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取材◆萩尾望都に聞いてきた


1 「家族」という「問題」

家族の抱える一番の問題は “支配” と “従属”

――萩尾先生は家族の葛藤をどのように作品に落とし込んだのですか?

萩尾 いやあ家族は手ごわいです。

家族の抱えている一番の問題は支配と従属ではないかと思うんですね。

わたしの実家の場合ですと権力の位置が親にあり、有無を言わせないですね。

友達が出来たというとその人の住んでいる場所や家について聞き、もしその友達の家がブルーカラーならばなんだかんだいわれて遊ぶことを許してもらえない。だからと思って一緒に勉強するというと、もし一緒に勉強した友達がいい成績をとったら損をするといわれ、一緒に勉強することも許されないんです。それくらい徹底して反対されます。親に悪意はないのですが……。

家庭っていうのは子供が安心して育つことの出来る環境で、世間の方が厳しい、とよく言われていたんです。けれど世の中に出てみると、仕事をしている限りにおいて家庭よりも全然厳しくないんですね。支配と被支配の葛藤から逃れることが出来て、なんて楽な世界なんだろう、本当に家庭は不思議なところだなあって感じました。

――支配と従属から解放されたという感覚を抱いてデビューしたのですか?

萩尾 早く家を出て、親のいない環境の中で漫画を書きたいというのが第一の夢でした。高校卒業後に進学したデザイン学校に在学中にデビューをしたので、その時はまだ実家にいました。だからまだ養われている身でしたので、親との間に契約のようなものがあって、仕事の時間や手伝い、食事や風呂などは全て決められ、干渉されていました。マイペースではいられないんですね。だから、洗濯や炊事は自分でやるので、いつ寝てもいつ起きてもいつ漫画を描いても許される自由な生活したいと思っていたんです。

家族の50%は得体のしれないもので出来ている

――萩尾先生にとって家族というのは、肯定できる、もしくは肯定されるべきものなのでしょうか?

萩尾 人間の子どもが親に保護されないと育たないという形で生まれてくる以上、やっぱり家族がいないと生きていけないから、とりあえず家族があるのはしょうがないから認めよう、というかんじですね。育ちながら自分で学んでいくしかない。自分が学べる相手というのは親だけじゃないし。最初は家族の中で過ごすにしても、本もあるし、友達もいるし、周りにいろいろある。その中からたくさんの価値観を学んでいけばいいと思う。

家族は100%いいものというわけじゃない。50%ぐらいはいいものでできているかもしれないけど、残りの50%は何か得体の知れないものでできている、というかんじです。悪いときには虐待とかも起きちゃうし。でも大抵の家族では、親の影響を受けながら、考えたり反発したりして、曲がりなりにも子どもが育っていく。

そして、それでいいんじゃないかなと思います。それで、もういっぱしに口が聞けるぐらいの年齢になったら、親があまりに理不尽なときには、親を説得できるぐらいのコミュニケーション能力をなんとかつける。そしてなんとか家族の問題の嵐を切り抜けていく。嵐ばっかりあるわけじゃないんですけど(笑)

完璧な親なんてどこにもいない

――『残酷な神が支配する』で、ジェルミがイアン(*1) に、「子供を親に育てさせちゃいけない」(*2)と言うシーンがあります。それは先生にとっての実感だったのでしょうか?

萩尾 親のこどもに対する愛情ってのは、ある種非常にバランスが悪いと思うんですね。完璧な親ってのは、どこにも居ない。でも人間という生き物はどうしても未成熟で生まれるものですから、保護されないと、精神面も行動面もうまく発達しない。ただし、ある一定時期になると、親からは別人格として、自立しないといけないという精神構造になっていく。子供のほうも、親のことを100%頼っていく時期から、だんだん、ちょっとこいつは…っていう反抗期にうまーくスライドしていかないと、大人になって付き合えなくなっちゃう。

ジェルミの場合は、育てられ方に失敗してしまったんです。お母さんの意のままになろうと思って、自分を投出してしまったんだけど、本当はもっと強くならないといけなかった。でも、「親に子供を育てさせてはいけない」というきつい言葉も、彼が母親のサンドラから、一歩一歩抜け出すための一言になっている。

(*1)『残酷な神が支配する』

1992年―2001年にかけて『プチフラワー』誌で連載された萩尾望都の最長編。15歳の少年ジェルミは母と2人で暮らしていたが、母・サンドラの再婚によりその日常は一変する。再婚相手のグレッグはサンドラの幸福を楯にジェルミに肉体関係を迫る。追い詰められていくジェルミ。そして彼の告白を聞きながらも一度はそれを否認してしまう義兄、イアン。この2人を軸に、萩尾望都は「愛」「理解」と名付けられた暴力、それに絡め取られていく人間たちの姿を描き、その上で暴力や依存の形をとらない愛や理解、再生の道を探っていく。

(*2)「子供を親に育てさせちゃいけない」

『残酷な神が支配する』(小学館文庫) 第10巻 p.291


サンドラはジェルミにお別れのキスをする

――『残酷な神が支配する』のラスト近くに、ジェルミが墓地に行って、サンドラに殺人を告白すると、サンドラの亡霊がジェルミを抱きしめてキスをする、というシーンがあります。その後ジェルミはイアンに「殺人者でも人を愛することを試みてもいいのだろうか」と言います。そのサンドラの亡霊との邂逅は、ジェルミにとって、自分は愛されていたという証になっていたのでしょうか?

萩尾 あれは、お別れのキスなんです。お母さんに告白するというのは、お母さんに別れを告げるということと一緒。見えない何かでお母さんに支配されていた状態から抜け出すんです。

お母さんがお墓から出てきてキスするんですけど、実は私にもどうして出てくるのかわからないんですよ。でも、イメージの中ではどうしても出てきてしまう。これは、サンドラがジェルミに許しを求めているのか、告白しても許さないわよと言っているのかどっちだろうと思いながら描いていました。未だに実は分からないんです。どっちなんでしょう。両方かもしれない。

――そのシーンでサンドラは微笑んでいますよね

萩尾 そうでしょう。怖いでしょう私も描きながら怖いな…と。私にも、サンドラが何を考えているのかはよくわからなくて。

(一同笑)

2漫画という芸術

漫画は紙とペンさえあれば誰でも描ける。だから面白い。

――今日のマンガのあるべき姿についてお聞きしたいのですが、マンガが日本人の誇るべき文化といわれる一方で、「漫画は子供の読むべきもの」として下に見たり、都条例のように漫画を規制しようという動きもあります。そういった状況を乗り越えて、マンガは万人に受け入れられるものになり得るのでしょうか?

萩尾 表現の形態としては、いいものができれば皆が読んでくれるということなんです。いろんな表現のジャンルが、出来た時から完成されたものではなかったし、いろいろ変化してきたものだし。だから色々な見方があると思います。ストーリー漫画というのは、戦前にもありましたが、手塚先生が始めたような構図の取り方とか展開っていうのは、また新しいやり方として戦後に生まれたんです。能とか狂言とか歌舞伎とかも、平安室町には河原者がやる物として軽んじられていましたが、今はどれも芸術として認められています。やっぱりあのくらいの年月がかかるんだと思います。

――時代を越えて読み継がれていく中で、洗練されていく?

萩尾 そうですね。やはり、感動を呼び覚ますと変わりますね。訴えたいことをもっている人が、この世界に入ってくるんです。

特に漫画で面白いのは、紙とペンさえあれば誰でも描けるので間口が非常に広いってことなんです。絵を描くのに、デッサンが完璧に出来てなければならないってこともないし、ストーリーも完璧でなければならないってこともない。その分玉石混淆というか、いろんなものが出てきてるんです。そこが面白い。ある時は都条例みたいにバッシングにも遭います。手塚治虫先生でも、若い頃は漫画は悪書だと言われ、PTAで全部燃やされたという伝説もあるくらいですし。けれどそれだけ影響力は非常に大きいのだと私は考えています。

読んだときに呼吸が伝わるように漫画を描く

――オペラやバレエなどの観劇で得たインスピレーションを作品に昇華させることはあるのでしょうか。

萩尾 うまく何かやってくれば役に立ちますが、それがどんなふうにやってくるかは分からないんですよ。バレエは好きでよく見ていましたけど、バレエものを描こうと思ったのは舞台を見ていた時というより、レッスン風景を見に行ってからなんです。みんなレオタードを着て、バーに並んで、音楽に合わせて同じように踊っているんですが、なまじ役割が決まっているわけではないので、ダイレクトに個性が見えるんです。ぽーっとしている人であるとか、神経質そうな人とか、それがすごくおもしろいなぁと思いまして。

――バレエやオペラといった三次元的芸術を二次元の平面に映すと、どうしても動きが止まってしまいますが、先生の描くバレエ漫画(『ローマへの道』(1990)、『フラワーフェスティバル』(1988,1989)等)はすごく躍動感があります。描く際の工夫やポイントはあるんでしょうか。

萩尾 舞台って動いているじゃないですか、音楽と一緒に。いい舞台って、呼吸と一緒に展開するんですね。呼吸と展開した雰囲気のようなものをここ(作品)に持ってきて、これを読んだときに呼吸が伝わるように描いています。ネームができると自分で読んでみて、呼吸伝わっているかなって考えます。コマのここを2ミリずらしてみたらどうだろう、あ、呼吸出た、とかって試してみるんですね。うまくシーンが描ける時って、画面が自分ともすごく呼吸が一致していて、乗ってるって言うのがわかるんです。逆の場合もありますが(笑) 空気を描こうと心がけています。