サザンは「親戚」
―ポピュラリティの獲得には運的な要素も多いと。そうですね。あとポピュラリティを獲得した直後のことまで考えてるかですよね。だってラジバンダリって覚えてます?それ2週間くらい猛烈に流行ったんですよ。みんなラジバンダリって言ってワーって笑ってました。でもいきなり流行らなくなる日が来ましたよね。ラジバンダリっていうギャグをやっても全く面白くないとみんなが感じ出したんですよ。あとはムーディ勝山の、右から左へっていうギャグ。あれが出てきたときにはみんなすごい面白いと思ったんですけど、最近聞いてもつらいような気しません?
―つまらないですよね(笑)
ですよね、何にも面白くないんですよね。人々が面白いと思うってことはその時点では価値があったのに、ある瞬間からその価値がゼロにもなり得るんです。音楽にも似たような要素ってやっぱりあると思うんです。風雲児となるバンドは今までにもときどきいたんですけど、多くは解散しちゃってるんですよ。じゃあ何がポイントかって言うと、時代とともに変化できるかっていうことと、「親戚」になったかどうかってことですね。
たとえば、サザンオールスターズっていまだにみんな聴きますよね。特に斬新さに期待して聴いているわけではない。でも新曲が出たらみんな聴きますよね。もはやあの人の声って親戚ですよね。「あー、ライブやるんだって? また観に行こうか。」みたいな。ミスチルも同じです。ミスチルのようなバンドが出てきても、「あれミスチルの二番煎じじゃん。」で終わるでしょ。ミスチルは親戚として確立されたってことですよね。
―ポピュラリティを獲得した後、「親戚」になるポイントはどこにあるのでしょうか。
それは、その人のスタイルを守りつつ、時代が想像するよりもちょっと前にいることですよね。たとえばB’zだったら「だからその手を離して」って歌ってるときは肩パット入れたような感じで流行最先端的にステージに出てたわけですよ。でも今では、生バンドだったりメタルだったりいろんな形で演奏してますよね。その時代よりもちょっと先のものを提示してくれるから、いつまでもお兄さんみたいな立場でいられる訳ですよね。そして、そういう親戚っていう存在になれば何十年もやって行けるっていうことです。でも、それ職業としてはなかなか厳しくないですか?
音楽で食っていく?
―かなり狭き門になりますよね。だから僕は音楽の仕事を勧められないというのがあって。あとは、エレキギターをやっていると、「音楽の世界で食っていきたい」っていう人はいっぱいいますよね。でもクラリネットでそんな人がいるかといえば、意外と少ないと思いませんか。そこをもっと突き詰めていくとチューバだったらどうだろうかって考えるんですよ。そもそもチューバを続けていること自体、音楽で食っていくことに対してさじを投げていますよね。市場がないんですから。
だから、「僕は音楽で食っていく」ってこと自体に関して問い直す必要があると思うんですよね。その音楽の仕事に需要があろうがなかろうが続けていくのか。「音楽のこんな技能に需要がある」っていうのも水物で。たとえば琉球音階が流行ってるからマスターしとかないとヤバいんじゃないかなって演奏する人もいますけど、ネットが普及した今の透明度の高い世界では、そんなことで始めた人のプレイなんて聴きたくないんですよね。もともとそれだけでやってる天然な人のプレイを聴きたいんですよ。
それで結局どこに行き着くかっていうと、本当にやりたいと思う音楽をやっていても、それが照らし出されるかどうかは時代が決めることで自分が決めることではない、と。それでもスターになりたいのであれば、照らし出されたときにそれ相応のものができるよう状態になるように練習しておくことですよね。たとえ才能があっても、時代がその人を照らし出さないという残念なケースの方がむしろ多いので、職業選択の一つとして無責任に勧めることはできないんです。でもその上で覚悟して頑張っていくなら、それを止める気もないですし、むしろ心の中では応援したい気持ちがありますね。