過去の自分への「リベンジ」
―なるほど。宮脇さんもロックスターになりたいというところから、音楽講師やライターになりたいというところへと、ご自身の目標をシフトしていったと存じ上げております。そのあたりのご心境の変化についてうかがいたいのですが。
だって、自分より上手くて自分よりカッコいい人が現実にいっぱいいるんだなって実感したら、それを押しのけて「自分が。」なんて言うのがおかしいですよね、どう考えても。
―何歳ぐらいのころにそういうことに気付きましたか?
24,5歳ぐらいまではどっかで「自分もいつか主役として成功してやる。」みたいな感じはあったかもしれないですね。でもやっぱり、「どう考えてもスゴいんじゃない?」みたいなミュージシャンがいっぱいいるわけです。それも、テレビに出てるような人だけじゃなくて、裏方にもすごい人が沢山いるってことに気付かされたわけです。そこで「参りました。」って感じですね。僕もそれなりに勉強も出来て大学にもヒョイヒョイときた。そこにきて「肝心の、やりたい音楽の世界ではこんなに俺は劣等生だったのか。」っていうことに気付かされたんですよね。
―やはり、当時のショックは大きかったのでしょうか。
そうですね。今で言う渋谷公会堂のライブの当日、リハーサルでカッティングを弾いていたら、プロデューサーから「君のプレイはアマチュア以下だねえ。」って言われて。その状態で夜ステージに立っているみたいな。自分的にはもうどうしようもなかったですよね。そういうのが僕の20代には結構あったんです。昔、C.C.B.というバンドがありまして。「Romanticが止まらない」という曲を知っている人もいると思います。僕は、そのドラマーの笠浩二さんが、バンド解散後にソロ活動をしようというときのメンバーだったんですね。その当時のC.C.B.の人気はまだまだあって、2000人の前でステージに立つ仕事があるわけですよ。僕は、完全サポートではなく、準メンバーみたいな勢いで。僕も歌うし、MCもするような立場ですよ。そういったところで大コケして残念なプレイもやらかしちゃった訳です。そうするとさすがに自覚しますよね。
で、ポイントはね、「才能が圧倒的に欠如しているな」って自分で思ったあと、それを何とかしたいと思ったんです。僕の人生はいつもリベンジなんですよね。リベンジって言っても誰かにじゃないですよ。たとえば昔は力んだフォームで演奏していたけれど、リラックスした方がいいことに気づいて、それを人に教える。それで僕みたいな思いをしなくて済んだ人が増えるわけですよ。それで僕の力んでいたっていう過去が清算されたというか。プラマイゼロになったというか。それは他の言葉に置き換えると「リベンジ」なんですよね。
ミュージシャンは特別な仕事じゃない
―なるほど。教えるという仕事が過去の清算になるのですね。宮脇さんは教えることに興味を持ち、教員免許を取得されているとおっしゃっていました。しかし、ロックスターのように生きたいとおっしゃっていたわりには、少し堅実な人生のような印象も受けるのですが。基本的に僕は真面目っぽいんですね。ロックだと酒・ドラッグみたいな破天荒な生き方のイメージがあるじゃないですか。そういった背徳感に憧れていた面も確かにあってロックギターをやっていたんです。でもね、バンドの飲み会とかで店で暴れる奴らとか、僕は駄目なんですよね。そういう破天荒なものに憧れつつも、あんまりそうなることは望まないっていうのはありました。
やっぱり20代の前半から結婚するまで、演奏の仕事があるときもないときもあった。で、通信カラオケの採譜の仕事で安定して食えるようになったんですよ。それで20代後半には、年収的に普通の会社員ぐらいまではいけるようになったんですよね。それで結婚して、よりまじめに生きるっていう思いが強くなったのはありますね。
熱い話ですけど、大学のときに教育学とか教育心理学とかを学んでいたのもあって、僕はずっとアイデンティティについて考えてました。若い頃はどこでアイデンティティを確認しようとしてたのかっていうと、大きなステージで演奏しているミュージシャンを見て、自分もそこに達したいな、と。そこに自分の存在を確認できそうっていうところだったんですね。
―ああ、なるほど。
でも、結婚して子供が生まれた時にアイデンティティがここにあるって確信をしたんですよね。つまり、「こいつは今何もできないから、こいつが大きくなるまでは俺がなんとかしなきゃいけない。」って。俺がいるからこいつが生まれたわけで、理由なきアイデンティティですよ。そこから前向きに生きようっていうモードに入れた。仕事もちゃんとしようって。それで、子供が生まれると保健所にポリオ接種とか児童館でのイベントに行かなくちゃいけないじゃないですか。初めてそこで「自分も単なる社会の一員じゃん。」ってことに気づいたんですよ。ようやく「自分って普通なんだな。」っていう思いが強くなってきて。ロックだとそれを丸くなっちゃったなあとか言われたりするんですけどね。
でも、もともとそういう性質はどこかありましてね。僕、引越しの時にいつも感じていたんですよね。引越し屋さんの手際の良さとかすげえなって思う瞬間ないですか?やっぱりそれぞれの道にエキスパートがいて、自分はたまたま音楽方面で仕事をしているだけなんです。僕は音楽っていう職業を水道直しの仕事とかと並列的なものとして捉えているから、別に偉そうなこと言うつもりもないんです。
ミュージシャンだって児童手当とか入るとうれしいですもんね。そういうのも当てにして生きていて、病気にかかればちゃんと健康保険に入ってないとダメで。それなのに音楽をやっている人って偉そうなこと言う傾向が強いんですよね。啓蒙っていうやつですよ。「人はやっぱこう生きるべきだし。」みたいな。引越し屋さんはそんなこと別に言わないのにミュージシャンは人生観ばっかり語ってて。Facebookでもそういうのがいっぱいあって、僕はすっごい冷めちゃうんですよね。
―そういったところにも、「俺が俺が」ではなく、教える仕事をするようになった要因があるような印象を受けました。
僕がいよいよもって、主役じゃなくても楽しめるなって思ったのは菰口雄矢っていうギタリストを知ってからなんです。まだ26、7歳なんですけど、今まで見たギタリストの中でも圧倒的な実力があると思います。十代の時の彼のプレイを聞いてもまざまざと天才の片鱗が見えて、僕が思い浮かべるプレイを、想像以上に表現してやってのける人が現れたっていう。だから彼を研究するような解説本が書きたいと思っていて、実際に『菰口雄矢流ブッ飛びギター・アプローチ』っていう本を出したんです。ギターはもちろん彼が全編弾いてますが、文字のほとんどは僕が書いているんですね(笑)。そこで自分が主役にならなくてもいいって感じて。自分よりずっと高い感動を与えてくれるようなすごい人の協力をする立場にいくことも生き甲斐としてOKだって思ったんですよ。なぜなら、その人一代で終わっていたかもしれないことも、解説本を書いたら社会全体に広がりますよね。そういうところも僕の中に生き甲斐としてはありますね。だからこれはいまだに「やれてよかったな。」って思う仕事なんですよ。
(2013年10月10日 宮脇俊郎ギタースクールにて)
編集後記
非常にフランクな宮脇さんの語り口がとにかく印象的であった。職業としての音楽をテーマとした今回の取材では、その現実的な厳しさから、ミュージシャンとして売れるための条件、果てはアイデンティティ論に至るまで多岐にわたって話していただいた。「ミュージシャンは特別な仕事ではない。」「自分が主役にならなくてもいい。」そう語られる宮脇さんからは、成功だけでなく失敗も味わってきた経験豊富な大人としてのかっこよさと器の大きさが感じられた。
編集 大山達也/写真 大野択生