02:「中国映画が帰ってきた」
(樋口)
刈間先生は陳凱歌の『私の防衛時代』という翻訳を出されていますが、陳凱歌のようないわゆる「第五世代」と呼ばれるひとたちと、ロウ・イエ監督の「第六世代」の作品とは、具体的に明確に何が違うとか、どう違うとかいうのがあったらぜひ教えていただきたいと思います。
(刈間)
たぶん、陳凱歌たちの世代が出た時、中国映画史は変わってしまいました。ある映画評論家の方は「黄色い大地以降」という題で文章をお書きになったことがあります。陳凱歌の『黄色い大地』が出て、もう元には戻れない、つまりもう映画は監督の個性で語る時代になった、というふうにおっしゃったことがあります。まさにひとつの時代を画したと思います。実は私が『黄色い大地』を最初に観たのは北京の映画の倉庫でして、日本に帰ってきて配給会社を口説き落として、ということをやりました。最初に私が観た印象は「中国映画が帰ってきた」ということです。1930年代の、昔の上海のサイレント映画のなかには素晴らしい作品があると思っておりました。その間に長い空白がありましたが、ついに中国映画が帰ってきたという、そういう思いを感じました。彼らの功績は非常に大きかったと思います。ですから、それを乗り越えるのが次の世代は非常に大変であっただろうと思います。現代中国映画を観ていて「ああ、まったく新しい世代が生まれたな」と感じたのは、ロウ・イエ監督と賈樟柯(7)です。ロウ・イエ監督の『ふたりの人魚』と賈樟柯の『一瞬の夢』、この二本が出た時に「ああ変わったな」と思いました。例えば、『一瞬の夢』ではカラオケのシーンで女の子がカメラの前であくびをするシーンがありました。きっと女優さんはあくびをしたかったからしたんだと思うんですけど、これは絶対に陳凱歌じゃ撮れない。このように、賈樟柯とロウ・イエ監督がお出になって、「変わった」とそういう印象をいたしました。
(司会)
今の中国を描いているということだと、ロウ・イエ監督の映画の中には、カラオケのシーンとかクラブのシーンとかがよく出てきますね。
(ロウ・イエ)
そのことはよく訊かれるのですが、なんといっても僕らのような年代の者は若い頃にああいうカラオケで暇つぶしをしていたわけです。だから若いころの思い出というとそういうところから出てきます。
映画というのは、社会の変化と非常に大きな関係があるわけです。この10年来の中国社会の大きな変化を表現するための映画言語は、非常に長い時間のあるスパンがないと生まれてこないわけですけれども、これほどまでに社会が激しく変化していくとなかなかその時代にふさわしい映画言語が生まれることは非常に難しくなるわけです。いまはそういう状況ですね。
フランスのヌーヴェルヴァーグ(8)が誕生する前は、多くの人は、監督たちがアメリカの映画を観て撮ろうとして、そうした映画言語が産まれるまでに10年ぐらいの時間がかかったわけです。トリュフォー(9)の誕生と、新しい時代の作品が産まれるまでにそれなりの時間がかかったわけです。彼らは『地獄の黙示録』だったり『タクシードライバー』(10)だったり、そういうものを観たわけですね。中国の今の状況だと、そういうものを産むことがなかなか難しいわけです。しかし、いまはデジタルビデオの出現で誰しもが手持ちのカメラで自由に撮れるわけですから、映画という概念の幅がかなり拡大しているわけなので、中国の映画人は新しい意味の拡大について皆一生懸命やっていると思います。
(司会)
今日は折角ですからご来場した皆様の中にご質問があればお訊きしたいと思います。ご質問のある方は挙手をお願いします。
(質問者)
先ほどから日本映画についてお話してくださいましたけども、村上春樹さんの『ノルウェイの森』と『天安門、恋人たち』が似通っているのではないか、ということが言われています。その点についてはいかがでしょうか。
(ロウ・イエ)
村上春樹さんの作品は、『ノルウェイの森』は読みました。影響を受けていると言っていいかもしれません。ただ、80年代末の、動乱の時代、68年の五月革命の状況、あるいはプラハの春の状況と似通ったところがあるので、必ずしも『ノルウェイの森』の影響だけでなく、いろいろなものの影響であろうと思います。
(刈間)
こういうものは一つの作品が一つの作品と影響関係にある、というものはありえませんね。やはり、創作活動をする人というのは、過去の様々なものから吸収して、どう新しいものを作っていくかの勝負だと思います。武漢という街の描き方というのは、確実にロウ・イエ監督の創作でしょうね。だから次に撮るのは大変だと思います。
目の前の社会とどのように緊密な関係を持つか、現実を切り取っていけるかということ、それが大事なんだと思います。
(質問者)
非常に顔の印象が、人の顔から顔へであるとか、顔のショットの印象が強く残ったのですが、顔を撮ることによって物語を進めていくということの狙いや、留意している点がございましたら是非お聞かせ願いたいです。
(ロウ・イエ)
やはり人の微妙な心理状態の変化というものを表現したかったのです。その変化というのは、文字で表現出来るようなことではなく、人物一人一人の迷いであったり、矛盾であったり、葛藤するところを微妙な顔の表情の変化で表現していくということが、この映画では非常に重要なことであったわけです。一人ひとりの登場人物は、矛盾、迷いの中に行動を決定していくわけです。例えば、まずある一人の男が何かをしようと思ってすぐにそれをやるのではなく、非常に迷いながら、逡巡の中で次の行動に移っていくというようなものを撮りたかったのです。それが、この『二重生活』の中では非常に重要です。「この映画では、スン・シャオミンという女の子が亡くなっていくわけですけど、誰もが直接的にその死に対して責任を負わないですよね」と、中国で上映したときにこのようなことを言われました。皆が謀って彼女を死に追い込んでいったということなんですけれども、その中に本当の犯人はおらず、誰しも犯人になり得る、この社会の構成員であるのであれば、誰もがその責任を負うべきだということがシャオミンの死の意味であったわけです。
(樋口)
僕からも一点。本妻も、愛人も、女子大生とのセックスも、更にネットでの買春もこなす絶倫クソ野郎(会場笑)の彼は、愛の行為も、性処理も、跡継ぎを残す行為も、全部セックスなんですね。ロウ・イエ監督の作品では男は滑稽なものとして描かれますが、それは何故なのでしょうか。
(ロウ・イエ)
本妻がいて、愛人がいて、また別の愛人がいて、非常に忙しいわけです。色んなところでバランスを取らねばならず、非常に可哀想な男なのです。ですから、彼の人物とイメージを通して、人間は偽りの中では生きていけないということが分かると思います。
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(7) 賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は中国の映画監督。「第六世代」を代表する監督であり、『長江哀歌』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞。
(8)ヌーヴェルヴァーグは、50年代末から60年代初めにかけてフランスの青年監督たちが起こした映画の革新運動。彼らは皆スタジオによる本格的修行を介さない「アマチュア」であった。
(9)フランソワ・トリュフォーはフランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグを代表する映画監督の一人。代表作に『大人は判ってくれない』『アメリカの夜』『終電車』。
(10)『地獄の黙示録』はフランシス・フォード・コッポラ監督の代表作。
『タクシードライバー』はマーティン・スコセッシ監督の代表作。