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『東アジアの家父長制』―母役割の自明性を問う

 



 

すえみつです。語学試験が概念になりかけています。チャイ語なんて消えてなくなればいいんや。…それはさておき。

 

 

見聞伝といえばBL!BLといえばジェンダー論!(?)というわけで、今回紹介する本は『東アジアの家父長制――ジェンダーの比較社会学』であります。

 

これは今期東大前期教養学部でジェンダー論の講義をなさっている、瀬地山教授の処女作であるわけで…、要するに、試験対策でせっかく頑張って読んだんだから、その内容を放出しておかないともったいないなくね?って思ったというだけの話でございまする。しかもちょっと雑かもしれない…けど、まあ読んでって。

 

内容の骨子自体は、ジェンダー論のシケプリをググって探していただければ、そのままシケプリの後半に書いてあったりする。(つまり後半期の授業は、15年くらい前に書いた内容をずっとリサイクルしてやっているわけだ…いや別に何も悪くはない。)

 

 

近代主婦の誕生とその変遷について、それぞれヨーロッパの場合、日本の場合、台湾、韓国、中国、北朝鮮の場合とで分けて考察したもの。

 

そもそも近代以前は主婦という文化、性役割は存在せず、女性はふつう、農村の中で貴重な労働力としての意味を持っていた。そのため子どもは母親が育てなければいけないという規範もなく、母親は、子どもをその両親に預けたり、赤ん坊の兄弟に任せたりしていた。

 

しかし近代に入って産業化が起こり、「住」と「職」の分離が起こった。資本家は女性も子どもも関係なく限界まで働かせたため、当然まともに子どもが育たない。つまり、労働力の再生産が正常に行われていない。徴兵検査を行ったらみんなガリガリでとてもじゃないけど強い軍なんてつくれない。やばいと思った政府はまず工場法で子どもの重労働を規制する。ここから学業を主とする「専業子ども」の誕生に向かう。

 

 

それから次に、女性の重労働の規制。ここから家事を専門に行う「専業主婦」が生まれる。男性でも女性でも、どっちかが家に入って家事をすれば良かっただろうに、なんで女性になったのかというと、ヨーロッパの場合はキリスト教の「福音主義」っていうのがそういう性規範に影響していたのだとか。重労働であえいでいた女性にとってこれは、社会上昇を意味していたためにすんなり受け入れられた。

 

そうして、初期の頃は家事で一日が飽和したが、電化製品の普及で家事の市場化が進むと、専業主婦にも余暇が生まれ、就労する可能性が現れる。この余暇をもつようになった専業主婦を「現代主婦」と呼ぶ。現代主婦が就労に向かうかどうかはその土地の性規範によって左右される。

 

 

ここまでテンプレ。これは主にヨーロッパと日本の話で、韓国とかほかの社会主義国家の場合は事情がいろいろ異なるそうだけど、ここでは割愛させていただく。(社会主義体制が安定していたときは、国が託児所をたくさん作って女性も男性同様に働かせていたけど、だんだん土着の性規範の影響力が強くなってきて、女性が再び家に戻らされるように…みたいな流れ。)

 

 

次に、日本の細かい話。いろいろ書いてあってここでは述べきれないけれど、個人的に重要だと思ったのは、日本における母役割、母性愛の起源について。

 

近代日本は、近代の欧米諸国と違って恋愛結婚が少なく、見合い結婚中心の社会だったので、欧米と比べると夫婦愛も希薄なものだった。しかも核家族中心の欧米に対し、日本の近代家族は父系直系家族なので、(労働力として必要とされた農村をのぞいて)嫁に入った女性は子どもを生むまで孤立し、肩身の狭い思いをする。結果的に、子どもができると夫婦愛が薄い分、子どもを通した自己実現に向かう指向が生まれる。




これが母性愛の起源。さらにこの頃、だいたい19世紀末から20世紀初期の日本で、良妻賢母主義という思想が政府によって唱えられる。これは、子どもを育てるのは母親なのだから、女性もちゃんとした教育を受けてしっかりと子どもを育てられるようにしなければいけない、というもので、もちろん富国強兵の一環である。この思想も、前述した理由によって女性らにあっさり受け入れられた。これが、日本の母役割、つまり子どもは母親がちゃんとしつけや教育をしていかなければいけない、という規範の起源。100年足らずの伝統でしかないわけだ。

 

 

なんでこれらが大事なのかというと、これらのことを押さえると、とたんにうさん臭さが倍増するやつがありまして…、いわゆる、アレ、「親学」ってやつですよ。

 

参考になりそうなのは、こことか、こことか?(特に前者なんかは、あまり信用しすぎるのも良くない…のかもしれないけど。)

「幼少期にちゃんと母親が育てれば発達障害は防げる」なんていうトンデモ疑似科学は論外だとして、いちおう、当たり障りのない内容で広まっているらしいんですけど…「親学」が唱えているのは、「伝統的な子育てを復活させよう」というものなんですよね。「父親もPTAに参加しよう」とか、先進的?な内容も入ってはいるのですが、その内容の中心はやっぱり前時代的な主婦役割をイメージしておりまして、顕著なのが「子守唄を聞かせながら母乳を与えましょう」とか。子守唄とかいつの時代ですかやめてください。主夫はなかったことにされてますねほんと。母親以外が子どもを育ててはいけないのでしょうか。

 

しかもそういった前時代的な内容を、「伝統的子育て」として美化しているようなんですけど、100年足らずのものを無条件に賞賛するのって、どうなんですかね、思考停止してませんかね。夫婦愛の欠如と、国の要請が合わさって生まれたもの、なんですけど。

 

とにかく、主婦という役割の相対化、ならびに主婦への指向の抑制(理由はいろいろ。女性の経済的自立のためとか、男性のプレッシャーを減らすためとか。)を主張する教授に対し、「親学」の主張は真っ向からそれに対立するものなんですね。いわば逆コース。良妻賢母主義を唱えた明治政府と同レベルです。個人的にこの方向性は、復古どころか文明の退化でしかないと思っているのですが、実際のところはどうなんでしょう?そこらへんはみなさんのご判断にお任せします。

 

 

上記のサイトでも紹介されていますが、もっと面白いのが、「親学」関連で開かれている親守詩(おやもりうた)大会。見ればわかると思うのですが、これは子どもが親に感謝の詩を歌うというもので、親の「子どもに感謝されたい」というリビドーがあふれんばかりなのであります。子どもを通した自己実現ってやつですね。一見やってることはまともに見えますが、そのネーミングセンスにしろ、サイトの雰囲気にしろ、いかにも保守って感じでとてもおもしろいです。個人的には、あまり関わりたくはないところですが。

 

 

…とにかく、この本を読んで、日本の母役割の起源について読んでおけば、「伝統的な子育て」なんていうものが大して褒められたものではない、ということがよくわかるわけですわ。やっぱり何事も、その歴史を知っておくというのは大事なことですな。

 

 

それから本の内容に戻って、後半は東アジア諸国の比較。中国と北朝鮮という同じ社会主義国家、台湾と韓国という同じ資本主義国家でも、女性の就労への指向が大きく異なっている、というもの。

 

どう違うかというと、ばっさり要約してしまうと、中国大陸圏、特に台湾を含む中国南方の女性が、就労に向かいやすく、半島国家の女性の方が家事に従事する方向に向かいやすい、というもの。これは、前者は高学歴になるほど女性の就労率が上がり、後者は逆に高学歴になるほど就労率が下がることからもわかる。前者の方が仕事を自己実現として捉え、後者の方が仕事を「できればやりたくない労働」と捉えている、ということを意味しています。

 

 

これは、半島諸国の場合は、李朝時代から両班の間で儒教が広まり、「女性は内に」という儒教の性規範が、発祥地の中国を超えて今でも強い影響を与えている、ということが考えられるそうです。そのため高等教育を受け、同じく高学歴高収入の男性と結婚した女性は、働く必要がないためそのまま家事に従事し、そのエネルギーが教育などに向かうという。(これは日本の都市部でも似たような傾向が現れ、高学歴女性のエネルギーが生協やカルチャーセンターなどの社会活動に向かいやすい。)

 

一方で中国の南方部は、中国の中心部から遠く儒教の影響が弱いため、「女性は内に」という性規範が根付きにくく、また女性を含む家族全員で働き、収入を持ち寄って生計を立てるという暮らしがふつうであったため、現代でも女性の就労意欲が高い。台湾の女性の就労率はいわゆるM字型(子育て期にいったん退職し、一段落ついてからまたパートなどを始める)を描かず、高い値をキープしている。仕事を続けるために、子どもは基本的に、親族ネットワークを使って親や親族に預けてしまうそうだ。

 

(ここでも、「子育ては母親がするもの」という、「親学」的な母役割の自明性が揺るがされる。子育ては、別に母親にすべてを任せる必要はないのだ。台湾の子どもたちに何か悪影響が起きているとでも言えるのだろうか?)

 

 

これらを通して教授は、近代の産物である主婦の動向は、社会体制だけでなく、土着的な性規範の強い影響を受けるということを示した。そしてもし社会主義体制が崩れたならば、中国は台湾のように主婦の消滅に向かい、北朝鮮は韓国のように主婦が維持されると予想している。

 

 

結局この本が言いたいのは、主婦という近代の産物を自明視してはいけないということ。(それから、就労して自立する女性が増えればその分男性と女性が対等になり、男性の「家族を養わなければいけない」という負担も減るということも。)

 

これらのことを、タテ(歴史)とヨコ(地域)の比較分析によって解き明かした、というものである。

 

わりと古い本なので各国の状況をそのまま当てはめるわけにはいかないが、前述のように主婦役割を相対化するという意味では今でも十分読む価値はあるし、東アジアにおける性規範の基礎、方向性をおさえることは十分可能だ。ジェンダー論や主婦、ならびに親学の価値について興味のある方は必読かと思われる。

 

けっこうカタくてしんどいけど最初だけ飛ばせば後は面白い…はず。がんばってー。