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神谷バーに行ってきた

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夕暮れ。浅草を雷門から吾妻橋に向かって歩いていると前方にレトロな黄色い看板がぼうっと見えてくる。

「神谷バー」である。

浅草一丁目一番一号に位置するこのバーは、明治13年(1880年)創業。
日本初のバーである。

「神谷バー?そんなところ知らないな?」という人も、

「電気ブラン」

なら聞いたことがあるのではないだろうか?


「電気ブラン」
神谷バーで製造・販売されいているカクテル。
その製法は門外不出であり、
ブランデー、ジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされているらしいが、その配合は誕生100年を越えるにもかかわらず、未だ明らかとなっていない。


太宰治の『人間失格』では、主人公の葉蔵に酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想を教えた悪友堀木が、

「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」と保証した代物である。

また、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』で、李白翁が密造しており、乙女と飲み比べを行った、秘酒「偽電気ブラン」のモデルとなったお酒である。

この「電気ブラン」。高校生のとき『夜は短し…』を読んで以来、これを神谷バーで飲みたくて仕方なかった。去年の五月祭で私は畳屋から四畳半をもらってきて「四畳半神話喫茶」なるものをやっていたのだが、その時は飲まなかった。初めての一杯はここと決めていたから。念願の一杯である。
(お酒は二十歳になってから)


さて、その神谷バーであるが、建物は縦に長く、一階がバー、二階がレストラン、三階が割烹となっている。

胸躍らせながら中に入ると、案外広い。

バーと聞くと、どうしても薄暗い店中にバーテンが立っていて…

というイメージだが、がやがやと店内は明るく活気がある。
バーというより、古き良き大衆居酒屋といった感じである。
店員はレトロというよりも、ハイカラの方が似合う。

席を取ってから、初めの注文はカウンターに行きチケットを買う。
とりあえず、「デンキブラン(260円)」を購入。
お財布への信頼に一抹の不安がある私にも安心である。

席に戻ると、ウェイターさんがチケットを取りにきてくれるのだが、その切り方が格好いい。颯爽と、片手でパキッと半分に切り取っていく。

しばらくすると、コップになみなみと注がれた黄金色に輝く電気ブラン(写真)と、一杯の冷水が運ばれてきた。

ついに憧れの電気ブランを一口すする。

キツい。(電気ブランは30度である)
確かにキツい。が、なんだか幸せになる。

黒髪の乙女も「ああ、いいなあ、いいなあ。こんな風にずうっと飲んでいたいなあ」と語っていたが、正にそんな気分であった。

お酒か、気の置けない友人といるからか、店の雰囲気か、何がそうさせたか分からないけれども楽しい気分であった。

さて、座っているテーブルなのだが、これが大きいため一人や二人で行くと大抵の場合相席となる。

私と友人が相席となったのは、60前後のナイスミドルなおばさま二人。

お酒に弱い私が、ちびちびなめるように飲んでいると、

「いやはや、キツいかい?笑」と笑顔で話しかけてきた。
「想像以上に。笑」と苦笑しながら返す。

もちろん初対面であったが、お酒とおつまみが進むうちにどんどん打ち解けていった。

どうやら二人は、大の歌舞伎ファンで、その日も歌舞伎を見た帰りらしい。
毎週末のように歌舞伎を見ては、ポイントをため、新歌舞伎座の初回公演をいい席で見ようと奮闘している模様。

・神谷バーに来たきっかけ
・歌舞伎の面白さ
・女性へのお酒のすすめ方
・現代の若者のお酒事情
・おばさま方はなぜ麦酒しか飲まないのか
・昔のコンパとはいかなるものだったのか
・おばさまの父親の酒豪エピソード
・とその父親を継いだおばさまの酒豪エピソード

など気づけば二時間ほど楽しくおしゃべりしてしまっていた。
名前は聞かなかったけれど、またどこかで会えたら、と思う。

気持ちよく酔って外に出ると、外はもう暗かった。
夕方に入ったのがついさっきのように思われたのだが…

あっと言う間の神谷バー初潜入だったが、実に愉快な夜であった。

少し、ぐだぐだと書いてしまった感は否めないが、ぜひ自分で行ってその「神谷バー」という雰囲気を感じて欲しい。


皆さんも神谷バーで、

「飲み会」ではなく「ちょっと一杯」

してみてはいかがだろうか?


リンク
神谷バー

(文責:ちょっぴり背伸びしてみた福井康介)