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ありがひとし先生取材 ヒーロー(漫画)企画!


4、「子ども達が憧れる存在じゃないと、そのおもちゃは売れないんですよ」

 

――近年では「売れる作品」にするために登場するヒーロー、あるいは商品を宣伝するために作り出されるヒーローというのも多々登場しています。そうしたヒーローとビジネスとの関係について、お話しいただいてもよろしいでしょうか。

 

まず、テレビ放送自体は無料です。しかし、例えばテレビ番組で好きになったライダーとかウルトラマンたちを見て、怪獣のソフビを買ってきたり、ウルトラマンのソフビを買ってきたり、ガチャガチャで怪獣人形を集めたりすれば、それは商売になるわけです。スポンサーがついて、自社のおもちゃを売るためにヒーローたちがいたというのも確かです。

でも、じゃあ商業主義でヒーローが汚れているのかというとそうではありません。子ども達が憧れる存在じゃないと、そのおもちゃは売れないんですよ。絶対に作り手のポリシーがそこに乗らないといけないわけです。魂が入ってないと、買えないですよね、親も、子どもも。

 

――おもちゃを売ろうとするなかで頑張ってはいますよね。

 

そうであってしかるべきなんですね。おもちゃを売らないと番組を作るお金が出ませんから。そこでいかにヒーローのヒーローたる部分を製作者が乗せ、役者が演じられるかなんですよね。お金が出ないと朝放送すること自体かないませんからね。

 

――アニメになるときにキャッチーになる、という話についてですが、やはり重くなればなるほど視聴率というのは悪くなってしまった例は多いですよね。

 

そのかわり、歴史に残るんですよ。アニメ史・ヒーロー史・特撮史に残って、アレは名作だったって後から語り草になるんです。

ポップでキャッチーな作品はそのときに売れるかもしれないけど、いっぱいあるうちの1つになってしまう可能性が高くなります。

 

――二十年ぐらい経った後にまた、リバイバル運動みたいなのが起きるっていうのも、そういうことなんですね。

 

 

――あと、女の子向けのヒーローも今は多いですよね。プリキュアシリーズ(注14)とか。

 

プリキュアはすごいですね。今何十人いるんでしょうね。(※32人だそうです。)先日も、娘とプリキュアの映画を見に行ったんですけど、娘は見ながらハラハラしてて、最後に「良かったー!おもしろかったー!もっかいみたいー!」って、とても満足げな様子で。

 

あれは、女の子向けの皮をかぶったヒーローですね。プリキュアはすごく面白いんですけど、すごく悔しいのは、なんでこれが男の子向けじゃないんだろうっていうことです。あれだけちゃんとドラマを作っていながら、女の子向けなんですよ。自分が昔男の子だった立場から言うと悔しいんです。女の子向けヒーローも、セーラームーンよりもっと昔からの流れがあるんでしょうけど。

 

――女の子向けだと、戦わなくてもヒーローらしくなる作品はありますよね。そうなると、戦うということはヒーローの必須の条件ではないんでしょうか。

 

そうですね。そういう意味では、芸能人であったりとかスポーツ選手もヒーローなんですよ。世界を舞台に金メダルを取るために活躍する。だから侍ジャパンなんかもヒーローだと思います。昔のヒットパレードとか、ザベストテンとかがあった頃の歌手とかもある意味、国民的なヒーロー、ヒロインだったような気もします。その場合その人たちの武器というか力は、歌、ということになるんですが。もちろんそれだけではないんですが、偶像的なものがヒーローの1つの側面としてありますね。

 

――最近ではヒーローが少なくなった代わりに、アイドルが増えてきているようにも感じます。

 

アイドルも歌手も、十分偶像としてのヒーローではあると思うんですよね。幼稚園小学校の小さい子にすら認知されているということはヒーローに近いと思いますよ。

 

――――アイドルや歌手をヒーローにした子どもたちは、一体何を学ぶんでしょうか。

 

歌、じゃないですか。歌の中に、すごく勇気の出る言葉があったりとか、ジンとくるものがあったとか、あの歌にあったように自分もしたいなと思えたら、それはメッセージを受け取ってることになると思います。

 

 

5、「60年、70年代あたりの日本は、ヒーローが飽和状態でした」

 

――最近の男の子向け関係について話を戻したいのですが…実際のところ、ヒーローの数は減っていると思いますか?

 

減っていますね。なぜかというと、一回飽和状態になったからだと思います。先ほども少し触れましたが、60年-70年代あたりの日本は、ヒーローが飽和状態でした。その頃のヒーローには多様性があって、ここでは余所の番組に負けないという心意気が色々な番組にありました。巨大ヒーローもウルトラマン以外にいっぱいいましたが、今生き残っているのはウルトラマンだけですよね。等身大のヒーローでも、生き残ったのは仮面ライダーや戦隊だけ。昭和の時代から、色々なヒーローが生まれて広がっていたんですが、今は収束してしまったんでしょうね。

 

これは面白いんじゃないかっていうたとえがあるんですが、恐竜って、いろんな形のものが居ますよね。頭が変な形の恐竜もいるし、トサカが生えた奴もいる。一番変な形の恐竜が溢れていた時代は、三畳紀・ジュラ紀・白亜紀の中でも、その真ん中のジュラ紀なんですよ。白亜紀の最後の方になると、恐竜の形は大体落ち着いてしまう。肉食恐竜といえば、ティラノサウルスみたいな形の恐竜ばかり。草食恐竜でいえば、首が長い恐竜は滅んでしまって、残ってるのはトリケラトプスみたいな角竜だけ。何が言いたいのかというと、一番爆発的に種類が増えるのは、種の終焉の前、ということなんです。それが過ぎて白亜紀の末期になると、今度は形が研ぎ澄まされていくんですね。型ができてくるというか。その代わりとして、種の多様性が失われるんです。

 

その話と照らし合わせて考えてみると、今のヒーローも、決まったフォーマットじゃないと売れないと思います。ある意味様式美ですね。基本的な型が決まってしまっている分、ヒーローの作り手の勝負所として、そのフォーマットにいかにアイデアとキャラクターを詰め込むか、という点が重要になっています。

 

――ブームは循環するといいますが、いまヒーローが足りていないのなら、またヒーローが増えていく可能性もあるかもしれませんね。

 

あると思います。ケーブルテレビなどで子どもたちは昔の再放送を見ることができますし、うちの子たちも昔のものを見るんですが、一方でテレビの本放送におけるヒーローものは減っています。10年後にはかなり古いものしか残ってないでしょうし、やはり新しいものは作っていかないといけないと思いますよ。どんな時代にも子どもは居ますし、大事なことだと思います。

 

――ジャンプ漫画に代表されるように、ヒーローと仲間の関係について大きく焦点を当てた作品が増えましたね。

 

私は富樫先生が好きなので、『幽遊白書』も『ハンター×ハンター』(注15)も全巻揃えています。でもあれは、メッセージを伝える作品ではありませんよね。それを考えると、例えばワンピースの方がまだ「仲間」であったりとか「思い」であったりとか、昔ながらのヒーローらしさがあるとは思うんですけども。

 

すごく難しい点として、話が進むにつれて、主人公に仲間が増えてきますよね。例えばドラゴンボールもそうですし、仮面ライダーにしてもおやっさんが居ます。ウルトラマンにしても主人公となる人物をサポートする警備隊なり仲間が居ます。

それでも、戦うときは一人なんです。ヒーローは最後の一人になっても戦えるかどうかがヒーローの条件だと思うんです。仲間がいたから強いってだけじゃなく、仲間が戦えなくなっても戦えるかというのが、すごく大事だと思います。

 

――ヒーロー物の最終回は、大体ラスボスとの一対一になりますよね。

 

そうですね、みんなで力を合わせてやっつけました、というのも美しいんですけどね。

ジョジョにしてもそうですね。DIOとの最後の戦いにおいても、仲間みんなで追い詰めていって、一騎打ちまでもお膳立てを仲間がするという。でも、一体一っていうのも重要なんですよ。

 

 

6、「学校の先生が教えないことを、ヒーローは教えてくれる」

 

ヒーローっていうのは些細なものだと思うんですよ。東日本大震災の時もヒーローとしてロックマンを描いたんですが、その絵をブログに上げたあとに、ロックマンの1と2を作った、A.K.さんという企画の人からメールが届きました。かつて自分が作ったロックマンが、今の時代もヒーローとして生き残っていることに感動した、という内容のメールです。そのひとはロックマンの2を作ったあとにカプコンを辞めてしまい、ロックマンからは手が離れていたんですが。今でもロックマンが居てくれるっていうことに、すごく喜んでくれてたんですね。

 

その人と会って話をした時に、正義の心って何なんだろうっていう話題になったんです。例えばそれは、電車のなかでお年寄りが立っていて、席を譲ることであったりする。口に出すとチープなものになってしまうかもしれない。胸を張って大きな声で言えることではないかもしれない。けど、そういうちょっとしたことがヒーロー、正義なんじゃないかって。そういう人がロックマンを作ってたんだなと、感慨深いものがあります。

 

――正義って言うと、大きな善悪みたいな途方のないイメージで、いまでは相対化もされてしまって描きにくくなってるように思います。

 

正義の味方って響きがすでに古いんですよね(笑)正義の為に戦うと言うよりは、仲間とか、そういうもののために戦うほうが現在では受け入れられやすいんです。

でも、言葉とか表現が変わってるだけで、根っこの部分は変わってないと思うんですけどね。昔のヒーローは、文化的な、「昔こんなのがあったんだよね」みたいな形では生き残ると思います。一方で新しく作られるものには、時代による味付けが必要になってくるでしょう。特撮であろうと漫画であろうとアニメであろうと、第一印象で古臭いと思われちゃったら手にとってもらえませんし、だれも読まないと思います。

勝てば正義なんて言いますが、今のアメリカがもしどこかに負けたら、いきなり世界中の悪党になってしまう。そうなると、じゃあ正義って何?勝者のこと?となってしまう。それも正義の一つの形だとおもうんですが、荷物が重くて困ってるお年寄りの荷物を引くっていうのも、正義のあり方であると思います。これが正解ですよ、っていう答えはありません。

 

――昔は正解があったのでしょうか?

 

シンプルだったんですよね。世の中が混沌としてわけがわからなかったし。ひとさらいは悪で、それを懲らしめるおまわりさんが正義。昔はそれで良かったんだけど、いまは、よくわからなくなってる。だからやはり、子どもたちが憧れる対象になり得るかどうかがポイントですよね。恐れない気持ちであったり、何かを守ったり助けたりといった、そういったキーワードが出てくるだけで、ヒーローといえる気がしています。

 

――そこは、時代が変わっても同じなんでしょうか?

 

そうですね。上にかぶさる言葉が変わったとしも、同じだと思います。仲間が全員倒れても立ち向かえるか?それはなかなかふつうできないことで、だからこそ憧れる対象となっていく。そういう物語の中のヒーローの姿を見て、勇気をもらったりするんだと思います。お父さんお母さん学校の先生が教えないことをヒーローは教えてくれるはずなので。失くしちゃいけないものですよね。

 

 

7、「ヒーローっていうのは、本来子どもたちにもヒーローになるように促すものなんです」

 

私が子どもの時のヒーローに、コンドールマン(注16)って言う奴がいたんですよ。あれがすごいと思うのは、「正義を助けるコンドールマン」という主題歌にもあるように、コンドールマンがすべてを守ってくれるわけじゃないってこと。人が行う正義を助けてくれるだけなんです。

それと、ティーンタイタンズっていうアニメもありますね。その主題歌の中に、「お悩み半分解決しちゃうよ」っていうフレーズがあるんですよ。残りの半分は君たちがなんとかしなさいっていう考え方が凄いと思うんですよね。

 

ヒーローっていうのは、本来子どもたちにもヒーローになるように促すものなんです。だから、正義の象徴としての、あるいは力、勇気の象徴としてのヒーローが居るなかで、そういうヒーローがいるのは素晴らしいと思います。コンドールマンが70年台で、ティーンタイタンズが2000年台のヒーローで。30年も離れているけど、同じ精神を引き継いでいるなと思います。人の悩みを根本から解決するんじゃなく、迷ってる人の背中をとんと押してあげる存在だったりしますよね。最後になんとかするのは君の心だよ、という。

 

――確かに、ラスボスとかで、「人間が地球を汚しているから人間を滅ぼす」って言ってる奴が居ても、ヒーローはそいつを止めるだけで、地球が汚されているという根本的な問題には手をつけませんよね。

 

そうです。そこは人間に解決させなければダメなんです。

 

――最後に、メッセージをお願いします。

 

若い人たちが世の中を作っていくと思ってます。ひとりひとりやれることもできないこともあって。自分の力を発揮できるところにみんないてほしいなって思います。

 

――ありがとうございました。

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(注14) プリキュア

『ふたりはプリキュア』(2004)に始まる、女子中学生が変身して戦う女の子向けヒーロー物。

(注15) 幽白、ハンタ

冨樫義博の漫画作品、『幽☆遊☆白書』(1990-1994)『HUNTER×HUNTER』(1998-2013年現在連載中)のこと。

(注16)「コンドールマン」1975年放映の特撮テレビ番組。人間の悪の心から生みだされたモンスター一族に、正義の鳥人コンドールマンが挑む。原作は川内広範、主題歌の作詞も氏が担当。

「ティーンタイタンズ」2004年製作。アメリカンコミックス原作のヒーローアニメ。主題歌「TEEN TITANS THEME」を担当したのは、日本のアーティストPUFFY。