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7. 学生から見た教養学部のシステムと不満,問題点

〈学生の登壇〉

紹介に預かりました立花ゼミの学生です。話の筋からそれますが、まずこの冊子について簡単な紹介をしたいと思います。この冊子は今回の講演の配布資料なのですが、この講演に完全に沿っているわけではなく、先生のお話の中にもこの冊子に載っていないこともあり、逆に冊子にしか載っていない内容もあります。それはまたゆっくりと見ていただきたいのですが、そもそもこの冊子をなぜこんなに気合を入れて作ったかと言うと、駒場祭特別講演会は今回9人の先生方が3日間、連続講演されるのですが、やはりその中に学生の視点が中々入ってこないと言いますか、学校側の立場や、研究の第一線からはすばらしい人が揃っているのですが、学生の立場からの意見を発するのは我々しかいない、というのが理由です。そういう気概でつくりました。

冊子の大体の内容を説明しますと、まず最初に今の駒場の現状と言いますか、どのようなシステムで教養課程が動いているのか、が「現行のシステム」という部分で説明されています。次の「東大の今、東大生の今」はかっこよく名前をつけてはいますが、単純に学生に対してアンケートをして、東大生の生の声を聞いてみようと言う企画です。次の「教員に聞く」は、教官の皆さんにも教養教育について、そして今の駒場について語っていただきました。その次の「教養を語る」は、前述のアンケートを受けてゼミ生4,5人で行った座談会を編集したものです。大分話題がいろいろな所に飛んでいるのですが、ぜひ読んでいただきたいです。「インタヴュー集」は、少々お話を伺えた人数が少いのですが、旧制一高卒業生で、その後本郷で長らく政治学の教鞭をとっていらっしゃった篠原氏に一高卒業生の立場で現状をどう思うかを伺ったものと、NHKのスタッフで、爆笑問題の二人がやっている「爆笑問題のニッポンの教養(NHK総合で火曜午後11時から放送している番組)」という、僕がファンである番組のプロデューサー、水高満氏に教養について伺ったものです。それから「リンク集」は、「現代の教養を語る上では大学だけでは不十分である」という観点から、 Webがどれだけ進化していて、そこにどれだけ面白いコンテンツがあるのか、ということを紹介しています。第7、8、9、10章は、直接講演には出てきませんが、教養を考える上では大事かな、と思われるものをいくつか載せました。最後の「ゼミ生による私の教養観」では、どれだけ狭い定義か分かりませんが、担当したゼミ生一人ずつが、現時点での教養観を1ページ程度書きました。

では「現行のシステム」の部分ということで、教養課程の現在を少し詳しく話してもらいます。

ここからは「現行のシステム」ということで、先ほど先生がZOOと仰った駒場の教養教育を考える上で、現在の前期教養課程でどのようなシステムで教育を行っているかを知ることは、現場の実態を知ると言う意味で非常に重要だと思うので、ここで触れておきたいと思います。詳細は長々と書いてある本文を参照して頂きたいのですが、少々かいつまんで説明したいと思います。

まずシステムと言うことで、どんな気概を持ってこの制度があるのかを、教養学部長の小島憲道氏の言葉を引用すると、「東京大学に入学された学生の皆さんには、まず、バランスのとれた教養を幅広く身につけ、自分が将来さらに究めていくべき学問や、社会の中での自分の生き方についての判断力を養っていただきたいと強く期待しています」という風に仰っています。つまり入学時に学部学科を決定してしまう他の多くの大学と異なり、東京大学では前期2年間の幅広い前期教養教育を用意していて、己の志す道に限らず、社会全体への広い視野を育むと共に、自己の志望をもう一度見直す、ある程度の自由度を保証した進路選択を許容している、ということを言っている訳です。

その制度としての気概を体現しているのが、この後出てくる総合科目なのですが、教養教育、つまりいろんなものをバランスよく学ぼうと言う意味で、一種眼目になっているのが総合科目と言うものです。普通学生の時間割というのは教務課が担当教官や時限を一方的に指定してそれを学生が受容する形をとるとお思いかも知れません。実際に、東京大学でも英語や第二外国語、情報や体育などと言った必修科目に関しては提示されたものを受けるようになっています。しかし、その他の科目、ここで挙げられている総合科目に関しては、提示された必修科目の隙間のコマ、つまり自分の暇な時間に学生の自主性、興味、関心に任せて科目選択を行う、そして自分の好きな科目を選択して履修を行う、ということを行っています。その履修の幅ですが、AからFまでの6系列に分かれており、ABCの方では大体文系の科目、思想や芸術、国際関係などを扱っています。DEFの方は主に理系科目の方を扱っており、文系も理系科目DEFへ、理系も文系科目ABCへの越境的な履修が必要条件として課されています。双方とも、自分の専門外の分野まで幅広く学ぼうということが言われています。こうして、システム上、知識をこういう風に吸収していこうということが述べられています。あくまで概略ですので詳細は資料の方を参照ください。

話は戻りますが、先ほど先生から「期待と得られるもののすれ違い」という文脈でお話を頂いたのですが、それに関して学生の視点から先ほどから問題になっている進学振り分け制度に絡めて指摘をしたいと思います。(※スライドの1がスクリーンに映し出されている)まずここに示しましたのは、今年度の新入生全員に対して東京大学新聞社が行ったアンケートを引用したものです。それによると新入生の実に87%が「教養学部前期課程のカリキュラムに期待している」という風に回答しています。他の大学とは異なり、1,2年生は全員が前期教養学部に所属し、文理の枠を越えた学修から教養人としての素養を獲得するようになっています。実際、この10月に私たちが実施しましたアンケートでも「幅広い分野の学修が可能」という点を挙げて駒場の教養教育の成功を主張する意見も多々ありました。(※スライドの2がスクリーンに映し出されている。)しかし、私たちが行ったアンケートの中で、入学して実際に駒場で教育を受けた後に教養養育の成否を尋ねると、学生の70%近くが「教養教育は成功していると思わない」という回答を示しています。(※スライドの3がスクリーンに映し出されている)駒場で授業を受けるという実体験を差し挟んだことでこのような逆転現象が起こる、それは一体どういうことか。ということを、学生の回答の理由の部分から少し抜粋して考えてみたいのですが、「教養よりは単位や点数を重視している」だとか「教養じゃなくて進学振り分け制度のためのテストと化している」「進学振り分け制度の廃止、または点数の基準を下げる、教養という目的に対し点数で進路が決まる結果は矛盾している」「そもそも教養教育の目的を知らない、教養って何?」だとか。これらの意見と似通ったものが多数挙げられていることが、この後のページで参照しているアンケートの中でも述べられているはずです。それをまとめてみるとやはり「進学振り分け制度が矛盾している、よくない」という意見が集中しているのがわかります。

では、進学振り分け制度がどういうものなのかということを少し説明していきたいと思います。(※スライドの4がスクリーンに映し出されている)これは。学生がもらう『履修の手引き』というガイダンス的要素の含まれた冊子に書いてある原文です。「第三学期の終了時点で、学生の志望とそれまでの学生の学修成績によって、学部・学科等の進学先毎さだめられた人数の振り分けになるよう、学生の進学先を内定させる手続き」というふうに進学振り分け制度が説明されています。どういうことかと言いますと、まず学生の志望ということに関してひとつ。基本的には、先ほどの小島教養学部長の文章にあったように、学生の志望を優先し選ばせてあげよう、ということを言っているのですが、ただこれを読んで頂くとわかるのですが、先ほど前期教養学部に全学生が所属していると言いましたが、実際には文科一類から理科三類までの6系統に分かれており、基本的には科類と学部の対応関係に沿って進学振り分けが行われます。例えば、法学部に行きたいとなれば、文科一類から行くのが専らです。具体的に言うと、法学部の定員は415人なのですが、内394人は文科一類からの進学になります。また経済学部なら文科二類から、文学部なら文科三類から、という対応関係をとっています。

ではこの基本的な対応関係以外の枠による進学はどうなるのか、という話ですが、2008年度から「全科類枠」が導入されて、どこの科類からでもどの進学先へも行けるという制度がとられています。しかし、これもその枠が少なくて、先ほど法学部の415の定員の内395を文科一類が占めると言いましたが、全科類枠はその残りの20枠程度と少ないものになっていますし、また学科毎に必要な科目というのも存在し、それを履修しておかねばならないということもありますから、あくまで進学に関する大学側の試行錯誤の一環ということも言えると思います。

入学後への期待度
2008年度新入生対象のアンケート結果(%)
期待している40
どちらかといえば期待している47
全く期待していない1
どうでもよい5
その他1
無回答・無効6

先ほども言いましたアンケートですが、「東京大学に入学した理由」で二番目に多いものに「入学後の進路選択の幅が広いから」というものが挙げられているのですが、自由といっても実際は自由ではなくて、つまり進路の決定が猶予されるというわけではなくて、大体の進路は入った科類によって決まってしまうというのが現状になっています。(※スライドの4がスクリーンに映し出されている)

もうひとつ、「学生の学修成績」と「定められた人数になるように」ということに触れてですが、進学振り分けを行うときに、東大では学修成績が考慮されます。成績とは何かと言いますと、1学期から3学期つまり一年生から二年生の最初あたりで履修した科目の試験の平均得点がそれとして考慮され、振り分けの際の基準となります。どのように用いられるかというと、定められた人数、法学部なら何人、経済学部なら何人という各学部毎に定員が定められており、人気の学部には志望が集中するわけでそういったときにどうやって振り分けを行うのか、というところで各人の持ち点の高い順に選んでいく、ということが行われれています。すなわち、競争が発生します。人気のある学部へ行くために熾烈な点数稼ぎ合戦が生じてしまっており、「高校4年生」つまり大学受験のように学部受験をもう一度やるという意味で、僕ら駒場生はしばしば揶揄されます。

今挙げたのが進学振り分け制度の持つ矛盾です。一つは「どの進路へも幅広い選択可能性がある」と言いつつも、実際は限られてしまう。もう一つは点数による競争を課すことで学生が点数稼ぎに走ってしまい、先ほど先生が指摘された『逆評定』のように単位や点数の得やすい科目に学生の履修が集中してしまう、という現状があるということを申し上げておきたいと思います。というところで先生にお返しします。