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ありがひとし先生取材 ヒーロー(漫画)企画!

ありがひとし先生

突然ですが、「ヒーロー」という言葉を見たとき、あなたはどんな印象を受けますか?おそらく、ほとんどの人は、「古臭い」と思うでしょう。実際、「正義」という概念も絶対ではなくなっていますし、はたまた少子化の煽りを受けてなのか、ゲームにしろ漫画にしろ、単一の「ヒーロー」的なキャラクター、物語は減っています。

もう「ヒーロー」は縮小する一方なのか。正義はもう単なる子供だましでしかないのか。もやもやする中でたまたま読んだ、「ロックマン」の漫画は――これまた古びたヒーローですが――底抜けにまっすぐで、底抜けにひたむきで、「子供向け」という枠組みでは捉えられない、得体の知れないエネルギーが込められていました。

もしかしたら「ロックマン」の漫画には、60年代ロボットアニメが伝えていたような、昔ながらの正義の心、ヒロイズムが込められているのではないか。そのような人間ドラマを描いた作者であれば、現代、そしてこれからの人々に対するヒーローの意義、可能性を、明瞭に語っていただけるのではないか。これらの仮説を立て、私たちは漫画「ロックマンメガミックス」の作者、ありがひとし先生に、「ヒーローとは何なのか」「ヒーローに何が伝えられるのか」といった問いを投げかけました。

 

ありがひとし(有賀ヒトシ)

1972年生まれ。漫画家・デザイナー。90年代、ゲーム業界でキャラクターデザインなどを手がける傍ら、自他共に認める「漫画家一のロックマンファン」として、コミックボンボン増刊号にロックマンのオリジナルストーリーを連載する。それらはロックマンファンや製作陣の間でも評価が高く、先生自身も現在に至るまでロックマンの企画に関わり続けている。その他作品として、コミカライズ作品『THE ビッグオー』、絵本作品『恐竜王国D-1めいろブック』、『妖怪天国 霊界めいろブック』など。

 

1、「不完全な良心回路を持っていて、善と悪の間で葛藤を続けるんです」

 

――まず最初に、先生の子どもの頃のヒーローについて、お話を聞かせていただけますか。

 

自分にとって子どもの頃の最初のヒーローは、アトムでしたね。小学校に上がった頃、二回目のアニメ放映がありました。きっかけはアニメーションでしたが、ハマったのは原作の漫画の方でした。当時はビデオテープ一本が高かったんです。親が持ってるのも勝手に上書きは出来ませんし。だから、繰り返し見たいと思ったら、漫画の方になりますよね。

特撮も好きでした。あの頃は再放送が多く、夕方になると戦隊物の再放送があったり、ウルトラマンが早朝にやっていたりと、退屈しませんでした。

 

――漫画のアトムについて、お話を聞かせていただけますか。

 

漫画のアトムは、アニメ版よりもエグイ話が多いですね。人権を主張したロボットが、人間たちによってバラバラにされてしまう話があったりと。(注1)

アトムが描かれ方も、長い連載期間の間に大きく変化しています。大学紛争のように、反体制的なものを書いた方が読者にウケる風潮があった時期には、アトムがひねて人間に反発するエピソードが描かれていましたし、あるいはもう毅然とした正義の味方になって、弱いものを護り悪いものをやっつけたりという時期もありました。

 

その中でも衝撃的だったのが、「アトムの最後」(注2) というお話です。「人間対ロボット」がテーマで、ロボットが人間を支配している、ずっと未来の世界という設定ですね。

アトムとは別に人間の少年の主人公がいて、ロボットたちの支配から逃れるためにアトムを呼び起こすのですが、旧型ロボットのアトムは当時最新鋭のロボットたちに破壊されてしまう。それだけでなく、幼馴染みだと思っていた女の子もロボットだとわかってしまい、彼女を射ち殺してしまう。そして自分も他のロボットたちに殺されて終わりという、本当に救いのない話です。そしてそれを読んだのが、小学校二年生の頃なんですよね…。アニメ版とはまったく違ったエグさがありました。

 

子どもの頃に好きだった特撮は「人造人間キカイダー」(注3) ですね。再放送で見ていたんですが、小学校に上がる前はキカイダーやハカイダーを延々と落書きしてました。主人公のキカイダー=ジローは不完全な良心回路を持っていて、善と悪の間で葛藤を続けるんです。結構ハードな番組でした。

原作の漫画も 読んでいました。ジローは人間になりたいと願っているのですが、人間に近づくのはどういう事かといえば、嘘をつく、人を裏切るということでもある。そこで良心との間で悩むという、凄まじいほどに石ノ森イズム(注4)全開の作品でした。今見ても読み物としては完成度が高いと思います。

 

 

2、「物語を語る側より一段高いところに、ヒーローはいます」

 

――機械と人間というテーマをアトムから学んだ後、キカイダーに入っていたのは何か偶然を越えたようなものを感じます。

 

あの頃は多かったんですよ、そういったテーマを扱うヒーローものが。

60年代〜70年代頃のヒーローには、多様性がありました。等身大サイズでも、ロボットものだったり、異星人ものだったり、異文化から来る存在ですね。あとはサイボーグもの、「ジャッカー電撃隊」(注5)とか。人間と機械の狭間で、純粋な人間には戻れない悲しみ、そしてそのなかで人を護ることについての悩みを描いていました。

 

ヒーローの歴史そのものを振り返ってみると、我々が生まれるもっともっと前からヒーローはいるんですね。人類で最古のヒーローといえばキリストだと思いますし。彼は救済者としてのヒーローでした。そしてヒーローに対して悪の組織もいる、サタンとかもそうですね。善と悪の対立は、歴史の前からあったと思います。ヒーローを作って敵役を作って…。人間というのは、そういうのが好きなんですよ。日本でも古いところだと月光仮面 とか。海外ですが、スーパーマンの歴史も戦前からだから古いですよね。スーパーマンもバットマン(注6)もすっとヒーローで、今も生き残っている。

 

――俗にヒーローと言う場合、人間以外が多いですよね。

 

ヒーローは普通の人ではないんです。例えばキリストも普通の人間ではなく神の子ですよね。物語を語る側よりも一段高いところにヒーローはいます。未知の物、分からないことに対する魅力ですね。時代によってヒーローが何者なのかというのは変わってきて、だんだんロボット・兵器・サイボーグなんかも出てくるようになります。そういうヒーローが増えてくると、等身大の存在、普通の人がヒーローになってしまうような作品も生まれてきます。

 

――人間を超えたものをヒーローとして愛するのに、ヒーローも人間のように葛藤してしまう事を求めてしまうのはどうしてなんでしょうか。

 

親近感をドラマの中に入れてくるんですよ。普通の人が理解できない精神構造の人は、普通の人の理解できない行動原理で人を助けるけど、それだと感情移入できない。身近な存在が悩みを持っていて、その悩みが読者など物語を聞く側にも共有できるものならば、ヒーローが困難に立ち向かう時により「頑張れ!」という気持を強められる、ということなんじゃないかと思っています。物語に神様が出てくるにしても、例えばギリシャ神話は嫉妬深かったり勘違いしたり、人間臭いところはありますしね。完全無欠だと物語にならないんですよ。

 

――近年では俺様系の主人公も増えてきてるように感じます。『テニスの王子様』(注7) とか・・・

 

そういう完璧主人公を軸にしていると、その主人公はヒーローにはなれるけれど、読者が共感したり、感情移入したりする先は周りのキャラになるんでしょうね。ヒーローに応援したくなるような何かがあるべきなのだと思います。

 

――60年代から今までは、科学技術とセットにヒーローは語られてきたと言われています。その路線で新しいヒーローを作るのは、もう難しいんでしょうか。

 

説得力のあるインパクトは欲しいですよね。蜘蛛に噛まれてスパイダーマンもいいんですけど、もう本来そんな時代じゃないはずなので。ジュラシックパーク(注8)の、琥珀に閉じ込められてる蚊が吸った血からDNAをとって恐竜を復活させてしまう、という設定はありえないはずなのに、一般人に対して説得力があったんですよね。ヒーローで科学っぽいことをやるにしても、同じことが言えるのではないかと思います。

 

――ヒーローを求める側がつくり上げるのがヒーローなのか、ヒーローになる側が提示したものがヒーローになっていくのか、どっちなのでしょうか。

 

たとえば、キリストはみんなを救済したかったのかもしれませんが、俺がみんなのヒーローなんだ、とは言いませんでした。戦争時の兵隊さんたちにしても、俺達がヒーローだって言うんじゃなくて、家に残してきた家族を守っていると信じて、自分の命が尽きようとも戦わなければならないという決意で戦っていたはずです。何かを助けるっていうのは、ヒーローの条件の一つですね。そして見返りを求めているかというと、本来見返りは求めないような気がします。助けたから金よこせっていうのは、ある意味キャラが立つのでまた新しいヒーローが作れそうですけど(笑)

でもその場合、「ヒーローって無償の愛なのか?」と反論が出てきて、こんどは愛に行くということになるのかもしれませんが(笑)

 

 

3、「どんなに凄いヒーローでも、悪が魅力的でないと輝かない」

 

さっきのキリスト=ヒーローは、小池和夫先生が人類最古のキャラクターをイエス=キリストだと仰ってたこと(注9)の私なりの解釈なんです。あの人はキャラクターが対になるものと捉えていて、光のキリストがいたら必ず影のサタンがいるということなんですが、それはそのままヒーローにも当てはまると思うんですね。

 

『ルパン三世』(注10)でいえば、今でこそルパンはダークヒーローという位置づけですが、本来なら国民や市民の安全を護る銭形のとっつぁんこそヒーローになるはずです。ルパンは盗人ですからむしろ悪ですよね。アレも実は、長い時間の中でルパンが人を殺さなくなった、という事情があります。初期は、周りに大勢の仲間を抱えた大悪党でした。

 

――原作だと、ルパンが悪である、というふうに描かれてもいるんですね。

 

悪党を痛快に描いたのがルパンですね。敵も大泥棒とか予言者とか、スケールの大きいものが多く全然違うものだったんですが、モンキーパンチ先生はアニメを気に入られて、段々アニメにすり寄っていったというか……。でも、憧れの存在としてのヒーローかもしれないですね。今のルパンは殺さないし、盗む物も美術品であって庶民の物ではない。義賊的なんですね。

 

――義賊はヒーローですが、完全な悪、例えばショッカーの首領のような存在はヒーローになるんでしょうか。

 

悪の組織に憧れる、というのもアリかもしれないですね。ツイッターで見たツイートに「正義のヒーローは常に何かに対して怒っていて余裕が無い。悪のボスは常に大きな目標がある。人を引き付けるカリスマがあってよく笑う。どっちが魅力的?」というのがあって、思わず笑ってしまいました。(注11)

悪もヒーローになれるかと聞かれたら、ヒトラーも昔はヒーローだった、という答えになるのではないでしょうか。いいところの出身じゃないし、戦争当時のドイツから見たら、あの人は庶民たちにとってのカリスマだった。でも戦争に負けて、それまでやってきたものが晒されると一気に立場が変わってしまった。立場とか状況によって、正義か悪かは変わっていくものだと思います。

 

――『ジョジョの奇妙な冒険』(注12)のラスボスはDIOにしろカーズにしろ、純粋な悪として描かれていますが、ファンの中には彼らを崇拝する人も多いですよね。そういうのもカリスマ性に対する憧れに近いものがあるんでしょうか。

 

圧倒的な力ですよね。凡人が、物語を語る人たちが、我々が、到達し得ないところにいるからこその魅力であって…

でも、DIOまでいくと感情移入できないんですよ。考え方が理解できない、でもそれがたまらなくカッコいいということになってしまうんです。感情移入できない時点でDIOは主人公じゃなくて敵役だと思いますね。

 

ヒーローの話をするならば悪も避けて通れなくて、どんなにカッコいいヒーローでも凄いヒーローでも、悪が魅力的じゃないと輝かない。物語も出来ない。その辺のコソ泥を滅茶苦茶カッコいいアーマーを纏ったメタルヒーローがやっつけてもカッコ悪いですよ。その武装じゃないと勝てないくらい、あるいは主人公が五分五分どころか負けちゃうんじゃないか、っていうくらいの方が魅力的になりますよね。

 

 

――闘う相手が大きいからこそ、対立する価値観のようなものが強大だからこそ、それをひっくり返そうとする力…

 

それも感情移入して応援する余地ですよね。我々はみんな、生活している中で苦しい事がたくさんある。勉強は辛いし、楽しくなるまで時間がかかる。仕事もそうです。でも立ち向かわなきゃいけない、逃げてばっかりじゃ何も出来ない。ヒーローは逃げないで立ち向かうところがヒーローで、そこに感情移入したり応援したりする。あきらめちゃったらヒーローじゃないんです。あきらめないことでヒーローも悪も魅力的になります。心が折れないという点が強いんです。

 

――有賀先生の場合は、ワイリー(注13)がそうですね。

 

ワイリーの場合は諦めたら話が終わっちゃうんで…(笑)ワイリーに魅力が無いと、それに立ち向かうロックマンも魅力が無くなってしまうと思っています。ワイリーの人間臭さだったり、ワイリーにもいいところがあるというところを見せつつも、なんとか悪い奴として描こうとしてますね。

―――――――――――――――

 

(注1)「アトム今昔物語」内「ベイリーの惨劇」。

ロボットが人間と同じ権利を持てるよう運動していたベイリーというロボットが、念願かない市民権を得て役所から出てきた所をすぐに人間たちにバラバラに破壊され、その書類すらも破り捨てられてしまう。ショッキングな内容だが、くだんのシーンは6ページ以内に収まっている。

(注2) 「アトムの最後」

初出:「別冊少年マガジン」1970年7月号。

(注3)「人造人間キカイダー」

1972年、特撮テレビ番組として企画され、それと平行して「週刊少年サンデー」上にて石ノ森章太郎による漫画版が連載された。基本設定は同じだが、ストーリー展開は大きく異なる。なお漫画版を映像化したアニメ版が2000-2001年にOVAとしてリリースされている。

(注4) 石ノ森(イズム)

「仮面ライダー」「サイボーグ009」を生みだした萬画家・石ノ森章太郎(1938-1998)の作品群の中に貫かれているテーマ。一概に定義することは難しいが、個人的には「正義を貫くが故の悲しみ」「人間と機械の狭間での葛藤」を挙げておきたい。「仮面ライダー」を例にすれば、改造手術を受け、人間でなくなった本郷猛の悲しみ。及び改造人間として自分を生みだしたショッカーに立ち向かい、その背後にいたのが巨大コンピューターだと明かされることなど。

(注5)ジャッカー電撃隊

1977年放映の、石ノ森章太郎原作の特撮番組。トランプモチーフのサイボーグとなった四人の若者が、犯罪組織クライムの繰り出す悪魔ロボットに立ち向かっていく。「秘密戦隊ゴレンジャー」の後続番組であり、現在ではスーパー戦隊シリーズの二作目にカウントされている。

(注6)月光仮面、スーパーマン、バットマン

「月光仮面」1958年に放映された、日本初の国産連続テレビ映画。及びそれに登場するヒーローの名前。原作は川内広範(1920-2008)。なお1972年にはテレビアニメ化もされている。

「スーパーマン」1938年に初登場した、アメリカンコミック初のスーパーヒーロー。クリプトン星の遺児である新聞記者クラーク・ケントが、スーパーマンとして様々な悪と戦う。

「バットマン」初登場は1939年。ゴッサム・シティの平和を乱す犯罪者に対して、殺人こそ犯さないものの、容赦ない制裁を下していく、そのため警察からは犯罪者としてマークされているなど、スーパーマンと比べて「闇」の側面は強い。

(注7)「テニスの王子様」

1999年〜2008年に週刊少年ジャンプで連載された、許斐剛(1970年-)による少年漫画。テニスの天才少年リョーマを中心に、中学校の部活動テニスで全国制覇を目指す。テレビアニメやミュージカルなどといった各種メディア展開で有名。

(注8) スパイダーマン、ジュラシックパーク

スパイダーマンの初出はマーベル・コミックでの1963年。主人公のピーター・パーカーが特殊なクモに噛まれたことで、スーパーパワーを手に入れる。

ジュラシックパーク

初出は1990年に出版されたマイケル・クライトンによる小説。スティーブン・スピルバーグ監督により映画化された。

(注9) さっきのキリスト=ヒーローは、小池和夫先生が人類最古のキャラクターをイエス=キリストだと仰ってたことの私なりの解釈(著書、引用元)

『人を惹きつける技術』小池一夫著、2010年、講談社

(注10) ルパン三世

モンキーパンチ原作の漫画作品(1967-1969)

アニメ化もされている。

(注11) ツイッターのリンク

http://twitpic.com/8gfr6y

(注12) ジョジョの奇妙な冒険

(1987-2013年現在連載中)

荒木飛呂彦(1960-)の漫画作品。名台詞が多い。カーズは第二部、DIOは第三部のラスボス。

(注13)本名アルバート・W・ワイリー。『ロックマン』シリーズ(1987年-2010年)を通して悪役、ラスボスとして登場する人間の科学者。ロボットによる世界征服の野望を抱き、毎回ロックマンにより挫かれる。性格づけはコミカライズを担当する漫画家によって異なるが、ありが先生の場合、ロボットを愛し、「心を持ったロボット」を追求し続ける科学者としての側面が強調されて描かれている。