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取材◆萩尾望都に聞いてきた


4私たちの世界は絶対ではなく不安感を含んでいる

原発事故が起きてから、じゃあどうしたらいいのか、考えなくては前に進めないと思った

「flowers」8月号に掲載された、『なのはな』を読ませて頂きました。先生が原発事故についてお描きになったのはどのような思いからでしょうか。

萩尾望都(以下、萩尾) 3月11日に、私はちょうど埼玉県の家にいました。東京直下かなと思いながらTVをつけてみましたら、しばらくして大津波の映像が映って。日を追って刻々と原発の情報も入ってくるし、信じられない、というような思いでした。

そのあと、4月の始め,原発に非常に詳しい女性の方に、チェルノブイリでは土壌汚染を改良するために麦とかひまわりとか、なのはなだとかを植えているそうですよ、ということを聞く機会があったんです。何年もかかるけど土壌が改良されるらしいんですね。原発の事故が起こってすぐに菅さんは、もう福島の避難区域に人は10年は住めないだろうと言ってマスコミなどに大批判されましたけど、私は、なぜ批判するのかな、えっ、これは言ってはいけないの? って思ったんです。でも,きっと,避難した方々にとってみれば,今聞きたくはない言葉だったのですね.住めないけれど、でも住めないなんて、あんまりだ、じゃあどうしたらいいのか、ということをなんとか考えなきゃ、前に進めないと思ったんです。

それならやはり土壌汚染を何とかしなければいけない。しかも菜の花は福島でも非常に広域に咲くらしい、じゃあそのイメージで、とダイレクトですけれどああしてひまわりとか麦とか、なのはなを植えるっていう話を書かせて頂きました。

――『なのはな』は再生のあり方を描いていますが、同時に「再生」に向かう人たちの思いを描きたかったのでしょうか?

萩尾 私は福島の原子力発電所が爆発してから、ものすごく落ち込んでしまったんです。爆発した後すぐに、枝野さんがこの地域の人は避難することになりましたって発表しまして、その範囲がすぐに広くなりましたよね。その時に管さんが追いかぶせるように、十年は住めなくなるだろうってコメントしていましたが、じゃあどうしろっていうんでしょうか?生活も何もかも奪われて。何とかしてよ!それはあんまりじゃないですかって感じがして。誰かの首を絞めて何とかしろって叫びたくなりましたよ。私短気なんですよ。だから自分の怒りを鎮めるためっていうのもあって、『なのはな』を描きました。

10万年とどう付き合っていけばいいのか

――『プルート夫人』(「flowers」2011年9月号)では、半減期の長さが強調されていましたが、先生が一番衝撃を受けたのはその点だったのでしょうか?

萩尾 永遠に無くならないことですよね。

『100,000年後の安全』(http://www.uplink.co.jp/100000/)という映画があって、その十万年というのはプルトニウムの半減期が2万4000年で,さらに半分ずつ減って行ってほとんど無害になる歳月を表しているんです。もっと長い半減期もあるんですが、プルトニウムは原発によって大量に出るものなので、この十万年とどう付き合っていけばいいのか…

私たちは電気を使うことで産業を発達させ豊かな生活を送っている。でも電気の一部分を作るウランから発生する、プルトニウムをどうするかっていうことについては、まだ多くの人が真剣に考えてないんだと思うんです。誰かが考えるんじゃないかって思ってる気がする。

人間ってわりと能天気なもので、やはり飛行機がいくら落ちても、「自分の乗ってる飛行機は落ちないから大丈夫」って思ってしまう生き物なんです。私も福島の事故が起こるまでは、日本の技術者ってすごいって思ってましたから。楽観的にならないと何もできなくなってしまうんですよね。

――あの語り口で原発の話に踏み込むのはとても新鮮でした。

萩尾 真面目に話してもつらいですからね…

大地震がダイレクトに来て、楽しい話が一時期考えられなくなってしまいました。

地震は復興すれば1年で直る可能性はあるけれど、原発の事故は10年では変えられるとは限らないですよね。戻らないんです。永久に続く。どうするんだろうかと思ってしまいます。現地の人に知り合いがいるわけではないのですが。特に年配の方々の気持ちを想像してしまいます。その土地で育ち働き結婚し半世紀以上住んだ人はもう流浪の旅、迷宮にさまようようですよね。オペラで言えば『さまよえるオランダ人』といったところでしょうか、まさかこのような事態がくるなんて…

私たちの世界は絶対ではなく不安感を含んでいる、ということを書くSFが好き

――先生がSFをお好きな理由というのは、遠くを見ているはずなのに人間の営みは変わらないというところにあるのでしょうか?

萩尾 それもありますが、他にも…私の生きてきた時代の空気は、法律主義が第一で、無駄なものは切り捨ててみんなが幸福になるために頑張っている、というものだったんですね。でも非常に息苦しいんです。私がSFで一番好きなのは、ディック (*6) やブラッドベリ(*7)の描く悲しく崩壊していく社会なんですが、滅びの美学とでも言うのか、なんだかそっちのほうに惹かれちゃう。

頑張って貯めこんで、まだその世界には未来を信じている人もいるのに、隅の方から砂みたいにさらさらと崩れていく。そういう匂いというか味があるもの。

――萩尾先生の作品にも儚さを感じるのですが、そんな匂いを描きたくて?

萩尾 そうですね。逆にそういうものを描くことで、なにか自分を安心させているのかもしれないし。

私たちの世界というのが、絶対ではなくて不安感を含んでいる、ということを私は感じるんだけど、日常ではそれが見えないでしょう。

けれど実際はどっかで壊れていっているんじゃないか、ということを描いているのがSFなわけで、だからそれを読むと逆に隠されていたものが見える気がして安心するんですね。

原発だって「絶対安全」と言っていたけれど、でも…という事態になっている。「でも」の世界をSFで見て、「そう、起こるかも しれないよね。ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(*8) みたいな世界だってくるかもしれないよね」と思って自分の抱えている「こればっかりじゃないんじゃないかな」という感覚に安心するかんじですね。

取材写真1
(*6) ディック

Phillip K.Dick(1928〜1982) アメリカのSF作家。代表作に『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』『高い城の男』などがある。
(*7) ブラッドベリ

Ray Bradbury(1920〜) アメリカのSF作家。代表作に『火星年代記』『華氏451度』などがある。美しい文章で未来の世界の儚さを描く。

萩尾望都もブラッドベリの短編を選び『ウは宇宙船のウ』として漫画化している。

(*8) 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年)

舞台は放射能に覆われた地球。多くの人類が地球の外に移住する中で、地球に残った男は火星から逃亡してきた8体のアンドロイドを処理しようとする。

終わりに

萩尾望都が口にした「人間が理解しあうのは本当に難しい。なまじわかりあえると思わないほうがいい」という冷たい決意のようなことば。しかしそれは単なる諦めではない。その後には「たまに奇跡のようにわかりあえる瞬間がある」と続く。

他者を理解するのは不可能である。しかしだからこそ、時に訪れる、人とわかりあうことができる瞬間は、うつくしい。これこそが、青臭くも「人は理解しあえない」「人間は孤独だ」という真理に気付き悲しんだ中学・高校時代の私に、萩尾望都やその他の少女漫画家が教えてくれたことだ。

他にも、萩尾望都は人間の複雑さについて・社会の抱える矛盾について妥協せずあくまで論理的に考え続ける―優れた創作者なのだ、ということが、私たちの拙い質問に言葉を選びながらゆっくりと答えてくださったその姿勢からひしひしと伝わってきた。とても素敵な時間だった。

小林 瑛美

2011年8月29日 池袋 皇琲亭にて