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今村友紀さん(小説家)**文学企画


渋谷の女子高生が授業中、突然とてつもないカタストロフィーに襲われる。街は死に、人の気配は絶え、空には戦闘機が飛び交い銃撃戦を繰り広げる。友達の身体に鉄骨が突き刺さり、神出鬼没の得体の知れない怪物は主人公の首を掻き切ろうと暴れ回る。その中でふと出会った人とのかけがえのないつながり。世界は本当に唯一つなのか――。
複雑に絡み合ったさまざまなテーマが、読点のない長文で語られ綴られる、そんな小説が2011年文藝賞を受賞した。
作者は現役の東大大学院生。しかも小説家になるために医学部から文学部へ転部したという異色の経歴の持ち主。
そんな新進気鋭の小説家・今村友紀さんに、ご自身の創作にまつわるお話はもちろん、今後、出版界文学界はどうすれば盛り上がっていくのか、新しい新人賞やレビューサイト、出版ビジネスの形まで、余すところなく語っていただきました。

今村友紀【いまむら ともき】

1986年、秋田県生まれ。
2011年、『クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰』(河出書房新社、2011)で文藝賞を受賞、デビュー。
選考委員・高橋源一郎に「(震災)『以後』の小説」と絶賛される(『文藝』2012年春号には高橋氏との対談記事も掲載)。
開成高校から理三に現役合格した経験を生かし、大学一年のころから受験本の出版や教育ベンチャーでの勤務など多彩に活動。
東大医学部から「小説家になろうと思って」文学部に移り、現在東京大学大学院人文社会系研究科の現代文芸論研究室所属。
2011年の新潮新人賞最終選考まで残った『マスカレイドの零時』は、同人誌として、第十四回文学フリマにて販売されている(現在も公式サイトから購入可能)。
◆公式サイト http://imamura-tomoki.com/
◆公式Twitter @imamura_tomoki
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【目次】
1 小説のテーマ〜恋人のことは忘れちゃうけど、たまたま出会った人が一番大事になる
2 自作への反応〜こっちが予想もしない方向に解釈してるっていうのはあまりなかった
3 新しい新人賞の形〜応募された作品への評価をフィードバックする制度
4 新しい書評サイトの形〜“文壇の評価”と“一般読者の評価”という両極構造を崩すこと
5 電子書籍が文学にもたらすもの〜そもそも読むシチュエーションは全く変わらない
6 新しい出版ビジネスの形〜価値を価格に転化する
7 日本の出版システムの癌〜編集者やめて出版社作ろうか、ってなればいいのに
8 次回作は〜最近、エンターテイメントにも学ぼうと考えています

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1 小説のテーマ〜恋人のことは忘れちゃうけど、たまたま出会った人が一番大事になる

――今村さんは医学部から文学部に転部するという異色の経歴をお持ちです。しかも文学部に行って作家になろうというのは、ロンドン旅行中に突然思いついたそうですね。

そうです。街を歩いていて、「あ、いいかもしれない」って(笑)。
もちろんそう思うに至った背景はあるんですよ。もともと芸術で人間はなぜ感動するのか知りたくて、そういう研究が脳で出来ないかと、医学部の脳科学研究室にいたんです。でも、「四角い」「丸い」「これは青い」とかいう単純な話を超えた、「芸術作品でどう感動するか脳の動きのレベルで見る」というのは現状ではなかなか難しい、と現場に行ってから分かったんです。それだったら、自分で芸術を作ってみればなにか分かることもあるかもしれないと思って。

――でも、作家になるために文学部に行く、というのは面白い発想ですよね。創作と文学研究は別ではないですか。

違うと思います。創作は「自分の伝えたいことやテーマありきでそれを具体的な作品に暗に落とし込む」という仕事なんですけど、研究は逆に、「すでに具体的な作品がいろいろある中からこの作品はどういうテーマだ」と考える。それに、テーマの理解のさせかたも違うんですよ。小説においては、理屈で論理的に説明するなんてことはない。読めば登場人物の気持ちにならざるを得ないような状況をつくるのが大事なわけで。

――『クリスタル・ヴァリー』も、はじめからこれぞというメッセージを思って書き始められたのでしょうか。

いや、デビューしてしばらくしてから、「こういうことが書きたかったのか」とはっきりした感じですね。それは「友達とか家族でない人を信頼する」というテーマなんですよ。恋人のことは忘れちゃうけど、たまたま出会った人が一番大事になる、ということが作中にはっきりとあるでしょう。
そのテーマを活かすために、単行本として出す際、編集さんに指摘されて直した箇所があって。サトコさんと二人きりでいるときに親密さが行き過ぎるシーンがあったんですけど、それは削りました。あくまで「たまたま出会った人」というちょっとそっけないような関係の中で、でも信頼する、というほうが同級生のカナとの対比も効きますよね。
まぁ最初はインスピレーションありきでしたけどね。書き出す取っかかりやタイトルだけ決めて、勢いで書く。でも半分くらい書いたら「これはこういうことかな」とおぼろげながらに見えてくるので、それをベースにします。じゃないとラストがばっちり決まらないですから。思いつきで書いたのを何十ページ読まされても読む人はたまらない。


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2 自作への反応〜こっちが予想もしない方向に解釈してるっていうのはあまりなかった

――でも、そういったご自分の中でのテーマとは違う解釈をする書評もありますよね。そういうレビューは気になりませんか。

レビューって、中途半端に見ると気になっちゃってエネルギーが無駄になるので、『クリスタル・ヴァリー』関連はネットも含め一通り全てチェックしました。2ちゃんも降臨しましたし(笑)。それでもう、大体どんなことを言われているのか分かったので、最近は全然見ないですけど。
ただ、その中で、こっちが予想もしない方向に解釈してるとか、誤解だなっていうのは実はあまりなかったですね。実際、作品を通して伝えられることっていっぱいあるんです。作家の側だって、もともと多様な解釈に耐えうるものを作っているわけなので。『クリスタル・ヴァリー』だと、戦後ってテーマもこっそり隠してあるし、男の人が出てこないって点には社会学的テーマも盛り込んである。
「震災後の小説」と評価されたのはたまたまですけどね。3.11の前にほとんど書き終えていたので。オウムとか9.11とか、衝撃的なことは90年代、2000年代にたくさん起きているわけで、僕としてはそれらを総括するつもりで書いたのですが、結果的に震災が重なりました。

――なるほど。Amazonのレビューなんかでは「○○っぽい文章」と他の作家を引き合いに評されたりすることもあると思うのですが、ご自身はどんな作家がお好きですか。

ほぼ全作読んだのは、村上春樹さんと、舞城王太郎さん。現代の人で文章がすごいと思うのはその二人ですね。携帯小説とか、売れてるエンタメと比べたら表現は凝っているし、不思議な単語も使っているし、そんな簡単ではないはずなんですけどすーっと読める。すかすかではなくすーっと読める、というのがレアなんです。
単調なのに分かりやすいという意味では、『クリスタル・ヴァリー』もそうかもしれません。やたら長い文で読点がなくて、でも読める、っていう言葉の技術を見せようという野心はありました。デビュー作だし。


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3 新しい新人賞の形〜応募された作品への評価をフィードバックする制度

――Twitter(@imamura_tomoki)では、今の文学界や出版界に対して「こうしたらいいのに」という改革案をよくツイートされてらっしゃいますよね。そういったお話もいろいろ伺えたらと思うのですが、例えば公募新人賞というシステムは今後も必要だと思われますか。

それは絶対あるべきですよ。アマチュアがプロになる間口は広くあった方が良いと思う。ただ、今は制度自体はいいと思うんですけど、それを運営するひとに負担がものすごくかかっているのが問題。今年も文藝賞には2000ぐらい応募があって、それを編集部の方三人程度で全部読んでる。一次選考ではさくさく落としていくんでしょうが、100ぐらいに絞ったあとはみんなで回し読みして。
それから、選考がどういう経過で行われているか、何が見られているのか誰も分からないのも問題ですね。応募しても受かった落ちた、しか分からない。選評だって最終選考までいった人しか読めない。だからみんな、運なんだと思ってる。ほんとは編集者が徹底的に読んでるんだから、まぐれでひっかかっちゃうなんて有り得ないのに。

――応募された作品への評価をフィードバックする制度が必要ということでしょうか。

そうそう。まず、応募するのにお金をとる。文学フリマも、参加費5千円や1万円出して本を売るわけですよね。だったら年に一回の文学賞で、5千円払ってもいいと思うんですよ。そのお金で、新人の作家とかをアルバイトで雇って、応募作に簡単な評価(点数と、「こうしたらもっと良くなりますよ」という一言コメント)を付けてもらう。……模試みたいですけど、文学にもそういう透明性は必要かなと思います。全体的にもレベルは上がるでしょう。
確かに、最終選考レベルまできたらもう、選者の好みがどうという話になってきますが、予選レベルでは、それ以前にそもそも文章が読めないっていうのがいっぱいあるんですよ。主語述語が対応してないみたいな変な文章を書いて、「オリジナルな文章!」とか思ってるような人たちに、「それは違う」と指摘してあげれば、彼らはもっと伸びるかもしれない。文章力を度外視すれば、アイデアとしては面白いっていうような小説は多いと思うんです。それに気づかず何回も応募して、ただ落選して絶望して、「いまの文学界なんてごみだ!」って感じで文学離れが進むよりは、フィードバックの機会をなるべく作ったほうがいいかなと。

――自費出版の会社では、そういう添削も結構やってくれますよね。

まぁ何百万も払うわけだから、それは当たり前のサービスでしょう。何百万じゃなくて、1万円や5千円程度でちゃんと見てもらえる、って制度が必要です。それがあれば、「デビューする」ってことと「単なるアマチュア(自費出版みたいな自己満足も含め)」とのあいだ、つまり「まだ足りないところも見えるけど、いろんなフィードバックを受けてプロになる道筋が見えてて頑張ってる状態」みたいな中間の層が増えてくる。そのほうがいいんじゃないかなと。今は、「アマ」だった人が「受賞しました」って電話を受けるといきなり「プロ」にワープするっていう変な仕組みになってるので。



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4 新しい書評サイトの形〜“文壇の評価”と“一般読者の評価”という両極構造を崩すこと

――では、新人賞じゃなくて、発表済の作品に与えられる文学賞については何を思われますか。注目しているのは文学マニアくらいで、なんのためにあるんだろうと思ってしまうのですが。

それはそうですね。確かに文学賞をとると帯に書けるし、一応は注目度が上がるけれど、読者にとって意味があるのは芥川賞と直木賞、本屋大賞ぐらいだと思うんですよ。
でも作家の役には立ちます。賞金と、作家同士での認め合いですね。賞をとってるってことは、「今は売れてないけどプロの作家に認められた何かいい部分がある」ということなので、編集者とも「次こそでかい仕事しましょう」って仕事が進む可能性がある。
それから、賞歴があると海外で翻訳されやすくなるってことも重要ですね。フランスなんかでも文学賞の権威は高いので、○○賞をとった作家ですと言うと話が通じやすいし活動しやすくなる。まぁ賞が増えすぎるとその権威もなくなっちゃうのでバランスですけどね。
だからあくまで文学賞はスカウトだと思います。プロの作家が「10年後20年後こいつは大物になるよ」っていう人を見つけ出す。要は、将来売れるかもしれない人をしっかり評価するためのシステムなので、熟年の作家じゃなくて、なるべくキャリアの浅い人に与えるのがいいと思います。

――文学賞は、読者が本を選ぶ基準になるというより、純粋に作家のためにある、と。そうすると、こんなに出版点数が多い中で、今後私たちは何を参考に読む本を選んでいけばいいのでしょうか。

書評の価値は変わらずあると思います。ただし、書評に関しても、新人賞についての話と同じで、「すごいプロ」と「ただのアマ」しかいないという両極構造を崩すっていうのが大事だと思います。「文壇の評価」「一般読者の評価」ってくくりしかないのはおかしい。
だから例えば、プロの書評家や作家も一般人も、みんなが参加できる書評サイトを作る。でも全員の書評が平等に扱われるわけではなくて、プロに近い人の方がポイントが高くて上の方に表示される、とかね。もちろん、プロでなくても、「いいね!」ボタンみたいなので評価が高い人のレビューも上に来る。そうやって、両極端じゃなくて「アマの中でのすごい人」とか「プロの中での駆け出しの人」とか、「真ん中」を作るような仕組みが必要ですね。
今、本って、大して売れない(数千部)かすごく売れる(数十万部)かに二極化されてて。そこそこ(数万部)売れるようなものってなかなかないんです。すごい売れててTV広告出してる本はみんな知ってるけど、それ以外は誰も知らないような状況になっている。そういう意味でも、書評サイトで「中間」が生まれれば、読者も面白い本に出会いやすくなりますよね。

――電子書籍が登場して、その「中間」ができやすくなると思いますか?

なると思いますね。本を出しやすくなって、インディーズでやっていける人達が増えるのはいいですね。
例えば、文学フリマって、TwitterとかFacebookで「出します」と宣伝して気になってる人が同士が必ず買う、っていうふうに回っている。Amazonで出してもそれをTwitterにつぶやいて買ってもらうっていうのはできますよね。


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5 電子書籍が文学にもたらすもの〜そもそも読むシチュエーションは全く変わらない

――電子化するメリットって、そうやって「作品が出しやすくなる」こととは別に、小説の中で音楽が流れたりするリッチコンテンツ化が容易になるってことも挙げられますよね。

私はリッチコンテンツ化は大して流行らないと思っています。それなら小説じゃなく映画にすればいいわけで。確かに、作家インタビューとか、設定資料、参考文献をつけるっていうのは有り得ます。でも本編の小説はそんなに変わらないと思うんですよ。音楽が流れると言ったって、iPadでなにか聞きながら文章を読むってことは今でもやってるし、挿絵入りの本ももともとあります。動画入りの本はさすがにないですが、動画入れたらその間は文章が読めないですね(笑)。
音楽の場合は、ウォークマンの浸透によって、音楽を聴くシチュエーション自体が屋内から外へ、変わったと思いますが、本は、電子化したって、みんな喫茶店で読む、図書館で読む、家の机で読む、ベッドで読む……。読むシチュエーションは全く変わっていない。
あとは音楽では、iTunesなんかの登場で、一曲単位で買えるようになって、聴き方がアルバム単位でなくなったというのも大きな変化でしょうが、本はバラ売りできませんよね。
あ、でも小説を介してのコミュニケーションは増えるかもしれませんね。Kindleではこの一節いいなってアンダーラインを引くと、同じとこに何人が線を引いたか見れたりするので、そこから始まるコミュニケーションもあると思います。電子書籍って、ビジネス的なところでは悲観的なことが起こると思われていますが、本の楽しみってことからするととプラスしかないと思います。
とはいえ紙がなくなるとは思いませんよ。やっぱりものとしてあるっていうのは重要で。僕にとっては紙の本って、読むものじゃなくて「積む」もので、その楽しさはあるんです。


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6 新しい出版ビジネスの形〜価値を価格に転化する

――Twitterで、「小説も、価値を価格に転化出来ないか」ってつぶやいていらっしゃいました。具体的にはどういうことでしょうか。

絵画とか彫刻は価値を値段に付けますよね。でも文庫は、何でも500円程度で売っちゃう。そういうのはあんまり良くないんじゃないかなと。例えば、文学研究者だったら、フランス文学作家のすごく薄い小説が3000円したとしても買うんですよ。

――そういう需要を見極めないといけない、と。

今、日本では本は売れないからどんどん安くするという方向に行っている。なるべく早く文庫にする、もしくははじめから文庫しか出さない。でも最初から2000部3000部しか売れないやつを500円で売っても仕事にならないわけで、どのような商品にどのように値段をつけるかっていうことの考え直しは必要だと思います。
純文学を読む人は大体、所得がちょっと高いので、ずっしりと紙質もこだわって、2000円で売る。そもそも純文学って、文章自体にかけるコストが結構高いですからね。一方、ラノベだったら中高生がお小遣いで買うからしっかり安くする。値段っていうのは、どのぐらいの人数のひとが、どのぐらいすごいと思うかで決まるので、それは自分の文章や個性を見て作家が決めないと。
ただ、面白いのは、電子書籍は価格設定が自由で、再販制度もかからないので割引したりすることが自在なんですよ。紙の本は割引できないので、文庫にするしかないけど、文庫化されるまでの間に中古に流れて、そこでロスしている分もかなりあります。その仕組みを変えて、値段を下げてセールとか出来れば、消費者の動きが変わるじゃない? 電子書籍の登場で、そのへんのシステムが変わるきっかけになればいいですよね。

――だんだん文学の新しい形が見えてきた気がします。

とにかく文学が滅びることはないんですよ。出版不況だとか言われますが、100年前と比べたらすごく恵まれた環境なんですよ。というか、もしいまの出版市場が5分の1くらいになっても歴史的に見たら相当恵まれています。昔の、趣味でしかやれなかった時代のものもこうして現代に伝わって名作として僕らが読めている。そういう意味では、人間が言葉を使う限り、文学はなくならないでしょう。問題はどういう規模でそれが維持されるかだけ。

――いわゆる「文学」が、エンタメに圧されて力がなくなるということもないですか。

その傾向はあるでしょうが、20年前に比べるとどんなジャンルも初版の部数は5分の1になっていますからね……。どれも同じ比率で低下しているわけで、純文学だけが極端に落ちているということはデータとして言えない。エンタメも総体としては沈んで、売れているのだけが残っている。ほとんどの本が3万部出していたのが1万部になった、でも100万部売れるタイトルの数は変わりません、という感じ。
エンタメみたいにヒット作が出ないという印象を受ける人は多いけど、それが純文学の凋落なのか、出版業界の凋落なのかは判断しがたいです。創作物の質と売れ行きというのは必ずしも対応しない。



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7 日本の出版システムの癌〜編集者やめて出版社作ろうか、ってなればいいのに

――そもそもなぜ最近は本が売れなくなったのでしょうか。

マクロに言うと、日本の経済自体がもう伸びようがないんですよ。経済っていうのは労働者人口に比例する。労働者人口が最高で、GDPも最高だったのが1995年だったんですよ。アメリカにすら肉薄していて、音楽も出版も調子がよかったけれど、そこから落ちていっている。それに加えて、IT産業の登場。みんなが動画サイトやゲームに流れて、本に割く時間とお金が減る。それ自体は、もうしょうがないですよね。
ただ、流通の仕組みっていう、出版界自体の問題も大きいですね。今のシステムでは、出版社が印刷した本を取次という卸売業者に持って行って、そこから本屋に配本するんですが、その配本の仕方が悪い。データ配本といって、今までの統計からこの本屋にはこれを何冊、というふうに配られる。そこに再販制度も重なって、非効率が顕在化している。
例えば、とある町の本屋に一冊本が来たまま売れずに一ヶ月経った。でも本屋さんはいつでも買った値段で卸売業者に返せる(再販制度)し、売れない本を置いといても損失はないので、ずっとその本は棚の奥に眠っている。一方で、別の本屋ではその本がやたら売れていてむしろ足りなくて、再配本を待つ前にみんな古本屋や図書館に走っていたりする。
もっと具体的にいえば、僕の小説は、地元の秋田では売れるのですが、四国や九州の本屋には結構在庫があると思う。それを戻して秋田に送れば売れるはずなのに、できないんですよ。こういう、本来売れるはずの本が売れないというのは、今の出版システムの癌ですよね。

――最近は直販(出版社から直接、卸売業者を通さずに売る)や買い切りをすすめる出版社も増えてきましたよね。このあいだ、ミシマ社に取材に行きました。

直販だと、出版社はどこの書店に何冊送ったか把握できるし、「戻してほしい」という要望も出せる。そうして流通が効率的になって利益率が高くなると、良い本を作るためにコストもかけられる。東浩紀さんの「ゲンロン」という会社は、3000円する『思想地図』を2万部くらい売っているけど、あれは都心にいるインテリだけを狙って直販しています。
僕は直販で文学専門のレーベルが出来ればよいと思っているんです。単行本はいい装丁のものを2000円くらいで売って、1000円くらいの電子書籍を作って。こういうビジネスのやり方はありだと思うし、流通に関する問題は出版関係の人はみんな知っているんで、若くてしがらみのない人が、「じゃあ編集者やめて出版社作ろうか」ってなればいいのにと思う。

――今村さんはやらないですか(笑)。

僕は作品を書きたいので(笑)。さっき話した、新しい形の新人賞とか書評サイトとかも、誰かやれっ、と(笑)。


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8 次回作は〜最近、エンターテイメントにも学ぼうと考えています

――最後に、作家としての今後のご予定を聞かせてください。二作目はどんな作品になりそうですか。

今までと書き方を変えるわけではないですが、新しいことには挑戦しようと思っています。今まで僕は、プロットを固めて整理して……っていうのが苦手だなと思っていたので、今回はテーマをマップで整理して、キャラクターの設定を並べて、参考文献のリストを作って、全貌が見えるようにした上でプロットを組みました。プロットも、全体あらすじ、章ごとあらすじ、小見出しごとあらすじ、みたいに全体を分解して、そのレベルで入れ替えたり。
あとは最近、エンターテイメントにも学ぼうと考えています。純文学は文体とテーマっていうのを大事にしてきたけれど、エンターテイメントはキャラクターとプロットです。特にキャラ。キャラって、この人はこういう風に生きてきたっていう設定の厚みなわけですが、僕の小説では、何がなんだか分からないままにまず出来事が起きちゃったところから話が始まる、っていうのが多くて、それだとキャラが薄くなってしまうんですね。でも緻密に設定を作れないと長いものは書けないし、小説家として長期的にやっていけないなと思って。

――二作目はいつごろ本屋に並ぶことになりそうですか。

実は二作目は今年の1月くらいには出来ていたんですけど、そのまま出すのかどうか編集さんと議論になって。じゃあもう一個書いてみてよ、と。それで書いたものと前のやつと、どっちがいいのか話し合って、結局は前のやつを出来る限りがっつり直して出しましょうってことになりました。
ただ、デビューしてもう一年経ったので。他の雑誌から出してもいいと言われているので、来年(2013年)の頭には、二作目含め、いろんなところから同時多発的に出せればいいなと思ってます。

――とても楽しみです! 今日はどうもありがとうございました。




取材:種橋麻里、近藤多聞、鳥居萌、廣安ゆきみ/写真:鳥居萌