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しっとりと描かれる感情の波-猫田リコ『恋に落ちるわきゃないし』

恋に落ちるわきゃないし

暑いですね。こんにちは7月のBLレビューの時間です。

暑くなってくると決まって「そうだ、このおかしい気分は夏の暑さのせいなんだ・・・」というセリフが入った薄い本が数多出版されるのだ。

表紙に溶けかかった食べかけのアイスキャンデーとか描いてある。チューチューアイス半分だけとかもありえる。背景は海。あと木漏れ日で照らされるキャラが描かれているはず。そしてエ口ティックな汗の描写が十中八九ある。夏はそういう季節らしいですよ。

汗の匂いとか青春とかもう、汗とかそんなん満員電車のおじさまの汗の香りとそれに負けじと漂う強烈な香水の匂いでお腹いっぱいだしアイスキャンデーを溶かすなんてそんな勿体ない事できないし、海も木漏れ日も焼けるからやだしもう全体的についていけない。チューチューアイスとか最後にいつ食べた…とか言っておきながら、過去のBLレビューを振り返ってみたら、11回中9回(!)は暑い、じゃなくて熱い学生ものだった。若いやつばっかじゃないか。自己矛盾甚だしい。

なので大人っぽい穏やかな作品も紹介していくことで、この矛盾を解消していこうと思う。今回紹介するのは猫田先生の最新刊『恋に落ちるわきゃないし』(竹書房、2013)である。

 

主人公の向井は結婚相談所で経理を担当している。向井は妻を亡くし、6年たった今も、その悲しみから立ち直れずにいた。ある日、アドバイザーの入院により、代理でカバン職人の高室の担当になる。高室はなんで婚活なぞしなくてはならないのか、というぐらいの美形である。しかし、バツいち(死別)で子持ち、さらに高卒で収入も並、かつ両親との同居希望という悪条件のせいかお見合いを6回連続で断られ続けいる。

そんな高室だが、自分の願いにむけて前を向き、しっかりと進もうとしているのだ。それに対して、妻の死から立ち直れず、失うなら恋をしない方がいいと、未来に向けて一歩踏み出すことをためらう向井が対照的に描かれている。

 

高室は向井にこう打ち明ける。

「オレはこれでも割と本気に娘の母親になってくれる人を探しているし両親も安心させたい」

そしてこう続けるのだ。

「―――でもさ ・・・・・・恋もしたいよね」

このセリフに向井は驚き、一瞬言葉を失う。私も向井とシンクロして思わず息をのんでしまった。

このセリフは、向井が高室の職場を初めて訪ねた時に高室が発したものだ。しかし、それ以前に向井が高室に会った時は、言葉づかいも身だしなみも気を抜くとヤンキーっぽくなってしまっていた。したがって、婚活にも真面目に取り組んでいるのか非常に怪しかった。だが、職場の高室はびしっと仕事着を着こなし、いきいきと仕事をしている。まず最初にこのギャップに度肝を抜かれる。きっちりとシャツにネクタイを締めてすっきりとしたベストを羽織り、手袋をはめて丁寧にバッグを扱っている。こんな姿、もこもこのファーがついたアウターにベスト、ジーンズ、ブーツ、そんでもってジーンズのポッケに手を突っ込んでふてぶてしく立っていた姿からは想像できない。そのギャップに驚いたあと、さらにこのセリフで驚かされるのだ。猫田先生の描写のうまさが大いに反映されていると思う。カバン職人って、こう武骨にトンカチとか持ってんじゃないかなとか勝手に私は想像していて(まあこれもありかな、と思っていたが)、向井とシンクロして驚嘆してしまった。

このセリフだけを見ると、高室がキザな人物に見えるが、その前に「あーーーーー」とか恥ずかしそうに言ってるから憎めない。「でもさ?」のセリフを言う高室は、大きめのショットで余韻たっぷりに描かれている。

トーンなしの背景からは向井の驚く瞬間が、高室を見つめるまなざしからは、彼の中で忘れられていた感情が萌芽するのが感じられる。このセリフを中心とした一連のシーンだけで、高室と向井という対照的な人間や、高室や向井が抱いているそれぞれの思いが描き出されている。

 

本作はキャラクターを描写する際、言葉に依る説明を極力避けていて、専ら他者とのインターアクションを通じて、おのずとキャラクター像が浮かび上がるように描かれている。この手法は、脇役の描写の如何によってはキャラクター像を曖昧にしてしまいがちである。しかし、猫田先生はこの状態に陥ることなく、非常に上手にキャラクターを描いていると思う。

たとえば、高室の場合、お見合いに向けて上機嫌な親のことを思ってふきだしてしまう姿からは親に対する愛情が、ブロックを散らかしっぱなしにしていた娘を怒りながらも抱き上げたり、工房で眠ってしまった娘に毛布をかけてあげたりする姿からは娘への愛情が、カバンのことをとても楽しそうに語る姿からは自分の仕事への熱意が伝わってくる。息子、父親、社会人、それぞれの役割をきちんと果たしているのが、彼の日常を通してヴィヴィッドに描かれている。また、ヤンキーっぽい服装と仕事着、部屋着の対比も示唆的で面白い。

このような手法を用いると、脇役が過剰に前面に押し出されて作者の意図に反してがやがやとした作品になってしまうことがあるが(もちろんがやがやした作風にするなら全く問題ない)、猫田先生はそのバランスにとても気をつけていてると思う。そのおかげで、主人公二人だけの世界のような非現実的な描写ではなく、リアリティある描写となっている。それでいて全体としてはしっとりとした余韻も残っている。

個人的に、今日のランチの話をする同僚がつぼだ。「今日は木曜日だから…」と何度もつぶやくも、動揺してランチのメニューをなかなか思い出せない向井と、そんな向井の気も知らず「今日のランチ何なんだろうね」と言いながら同僚が去り、「ガチャン」とドアが閉まる音がする。同僚と一緒にランチに行く向井の日常と向井の動揺が同時に提示されている(なんで向井が動揺しているのかは本作を読んでチェックしてください)。

また、香野の立ち位置も素敵だ。香野は向井の長年の友人で、向井の妻が亡くなる以前から向井のことが好きだった。そのあまり、向井の食の好みも全て把握していて、「お前の事好きだからね」と軽く抜かすことができてしまうキャラクターなのだ。もはや若干気持ち悪い。高室の担当となることが決まったとき、向井は香野に弱音を吐く。

「オレ・・・今の自分が誰かの結婚の手伝いなんて自信ない・・・」

店内で何気なく寝転がった向井を見つめる香野の目線は、向井の全身から唇にフォーカスする。しかし、それは横目で見つめるだけで、目以外何も動かさず、グラスを傾ける。そして「いつ迄も甘ったれてんじゃねーよ」と向井の鼻をつまむ。香野の向井へのまなざしから、シーン全体は静かであるのに、香野の向井への思いが感じられる。

 

そのほかのキャラクターのまなざしの描写も素晴らしい。この作品ではキャラクター像のみならず、肝心な心情ですら多くは言葉で語られない。そこで表情やまなざしが重要な働きを果たすのだ。

「でもさー」のセリフをいう高室の大きなショットで描かれる表情から、先ほどの香野の目線のようなふと見せる表情まで、瞬間の表情が一つ一つ丁寧に描かれていて、読者にキャラクターの心情を喚起する。

向井の描写の多くは仕事中の姿で、プライベートの向井はそれほど描かれない。しかし、ときどき見えるプライベードの表情は、仕事の時に比べて悲しげであることが多い。向井が高室と接した際に見せるまなざしには、普段は見せない歓喜に満ちたものもあれば、普段以上の悲哀に満ちたものもある。後者の最たる例は、高室に振られたときのものだと思う。

向井は大粒の涙を流すわけではない。むりやり作り笑いをしようとしているようにも見える。しかし、目元は赤く、手で顔を隠そうとする。悲しそうな表情であることは間違いないが、ふんぎりがはっきりついているようにもとうてい見えない、幾重にも読みとれそうな表情がトーンなしの背景で描かれる。向井の悲しみは、その表情だけでもとっても悲しいのに、何事も言わず去って行こうとするがゆえによりいっそう強調されている。

向井が高室を見つめるまなざし、高室が向井を見つめるまなざし、読者が二人を見つめるまなざしが組み合わさることを計算したうえで猫田先生は構図を考えているんだと思う。ラストの高室が向井に本当の思いを伝えるシーンは3つのまなざしが組み合わさる最高の瞬間だと思うので、ぜひ読んで実際に確かめていただきたい。

 

本作は主人公間のみならず主人公と脇役とのインターアクションや、彼らの表情、行動の描写が多く描かれるため、盛り上がりに乏しいストーリー展開に見えるかもしれない。しかし、読み進めて行くと、キャラクターの感情の動きがたしかに胸に刺さるくらい伝わってくる。言葉で「悲しい」とか「好き」とか言わなくても、読者にキャラクターの喜びや悲しみを感じさせてくれる猫田先生の技量にため息が出る。

「あの日 あの時 あの人は 前を見据えて オレの方を振り向きもしなかった オレはその邪魔をしたくないと 思ったんだ・・・」

という向井のセリフを読むたびに、「向井!向井よ!!向井よ!!!」と心の中で叫ばずにいられない。向井の目線の動きと、工房で仕事をする高室の動きとを組み合わせて演出されている。

向井ががきんちょだったら「健気なやつ!」とか言ったと思うが、おそらく30そこそこの大人の場合、「健気」なだけではないと思うのだ。見方を変えれば、分別という名の下でかっこつけて自分の気持ちに向き合うのを恐れているだけのようにも見える。しかし、社会に出て、家庭や仕事といった責任を負うと、自分の思いが100%かなうはずがないことを知る。それに加えて向井は最愛の妻もなくした。自分の力で全てを変えられる事が出来ないことを理解して、「最初からなかったほうがいい」という言葉にもあるように、あきらめることをよしとするようになったのかもしれない。

 

Vinicius de Moraesは著名な歌、“A Felicidade”(一部抜粋)でこう言った。

 

Tristeza não tem fim

Felicidade sim

 

A felicidade é como a pluma

Que o vento vai levando pelo ar

Voa tão leve

Mas tem a vida breve

Precisa que haja vento sem parar

 

A minha felicidade está sonhando

Nos olho da minha namorada

É como esta noite , passando, passando

Em busca da madrugada

Falem baixo, por favor

Pra que ela acorde alegre como o dia

Oferecendo beijos de amor

 

悲しみに終わりはなく

幸せにはある

 

幸せは羽根のよう

風が空を運んでいく

軽く飛んではいくが

その生は短く

やまない風が必要だ

 

私の幸せは夢をみている

私の恋人の瞳の中で

まるでこの夜のように過ぎ、去っていく

夜明けを探しながら

静かに話してください

一日の始まりのように明るく彼女が目覚めて

愛のキスをしてくれるに

(筆者訳)

 

悲しみと幸せはコインの裏表のようなものではなく、一方がもう一方を常に含意し、共起しうるものではないか。幸せにはその終わりと来る悲しみが含意され、悲しみの先には幸せが見えるかもしれない。でも悲しみは永遠で幸せが瞬間ならばずいぶん悲しい思いばかりするようにも思える。

向井も高室も、妻の死という大いなる悲しみを越えて出会い、幸福をつかんだ。しかし、出会いと言う幸福は二人の立場(高室は息子、父親としての立場、向井は婚活アドバイザとしての立場)ゆえに、高室から向井への拒否により、いったん終わってしまう。向井は高室の影を追い続ける。出会わなければ、妻の死という悲しみだけで済んだのに、高室という存在が新たな悲しみの源となってしまった。向井が作中で立ち止まりながら感じていたやるせない悲しみは、若さとか勢いだけで解決することができない、Moraesの言うところの「終わらない悲しみ」なのだ。巻末の描き下ろしで描かれる向井の最後のセリフは、今向井が感じる幸福が、少しでも長く続くように願う祈りの言葉である。最終的に向井は高室と結ばれ、やっと結婚指輪を外すことができた。しかし、妻の死は変えようのない事実であるし、いつ高室との幸せな時が終わってしまうかもわからない。

この作品全体に通底する悲しみがきちんと描かれているからこそ、向井が最終的に感じた喜びを、しっとりとした表現でありながら、ひしひしと強く読者もまた感じられるのではなかろうか。