毎月一日はやおいの日!ということで、今回も見聞伝更新停滞にかこつけて始まりました。BLレビュー。みなさんGW真っ盛りですがいかがお過ごしですか?ほどよく涼しく、ほどよく暖かく、行楽には最適ですね
飢えだも洗濯物を干しつつ、秩父に芝桜でも見に行こうかし…と考えています。気まま(要するにお一人様)で自由な(暇人)GW、最高ですね!我ながらGW→秩父と浮かんでしまうことが悲しい…まあ日帰りできて、ほどほどに旅行に行ってきた気分になれるなら秩父かなぁ…と。
オシャンティーでナウいヤングたちのホットなスポットはどこなんでしょうかね。お台場とかヒカリエとかなんすかね。
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こんなのを続けてるとどんどん虚しくなってくるので、感想に入ります。今回は日高ショーコ先生の『初恋のあとさき』(芳文社、2012)を紹介します。
日高先生は大好きな作家の一人で、『花は咲くか』(幻冬舎コミックス、2009)や『憂鬱な朝』(徳間書店、2009)、『シグナル』(芳文社、2007)など数々の名作を描いている。
本当はぜひ『花は咲くか』のほうも紹介したいのだが、先が気になるだけに、完結してから紹介したいと思う。主人公の二人とその周りの沢山の人々がどのような選択をしていくのだろう。とても気になる。
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日高先生の作品は、どれも繊細で、思い悩む登場人物の心情が丁寧に描写されている。ひとつひとつの目線や仕草を描くのがとてもうまいと思う。
また、二人の恋が成就するのかハラハラしてしまうのみならず、一人の人間としてキャラクターに感情移入することができる。BLのLoveの部分ばかりではなく、一人一人の生き方が丁寧に描かれているのも魅力の一つだろう。
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ちなみに非常にどうでもいいのだが、日高先生の描く女性が素敵なのだ!
BLに出てくる女性だから、物語に深く介入してくるわけではないのだが、それでもお飾りとして置かれるのではなく、確かな存在感を放っている。個人的に高橋さんのファッションセンスがきになる。あと、『花は咲くか』の久保田さんの存在も気になるし、『嵐のあと』の中森さんもいい味出してる。
女性が自然に出てくるBLって個人的に好き。作品に華がある(主人公二人だけで華があるんだけど)というか、深みがあるというか。いいですよね。
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それでは『初恋のあとさき』のあらすじを簡単に紹介しよう。
高校時代、主人公の仁科と美山は誰にも言えない恋愛関係にあった。しかし、美山の愛を受け止めきれず、仁科は不安を募らせていき、ある日「まともじゃない」「二度と会いたくない」「こんな関係卒業するまでだろ」と数々の言葉を美山に浴びせて二人は別れてしまう。そんな二人が10年後、社会人になってから再会する。仁科は普通のサラリーマンとして、美山は夢であったカフェのオーナーとして。さぁ再会した二人の関係はどうなる…?というもの。
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非常に巧みなのが、作中の過去と現在の交錯である。
物語は二人が社会人となった現在を主軸に描かれ、二人の過去は回想という形で断片的にしか提示されない。回想といっても回想で一話分割くことはなく、1コマだけだったり、1ページだけだったり、一番長くて13ページしか割かれず、物語を追うごとに少しずつパズルのように読者に提示されていくのだ。高校卒業時の別れのシーンでさえ、物語において非常に大切であるにもかかわらず、はっきりとは描かれていない。二人のセリフや一コマ分の絵から読者が推測するしかないのだ。
それ故に二人の過去(仁科としては「思い出」かもしれないが、美山としては忘れることができない忌むべき「記憶」。ここも重要)を、読者が追体験するのではなく、二人と同様に辿ることとなる。過去と現在のテンポのよい交錯が登場人物の心情描写と相俟って素晴らしい。
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あと、高校生時代の仁科と美山は純粋に萌える。高校時代と現在の社会人との日高先生の書き分けも見事だが、美山が仁科のメガネを奪って掛けるところとか個人的に好きだ。扉絵にも裏表紙にもこの絵が書いてあるから、日高先生も気に入っているのだろうか…
しかし、美山の愛に不安を抱える仁科がいると思うと、安らかな図だが、見ていて胸が詰まる。美山が仁科に夢中になっていく一方で、仁科は周囲の目を気にして美山の愛を持て余し、不安にかられていた。だからといって、不器用な仁科はきちんと自分の感情、則ち卒業したらこの関係は終わらせたい、という気持ちを伝えられなかった。
美山の目にも、本当は仁科の迷いが写っていた。しかし、無視してそのままずるずるとより深い関係に仁科を引きずり込んでしまったのだ。
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そして、二人の関係は崩壊してしまう。これはお互いに見て見ぬ振りをしてきた歪が顕在化したということだと飢えだは思っている。
まあそれにしても仁科の優柔不断さと卒業間際の言葉はひどいと思うけれど、美山がその優柔不断さに漬け込んでいたのもまた事実なのだ。
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美山は仁科に振られてからも、好きになるのはいつも仁科に似た普通の人間だった。美山はこう言う。
「俺はいつもお前に似た男を好きになんの お前に似た“フツーの男”をさ そんで皆最後に言うんだよね いつか絶対に言うの 結婚したいとか 子供がほしいとか―――――・・・ 結局俺はそいつの人生に入れねーの」
そしてこう続ける。
「皆―――お前と同じだった 俺の本気を全否定するんだよ!!」
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この「そいつの人生に入れねーの」という言葉が胸に刺さる。本気になってもいつか捨てられる。自分は愛した人とこれから先の人生をずっと共に歩むことはできないのだ。何も考えていないようなちゃらんぽらんな男を愛せればいいのだけれど、記憶に囚われ愛してしまうのは仁科のような男。
美山は必死に仁科の影から逃れようとしていたのだ。自分を好きにならない相手としか付き合えない、相手が本気になってきたら離れる。そんなだから、人とまともな恋愛関係を築くことなどできない。
この『初恋のあとさき』は『嵐のあと』のスピンオフで、美山は『嵐のあと』で「ノンケに本気になるとあとで泣くことになるよ」と言っていた。その言葉の意味が、『初恋のあとさき』を読むとじわじわわかる。
すべては高校時代の仁科に端を発している。美山は記憶に囚われ、ずっと10年前のまま縛り付けられているのだ。
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仁科は、再会を通じてようやく美山をきちんと見つめるようになった。高校時代のように、傲慢に愛してもらいたいと思っているだけではない。美山の夢を叶え、働く姿を心から愛している。その愛には贖罪の念もあるだろうが、そればかりではない。
「マシな人生」を生きてきたつもりなのに、行き詰まる。しかし、高校時代と変わらず、夢に向かって突き進み、見事に実現している美山の姿は、仁科にとってどれほど輝かしいものだったのだろう。
だが、この仁科の愛が二人をつらい過去から解放するわけではない。二人は物語の最後まで過去を引きずり、もしかしたら自分はこれからも変われないかもしれない、という恐怖も感じている。
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どれほどあがいても、過去は変えられないし、記憶は消えない。しかし、「これから」なら変えられる。
人生に行き詰まった仁科とずっと傷ついたままの美山が、きちんとお互いを見つめ合い、未来へと歩みをすすめるに至るプロセスを、『初恋のあとさき』では巧みに描いているのだと思う。
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二人はこのあとどのような人生を歩んでいくのか。仁科は変わることができるのか。美山に救いはあるのだろうか。そこまでは作中で描かれない。
結局読者の私たちは二人の人生に入れないから、何かしてあげることなど(強いて言えば二次創作か?)できない。
でも、きっと二人のこれからが大丈夫であるように、祈っていよう。
とりあえず秩父の山の神にでも…