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これは友情?それとも愛情?-「海の時計」あとり硅子(『あとり硅子短篇集 4 眠れない夜』新書館, 2006)

あとり硅子短篇集?

(作品の短さ故、完全にネタバレとなっていますがご容赦ください。また正しくは、『あとり硅子短篇集 4 眠れない夜』の4はローマ数字の4ですが、文字化けのため本レビュー中はアラビア数字で転写しました。予めご了承ください。)

 

BLレビューという名前だが、実は今回紹介するあとり硅子先生の「海の時計」、BLといえるかいえないか、すごく、すごく微妙な作品なのだ。

なんでそのような作品をBLレビューという誤解を招く企画でとりあげるんだ!とお叱りを受けてしまいそうだが、この作品、掲載誌は新書館のディアプラスである。したがって、出版社・レーベルといったBLとしての形式的要件は満たしている。でも、実質的要件を満たしているか否かは、読者の受け取り方次第でどっちともとれるため、すごく微妙なのだ。ネタバレだが昨今のBLではほぼ必須にもなりつつある口づけ以上の行為が本作にはまったくない。手もつないではいないし、恋愛の自覚もない限りなく友情に近い関係なのである。

 

主人公の庸平は小学校からの友人、比木(このき)に8年間に渡って口をきいてもらえない。それどころか、庸平が比木の視界に入ろうものなら、比木は庸平をじろりと睨みつける。というのも、比木は小学生の時庸平に謀られ、大切にしていた腕時計を海に投げ捨てられたことをずっと根に持っているからだ。庸平は比木との関係を改善するために晴れていれば海に潜りに行って、この腕時計を探し続けている。

しかし、ある日庸平は腕時計を探すさい水中で脚をつり、溺れそうになる。だめだ、と思った瞬間に誰かに助けられる。それは比木だった。それに先立つある晩に、比木は庸平が溺れる夢を見て、彼としては時計を捨てられたうらみで見捨てようかとも思ったが、それを許さずに庸平が死んでしまうのが嫌で助けてくれたのだ。助けられた際、庸平は比木からそれまでしばしば自分が比木の夢に出ていたことや時計のことを聞かされ、比木と仲直りすることができる。

その時の庸平が、比木とちょっぴり話せただけなのに、頬を染めて顔を手で押さえて、ものすごく幸せそうなのだ。

 

「・・・・すごい 比木とすげえしゃべっちゃった――――― 安堵と 幸福」

ここだけを取り出すとあたかも庸平は比木のことが好きみたいだが、うえだはあくまでも長年関係がこじれていた友人と仲直りできたことが嬉しかっただけではないかと考えている。

庸平の反応が長年片思いの相手と話せたことに対するそれに見えるのは、それだけ庸平にとって比木の存在が大きかったからだと思うのだ。

数多いる小学生からの友だちのうちの一人にすぎない存在が、好きでもない限りそんな大きくなるはずないんじゃない?というご指摘はもっともで、それゆえ庸平の反応は比木への恋愛感情と受け取られかねないのだと思う。

それを考えるためには、本作のタイトルにもなっているキーアイテム、時計の存在を考えなくてはならない。

 

 

庸平が捨ててしまった時計は、比木が叔父さんだかにもらったもので、プラスティック製のそんなに高そうでもないものだ。

しかし、この時計が二人を結びつける重要なアイテムなのである。

比木の側から時計のことを考えると、比木にとってこの時計はそれほど大切なものではない。なぜならば作中でも言っているが、彼にとって大切なものになる前に、庸平に捨てられてしまったからだ。しかし、失ったがゆえに、比木はその時計が自分にとって大切なものだったように感じるのだ。

比木は夢で時計を探す庸平をたまに見たようだが、何を感じたのだろう。プラスティック製で、しかもかなり昔に捨てられたものだ。となるととっくに遥か彼方に流れてしまったはず。だから庸平がいくら海に潜って探しても見つかるはずはない。それなのに庸平はずっと腕時計を探し続けている。

その一方で、庸平は比木に対して申し訳なさを感じて、時計を探すようになる。そうなると比木のことを考えずにはいられないから、自然と庸平の目は比木を追いかけてしまう。そんな庸平を見て余計比木は苛ついて庸平を睨みつけるし、そうすると庸平は余計比木に申し訳なさを感じるし。

もしもあの時庸平が時計を捨てていなかったら、比木はすぐにその時計に飽きてしまったかもしれないし、庸平も比木とこんなに仲良くしたいと思わず、ふたりはただの同級生という関係で終わっていたかもしれないのだ。

したがって、時計が二人の仲を取り持ち、お互いの中でお互いの存在を特別なものにしていたのである。

 

 

比木と仲直りできたうれしさのあまり、庸平はほんのり頬を染めちゃっているし、「水の夢は性的な夢なのよ?」と二人の共通の友人、わたるに言われてどぎまぎしてしまっているし、妄想癖を平常運転させればもしかして庸平は…と思ってしまうのだが、あえて私は友情説を支持したい。

これといった証拠もないのだが、二人には将来来るべき辛い出来事を彼らなりに乗り越えて、そんななかで昔あんなこともあったな、なんて言いながらつるんでいる友人同士でいて欲しいなぁと思うのだ。だから二人は恋愛云々よりも、友人同士であってほしいような気がするのだ。

あーでも比木が好きになってしまって本作のようにウジウジしてしまう庸平の姿を見るのもありかな。はげしく迷う。

 

この友情と恋愛の違いはBLの永遠のテーマだ。しかし、残念ながらテーマとして取り上げられこそすれ、BLで答えが提示されることはない。なぜならBLはLoveなのだから、恋愛の方に矢印が傾いてくれないと話が成立しないからだ。

そのような観点から見ると、あとり先生の作品はこの問題解決への糸口ではないかと思う。

キャラクターの大多数は彼らの関係が友情なのか恋愛なのかはっきりしないため、読者は想像するしかない。その曖昧な状態が会話や出来事を通じて、読者に想像の余地を残しつつうまく描かれている。この曖昧な状態こそ友情と恋愛の境界だと思うのだ。

肉体関係云々の問題を境界に提示する人もいるが、私はそうとは思わない。たしかに、信頼関係あってこその肉体関係といえるのは確かだ。それを根拠にBL漫画は山場として肉体的な描写を含むことが多い。

でも、あとり先生の描くキャラクターは、そのようなことを全くしていないのに、何かでしっかりと結ばれている。確かに確固たる関係が、二人乃至複数人の間に存在するのだ。

あとり先生の作品を読む度に、そうだよな、この関係だよな、とふむふむと思わずにいられない。永遠とも思える日常、その日常には信頼しあう人々がいて、生活を営んでいる。山もなければオチもないけど、ずっと続く関係、それこそ、BLの原点ではないか。

 

この二人の関係という問題は読者ひとりひとりの受け取り方次第でいいと思う。

いずれにせよ、二人やそのとりまきのその後が気になってしまうのは、それだけキャラクター造形が魅力的で、彼らの関係性の描き方がうまいからであろう。

あとり先生のキャラクター造形、プロットは創作対象への綿密な観察に基づいていて、三浦しをん先生の本短篇集に寄せられた解説の言葉を借りるならば「日常」が確かにキャラクターたちの生活に存在するのだ。待ち合わせに少し遅れた比木がたれる「HR長いんだよなーウチ」という文句や、ビーサンをぺったぺったさせて走る庸平の姿、要らないのに自慢したいがために時計を学校に持ってきてみせびらかしてしまう幼き比木の心理、それに対する庸平の嫉妬。

これら全てにキャラクターの日々の生活や今までの人生が見えてくるような気がする。

しかもキャラクターの「日常」の出し方がうまいのだ。生活の様子や折々に発される言葉から読者が想像の過程で「日常」を自然に感じ取ることが出来、詳細な設定(性格やそれまでの人生)を作中で明示的に語ることはほとんどない(もちろん一方的な印象であるキャラクターが他のキャラクターについて云々いうことはある)。

キャラクター造形にこれほどの厚みがなく、うすっぺらい物語では想像を掻き立てられることはなかなかないと思う。しかもすごいところは、これだけ魅力的な作品のほとんどが短篇であるということ。昨今長々と続きがちな漫画界において、これだけコンパクトにおもしろい作品が書ける人はなかなかいないと思う。

 

本作「海の時計」は『あとり硅子短篇集 4 眠れない夜』(新書館, 2006)に収録されている。

あとり先生は2004年にお亡くなりになり、現在は単行本のほか、それらをまとめた短篇集が出版されている。しかし、うえだが書店を見て回る限りなかなか見つからないため、amazonなどを利用したほうが手っ取り早いかもしれない。また、いつ絶版になってしまうかもわからないため、お早めに入手することをおすすめする。

 

あとり先生の最後の漫画作品は2004年に描かれた。それからもう9年、だいぶ世の中は変化した。あとり先生が今の世の中を見たら、どのような作品を描いて、どのような「日常」をキャラクターたちに過ごさせるのだろうか。

それが見られないのが、残念でならない。

【BL感想】