は普通の女の子で「ごめんよくわからない」って言われてすごくショックでした(笑)。

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時間がないので、もうここまでしか紹介できないんですが、あと私が今好きなのはですね、高永ひなこの『恋する暴君』、これがそろそろ終わりそうですよね。あと草間さかえとか、今市子も全部読んでますし、門地かおりさんも好きです。羽海野チカさんは今『三月のライオン』で大ブレイクしてますけど、『スラムダンク』のパロディをやってる頃から大好きで、むっちゃくっちゃお金かけて同人誌集めたんですよ!あと河井英槻さんの『王様と乞食』も好きですし、ヤマシタトモコも好きなんです!

ちょっと熱く暴走してしまいましたが、みなさんご静聴ありがとうございました。