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取材◆萩尾望都に聞いてきた


3 萩尾望都の描く「愛」

男の人は本当に大人になったのか?

――先生の『マージナル』(*3)などの作品では母性のような存在による再生が強く描かれているように感じました。萩尾先生にとって、母性というのは大きなテーマの一つなのでしょうか?

萩尾 私はもっと、母性というものは信じてもいいんじゃないかと思うんです。女の人の強さはどうもそこから来てる部分が大きいんじゃないかなと、「マージナル」を描きながら思ったんです。あの、イケメンばっかりの、女の出てこない作品ですけど(笑)

「マージナル」を書く前に、男性ホルモン女性ホルモンについて調べようと思い、何冊か本を読んだんです。その本によると、副腎のそば、つまり子宮のそばにある場所から出てくるホルモンの活動が、第二の脳だと言われるぐらい、活発だったそうです。「女は子宮で考える」という言い方がありますよね。だから女は感情的なんだ、と非常に悪い意味で使われるんですが、これは逆じゃないかと思ったんです。つまり、本能で考えるからこそ、これは正しいとわかることが結構あるんじゃないかと。
萩尾 世界の宗教というのは、最初、母源的というか、女の人が神様ってところから始まるんですけど、それが途中から、男の人が神様と呼ばれるように変化していくんですね。キリスト教もそうだし、仏教もそうだし。その変化の時に、神話の中で必ず男の人は竜退治をするんです。須佐之男命が八岐大蛇を退治したり。ジークフリートがファフニールを倒したり。竜っていうのは、巻きついて子供を飲み込んでしまう母親のイメージなのだそうです。それを克服して、男の人は一人前に、つまり人間になる。それを助けるために宗教というのはあるんだと。イスラム教もキリスト教も仏教も、男の人を助けるための宗教なものですから最初は女性参加を認めていないんですね。男はアイデンティティを確立するために、宗教的な概念が必要だったと本には書いてあったのです。

――つまり、母の象徴である竜を倒さなければ、男は一人前になれないということですか?

萩尾 そう、そうしなければ自我の自立ができないというね。

原始アニミズムの宗教、女が支配してる時はどうだったのかというと、男の人は大人になれなかった。もちろん、成長もするし、髭も生えるのに。物語として伝えられているものに、宗教催事として、畑に作物を実らせるために少年を連れてきて切り刻んで肉片をまいてそこから芽が出る、というものがあります。女の人が子供を生むために、そのぐらいしか男は役に立たないという、切り刻まれてしまうような存在だったんですね。その世界が終わって、男の人は大人になったわけです。本当に大人になったのかな?というのが最近考えてることです。

(一同笑)

(*3)『マージナル』

1985年〜1987年にかけて連載されたSF作品。汚染された海と不妊を引き起こすウイルスにより静かに消滅に向かう世界。その世界は、ただ一人の聖母マザと彼女の生んだ数万の息子たちから成ると信じられていた。だがそのマザが祭礼の日に暗殺されてしまう。
女のいない、男だけのこの世界で生命の営みは続いていくのか?

取材写真3

ボーイズラブを読んで愛に浸る

萩尾 男の人がいる前で話すのはちょっと照れくさいのですが、ボーイズラブっていうジャンルがありますよね?

あれが世の中を席巻したときに、すっごく不思議で、どうして女の人は男女の恋愛ではなく、男同士のものを読みたがるのか、読んでる人を捕まえては聞いて、書いてる人も捕まえては聞いてしていたんですよ。そしたらある審査会で、新人の原稿を見たときですが、男性二人がモラトリアムに生活している話があったんです。近所の仲良しで、いい大人で二人暮らしして、あるときはたらたらと団子を食べたり、ある時は絵を書いたりして過ごしている。ある女性審査員が「あ、これはBLだと思って読むと面白い」って言ったんです。でも別の高齢の男性審査員はBLを知らないから「BLって何?」って聞いたの。で、「男同士の関係が恋愛なんじゃないかと思って読んで楽しむんです」って言ったら、「ああ、ゲイか」って。そしたら女性審査員のほうは「ゲイじゃありません!女の人が、この二人は恋愛関係にあるんじゃないかって見て楽しむという女の人視点からみたものが、ボーイズラブというものです!」って言ったんです。そこで私は「そうか、確かにゲイじゃないわ。妄想を膨らまして楽しむものだわ」って気付いた。

何故女の人は妄想を膨らまして楽しむのかというところに、男女の恋愛のヒントがあるんです。今の世界では社会のシステムかなにかに縛られていて、飛躍した発想で人を愛せない。もっと自由に人を好きになり自由に恋愛をしたいというのは、現実では確実に無理だから、ボーイズラブで楽しむということだそうです。

――ボーイズラブには純粋な恋心が投影されていますよね。

萩尾 私、恋愛ものが読みたい時というのがあるんですが、日本の恋愛もの読むと、これがしっとりしすぎて味気ないんですよ(笑)それで海外のちょっと古目の18世紀19世紀の恋愛ものとか、後はボーイズラブを読んでみたりすると、たっぷり愛に浸れる。

愛、理解、赦し

――萩尾先生はいろいろな愛の姿をお描きになりますが、先生にとっての愛のイメージとはどのようなものなのでしょうか。

萩尾 いろいろありますけど、結局は「理解」と「赦し」かなぁ。

若いころって、すごい完璧な男性が現れて、私をさらってくれないかなぁ、という王子様願望とかがあるんですね。ところがだんだん歳をとってくると、親にしてもそうなんですが、完璧な人間などいないということがわかってくる。そうすると完璧でないことが許せなくなってくる。だけどそれを越えますとね、まぁそれはしょうがない、と思うようになるんです。自分の親だって完璧じゃないし、まず自分からしたって完璧ではないし、担当編集だって完璧ではない(笑)

――以前立花ゼミの取材を受けてくださった際に、『残酷な神が支配する』を「愛があればうまくいくなんていうのは、ユメなんだなあ」と考えながら描いたとお答えになりましたが(*4)、それでは愛のほかに例えば何が必要だとお考えですか。

萩尾 お金?違うか(笑) 何がいるでしょうかねぇ、それは非常に深い質問ですねぇ。リラックス?(笑) 私もすぐにはその質問には答えられないですね。みなさんも考えてみてください。

(*4)『二十歳のころ〈2〉1960‐2001―立花ゼミ『調べて書く』共同製作』 (新潮文庫) p.291

漫画を描いて理解の方法を探っている

??僕は萩尾先生の作品を読んでいると、それは「諦め」なんじゃないかと思います。『スターレッド』(1978,1979)や『午後の陽ざし』(1994『イグアナの娘』収録)『残酷な神が支配する』など、萩尾先生の作品は確かに救われて終わっても、完璧なハッピーエンドではなく、すべてが解決するわけではない。物語の中盤などで発生した問題は受け入れて、諦めて、残った愛などを頼りに生きていくような形が多いと思います。

萩尾 一頃「人間は幸福になるために生きているんだ」とかっていうフレーズがはやったんですけど、「じゃあ幸福になれなかったら、どうしたらよいのか」と思っていました。そしたらある本で、アウシュビッツに収監された方ですごいシビアなことを書く方が、「人間は幸福になるために生きているのではない、なぜならば、幸福になれなかったら死んでもいいということになってしまうから。幸福になるために生きるのではない。生きることそのものが大事だ」とおっしゃっているんですね。長い人生のスパンに幸福も不幸も愛もいろんなものがつまっていて、らせん状にいろんなものを経験しながら生きているんだろう。そう考えると、生き続けるためにはある程度諦めなくてはならないと思い始めたんです。

――萩尾先生の作品には、私たちが他者と関わるときに理解できているのは、その人のほんの一部であることが繰り返し描かれていますよね。

萩尾「みんなから嫌われているおじいさんは常に不機嫌だけど、その裏にはこういう事情があるのであって・・・」といったことを描いてるわけですね。

――確かに『残酷な神が支配する』でも、親から「自分の子供ではない」などと言われた過去を持つグレッグにイアンが思いをはせるシーンがあります。

萩尾 理解とコミュニケーションっていうのは非常に難しい。家族というものは自分と一緒に生活している人だから理解ができるはずの相手なんだけど、家族ですら本当に理解するのが難しい。だから漫画を描いて理解の方法を探っているって感じです。

なまじわかりあえると思わないほうが・・・たまに奇跡のように分かりあえる瞬間がある、と思った方がいいんじゃないかな。

愛=憎しみ

――『半神』(*5)でもそうですが、自分と一緒だったときには相手を激しく憎んだりするけれど、切り離されて初めて大きなものを失ったことに気づく。その悲しみというものが非常に強く押し出されていると思います。

萩尾 愛というものがこちらの端っこにあって、すごく愛してた。憎しみというものがもう一方の端っこにあって、すごく憎んでた。でも掘り下げていくと、どっかで一緒になっちゃうんですよね。表面では別々に存在しているけど、中が一緒。ほんとに人間って複雑ですよね。

日本は広島と長崎で原子力爆弾の被害を受けて、その後で「世界の核実験に反対する」というグループがいくつかできましたよね。でもその人たちは、海外の核実験反対の人たちの「日本は原爆の被害を受けているのに、どうして原発をあんなに作っているんだ」という問いに答えられなかったんです。要するに「原子力発電は核の平和利用だから原子力爆弾と同じものではない」というふうに途中で考えを切り替えたんですね。それで、こんなに大きな被害を受けたからこそ、原子力のエネルギーを平和に利用できるんだったらそれは素晴らしいことじゃないかと思って、私たちは原子力に頼る生活を始めた。そんなふうに言ってらっしゃる方がいます。

なんだかそれは、暴力的な父親の下で育った娘が「絶対にこういう男とは結婚しない」と思いながら、実際は暴力的な男と結婚してしまう、同じことを繰り返すという話を想像してしまう。

――過去に自分の身に起きたことを認めたくない、それを正当化したい、という思いが現在に影響を及ぼしているということでしょうか?

萩尾 そういうことになりますね。何か克服しようという思いがあるからそんなことになるんでしょうね。人間は体験内でそれを克服しようとするんだけれど、あれはあれ、今の私は私、と考えるには、やっぱり時間も自己分析も必要なのかもしれない。

日本は、これから原子力発電についての自己分析を部分的に始めたところです。まだどうなるかわかんないですねえ。

なんでそんなに原子力がいいのか、というのが不思議と言えば不思議。原子力発電というのは電力会社の試算ではそんなに安いわけでもないのに。水力でも石油でもガスでもいいのに、なぜ原子力なのかというのがわからない。しかも後始末も大変だし。だから風力とか太陽光で独占してもうけて構わないから、そっちでビジネスやってくれないかなあと。それとも25年とか30年に1回(事故が)起こるのを容認しながらでも原発を続けたほうがいいんだろうか。つまり、文明の発達にある、例えば交通事故のリスクと同じようなものだと思って。どうなんでしょうねえ。まだまだ,考えて行かないと。

(*5)『半神』

1984年に発表された短編。ユージーは双子の妹とユーシーは生まれつき腰のあたりで繋がっている。妹に栄養分が偏った結果醜い容貌のユージーはいつも、頭は弱いが美しいユーシーの世話をしなければならず、楽しみである勉強も妹に邪魔される。二人が成長するにつれてユージーの苛立ちはつのっていくが、ある日ドクターから二人の分離手術が提案される。「ユーシーと別れられるなら死んだっていい」とユージーは手術を受けることを決意する。手術から目覚めたユージーが見たものとは…。

たった16ページの短編であることが信じがたいほど濃密な物語が展開される。