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若さって、若さって…-『成長痛』 梶ヶ谷ミチル



めでたくお誕生日をけっこう前に迎え、歳をまた一つ重ねました。「わかさ」って入れると「若狭」って出ます。どういうことなのかし。こんにちは飢えだです。

今年は誕生日周辺が死ぬほど忙しかったので(諸事情により二徹して成田エクスプレスに乗ったら足ががくがくふるえてきた)、ろくに自分への誕生日プレゼントを買うことができず、ないがしろにしてしまいました。

去年までは、誕生日までにはこれ買おうかな…なんて考えていたのだけど、今年は考える時間もなかったし、やっと最近落ち着いてきたので、なんか買おうかな…と思うも、ほしいものが見つからない。いや、足りないものはごまんとあるのだけど、お値段を見ているとなんか別にいいかな…という気がしてしまうのです。安すぎてもなんか特別感でないし、高いものは言うまでも買えないのだけど。

というわけで友人に誕生日プレゼントについて相談してみたところ「包丁」「ミキサー」「ドライヤー」「おいしい食事」などを提案してくれて、「まー、やっぱりバッグにしようかな」という結論に落ち着こうとしています。ちなみにまだ買ってません…あーこうやって歳を重ねるという感覚がマヒしていくんだなぁ、と感慨にふけりながら、自分にとってのまた新しい一年が始まりました!

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今回紹介するのはタイトルからもわかってしまいますが、梶ヶ谷ミチル先生作の『成長痛』(祥伝社、2012)、二人の高校生の成長を描いた作品です。

主人公たちは飢えだとは打って変わって成長することを望むんだけど、なんでなんでしょう、いつから歳を重ねるのっていやになってしまうんでしょうかね。

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東京の高校生柏野すばるはバスケットボール部の合宿で遠く離れた田舎の高校にやってきた。そこで3年生の夏目圭に出会い、心を奪われてしまう。合宿最終日の朝、二人で海へ連れ立ち、そこで文通を始めることになる。夏目は携帯を持っていないし、長電話も嫌いだというのだ。自分の周りにいないタイプの夏目に戸惑いつつも、すばるは惹かれていき、文通を重ねていく。

BLで遠距離恋愛が主題として取り上げられることは珍しい。何より男同士という主題そのものが成就までのハードルが高く、悲劇化しやすい。そこに遠距離なんていう要素が加わったらシリアスすぎて見るのも怖い。思いっきりギャグっぽくしない限り、過剰にリアリティのない話になってしまうだろう。

しかし、『成長痛』はシリアスでもギャグでもなく、典型的な高校生を活写しながら、「文通」そして「成長期」という設定を巧みに活用して二人の恋愛を描いている。

 

まず、文通の大前提として二人は離れて生活している。そのためほとんどの時間を共有していないし、共有できないのだ。それが二人にとってはとてももどかしい。

夏目はモノローグでこう言う。

「考えてみればすばるにだって東京での生活があって… 俺の知らない人と毎日過ごしてるんだ 当たり前だろそんなん… わかってる でも… 当たり前の事なのに なんでこんなにヘコむんだろ」

 

文通はメールとは違って手紙を送って相手のものとに届くまで時間がかかり、ギャップが生じる。地元での生活や交友関係は言うまでもなく与り知れない。嫉妬しても意味が無いし、距離自体は自分にはどうにもできないものだ。

さらに、すばるは成長期真っ盛りであり、会う度に印象が変わっていくのだ。東京と田舎とで離れて暮らしている二人だが、最初の合宿以外にも夏祭りやオープンキャンパスなどで会う機会があった。物語のはじめでは夏目より小さくてチビだったのに、終盤ではとうとう夏目より大きくなってしまう。この会うたびの変化、という設定が年下攻めの設定にぴったりなのだ。夏目は会う度に成長するすばるを見て、ついつい意識してしまう。すばるはその一方で、体は大きくなるのに、精神的には夏目に追いついていないように感じる。

そしてこう言う。

「どんだけ俺情けないんだよ 自分の事しか考えないで ただのガキじゃん もっと大人になりたい ならなきゃダメだ」

すばるには「いやぁ、大人になってもそうとは限らないけどなぁ…」と心のなかで呟かずにいられないけど、確かに昔私も大人になれば…って考えていた節がある。

 

文通という設定は、一見ノスタルジックだが、作品はノスタルジーに浸るわけでもなく、文通という設定の珍しさを押し出したものでもない。すばるも夏目も普通の現代高校生なのだ。文通を提案した夏目だが、最初は文通を続けていたが、好きになって行くうちに嫌いだと言っていた長電話だってしてしまうし、最終的に最初は持ってなくても困らないと公言していた携帯電話だって持ってしまうのだ。

その辺りは梶ヶ谷先生が描いているごく普通の高校生というところにつながっていくと思う。その描き方が見事で飢えだはいつも感嘆してしまう。

物語は「50…40分で行くよ 待ってて」というすばるの言葉で終わる。

最初言った50分を、40分と言い直す感じ。きっと10分縮めるために駅まで行くのにしろ、途中コンビニで寄るにしろ、大急ぎで夏目の家まで行くのだろう。一緒にいられる時間を一分も無駄にしたくない思いがこの言い直しに凝縮されていて、やっぱ梶ヶ谷先生のセリフ回しは巧みだなぁと改めて感じ入ってしまった。

かぁーいいね、若いってのは。もう年取ったら走るのも息切れるし、「別にいいかな」ってあきらめ気味になるし、5分や10分の遅刻もデフォルトになるし(これは飢えだだけかもしれないけど)。青いねぇ…青いねぇ…

読んでいると青くて読んでいるこっち側が恥ずかしくなってしまうんだけど、臭くはないのだ。

なぜなら二人の言葉には恥じも衒いもない。オープンキャンパスで東京に来てすばると会った夏目は頭の中からすばるのことが離れず、「これからは頭切り替えて行かなきゃいけないのに」、と両頬を手で叩くシーンがあるのだが、読んでいるこっちが恥ずかしくなってしまう。すばるが大人になりたい、と思うシーンも青いよねぇ。誰だってそんな青い時代を過ごしているのに、二人の姿がとても新鮮に映る。でもこれってもしかしたら逆説的に私達の老いを表しているのかも。

全力で向かっていくのは体力がいるし、痛みも伴うけど、それができるのが若さなのかもしれない。夢やら希望やらを諦めていくと、ぷしゅーとしぼんでしわしわになってしまうのだろう、若さって。そういうことかもしれない。【感想】