「里」というワードから何を思い浮かべるだろう。
四方を取り囲む山々、夕陽を背に乱れ飛ぶ赤とんぼ、一面の銀の稲穂、おばーちゃんスマイル・・・。
多くの人がそのような風景を頭に浮かべるのではないだろうか。
おもひでぽろぽろ、みたいなね。
都会、それも日本最大の大都会に住み始めてはや3年。
そうした田舎風景から離れて久しい。
僕はかなりの田舎出身なのだけれど、いざ「里」というもののイメージを思い浮かべてみる時、それはどうしても、テレビとか、マンガとか、本とか、そういったものから得た、なんか凝り固まったイメージに収斂してしまう。
〈p style=”margin-top: 2em;”〉この前、ふと気付いたのだが、僕はお隣さんの顔すらしらない。というか、同じアパートに住んでる人と話したことすらない。
そういえば、うちのばーちゃんは家にカギすらかけてなかったなぁ。
一回、泥棒に入られたけど。
無縁社会という言葉が流行りだが、向こう三軒両隣の精神が消えかけている都会に住んでいると、a1ways三丁目の夕日みたいなご近所付き合いみたいなものにはちょっと憧れたりする。
そして、こういうご近所付き合い、共同体の精神というものも「里」のイメージとつながる。
〈p style=”margin-top: 2em;”〉僕が確かめたいことはこうだ。
「古くからの生活様式、共同体の精神らしきものがいまだに息づいている、伝統的な「里」というものが日本にはまだ残っているのか、そして、もしあるとしたら、そこでは人と人とがどのように結び付いて生活しているのか」
〈p style=”margin-top: 2em;”〉そうした里のあり方には、都会で暮らす現代人のだれもが抱える、行き場のない虚無感のようなものを打破するヒントが隠されているように、なんとなく感じるのだ。
具体的には、まず、都会と群馬県上野村とを行き来する二重生活を続ける中で、独自の思想を展開してこられた内山節先生にお話しを伺い、そのお話も基に、イメージに近い「里」を選定、実際に現地に訪れ、人々の生活の様子を調査する。