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2010年度駒場祭特設ページ
「貧困と東大」のチームで行った東京大学三鷹国際学生宿舎でのアンケート。多くの回答の中に、ひとつだけ、メッセージとともに連絡先が書かれていた。 「協力できることがあれば、他にもアンケートや質問に応じます。」 私たちはそこに書かれた連絡先にメールを送り、大学入学までにどのような人生を歩んで来たのかを尋ねた。
返事はすぐに返ってきた。 小学2年生の時に父親を亡くし、母子二人で生きて来た。その上母親は長時間働くことができない身体。それでも「知識は重たいものではないから」と言われ、勉強を重ね、東京大学に現役で進学した。 テレビゲームはなかったけれど、周囲の人々に支えられ、努力を重ね、いまを掴み取った。 「お金持ちでなくても東大で学べる」それを地で行っている。 今のところ(まだ入学して2か月ちょっとですが)、大学生活には満足していますし、充足感でいっぱいです。 どうせなら何事もポジティブに考えた方がいいと思っているので。
私たちは、この非常に力強く前を向いた若者にインタビューを申し込んだ。 ここにそのインタビューでのやり取りを記す。ただし、プライバシーの観点から一部削除改変した部分がある。
大学入学まで #あなたの生い立ちについて、大学入学前まで時系列に沿った形でお話しください。
最初は普通の家庭でした。両親とも大学を出ていません。 小学校2年生のときにいわゆる過労死で父を亡くしました。結構突然でしたが小学校2年生なのであまり覚えていません。 全く働けないというほどではありませんが、母はあまり身体が丈夫ではりませんでした。父を亡くした時に「働くかわりにテレビゲームを買うとかいろいろ遊ぶ生活がいいか、働かないでちょっと苦しい生活にはなるけれど一緒に過ごせる生活がいいか」ということを相談して、私は後者を選びました。まだ小学生だったので。ここで母に働いてもらうという選択をしていたら、たぶん私は東大に来ていないでしょう。小学校の5,6年生のときにグレかけたので。それからは遺族年金で暮らしてきました。でもお金のことで細かいことはわかりません。特に苦しい、困っているという感じはありませんでした。 中学生の時に塾に通い始めましたが、私自身は行かなくてもいいかなと思っていました。学校の勉強だけで賄えていたし、それなりの成績はとっていましたから。しかし、母から「能力があるんだったら能力を発揮しないのはもったいない」と言われて、せっかくだしちょっと行ってみようかなという感じで始めました。 高校は公立の進学校に進みました。高校でも塾に通っていました。授業料は一部免除されていました。1,2年生の時は地元の国公立大学に行けたらいいかな、と思っていたのですが、頑張って勉強していたら十分に成績が伸びたので、東大を受けました。どうせなら高いレベルに挑戦したいというのが大きな理由です。だから、これがやりたいから東大ってことはありませんでした。逆に、東大は進学振分があるおかげで1,2年生の間は学部学科が決まっていないことが魅力でした。
#大学入学までにお金に困ったという体験はありませんでしたか?たとえば、高校生になると交友範囲が広がったり、携帯電話を持ったりしてお金がかかりますよね。
中学校の友達の方が遊ぶ感じだったので、高校に入ってからは特に言うほど交際費はかからなかったと思います。進学校だとみんな勉強で忙しいですからね。携帯電話も持っていましたし、普通の高校生活を送りました。テレビゲームをやらなければ音楽もあまり聴きませんでしたし困ったということはありませんでした。
#高校の時にも奨学金を受けていましたか?
ふたつの奨学金を受けていました。 ひとつは、高校の同窓会の奨学金です。同窓会は先生が教えてくれて、同窓会で学業優秀でそれなりにお金の少ない生徒に奨学金を与えていますがどうですか、という相談をいただきました。高校2年生の時です。選ばれたのは学年で2,3人程度でした。月に1万円くらい、卒業まで奨学金を受けました。 もうひとつは、こちらも先生から紹介していただいたのですが、企業かなにかが財団を作っていて、その財団から奨学金をいただきました。学校の中で3人くらいの枠でした。金額は、同窓会より多かったのですが5万円とかはもらっていませんから2,3万円くらいでしょうか。こちらは高校3年間でした。
#経済的な面で先生や学校がいろいろと助けてくれたということですね。
自分でも掲示板とかに(募集要項などが)張ってあるのを見たりはしましたが、先生方からいただいたご支援は大きいと思います。けっこう先生には恵まれました。よかったです。高校の時に奨学金をいただいていたところとは別のところからですが、大学に合格したら奨学金を支給しますという約束をいただいていたので、大学生活にお金の心配はしていませんでした。
#奨学金や授業料免除を受けていると、事務手続きや集会などで出会った人が自分と同じような境遇にあるとわかると思います。高校の友達などで、そういうつながりはありましたか。
一人や二人はいました。でも普段そういう話をしませんよね。
#友達との間で、どうしてそういう話が出ないのでしょうか。
そういう話をする空気にならないのもありますが、私の感覚でいうと、そんなことで何かあった時に「あいつはそういう家だから」とかわいそうな目で見られるも嫌だし、付き合い悪いのもそういうことなのかなと思われるのは嫌ですよね。私自身に対してあからさまにはそういうことは無いでしょうが、裏で言われてそうですよね。何となくですけど。
#ここまでで大学入学前のお話をうかがいましたが、自分の人生に対する現状認識が大きく変わったり、将来設計が大きく捻じ曲げられたりということはありますか。
特に悪い方向に曲がったことはありません。たぶん父が生きていたら東大には来ていなかったと思います。別の人生だったでしょうね。 だけど、やっぱり人に恵まれていました。周りの人もそうだし、先生、学校の先生に当たりが多かったんですよ。勉強が好きになったのも、小学校の先生が珍しく理系の先生で、理学部を出た先生だったんです。それで数学とか理科とかが好きになりました。 好きって伸びるじゃないですか。それが大きかった。その調子で今までどんどん進んで来ました。
#すると大学入学前にはお父様が亡くなられたところ以外は普通の人生を送られて来られたと?
12月20日、立花ゼミの同窓会が多数のOB、OG、そして現役生の参加の下開かれました。その様子をお伝えします。(01.02 ダイジェストを追加。 随時更新予定)
2009年12月20日、本郷の山上会館にて東京大学立花隆ゼミナールの同窓会が行われました。 再びお会いできる日を楽しみにしております。 09年度見聞伝ゼミ長 ※スナップ掲載について不都合がございましたら、こちらからお問い合わせください。
東京都荒川区には「山谷」と呼ばれる地域がある。 今となっては正式な地名ではないが、この山谷界隈は日雇い労働者が職を求めて集まる「寄場(よせば)」として有名であった。また、格安の宿泊施設(ドヤ)が集まるドヤ街、ホームレスの多いまち、近頃は外国人旅行者が宿泊するまちとしても知られている。 「貧困の現状を認識しよう」という期待をもって、我々立花ゼミ生は山谷を泊まりがけで見学しに行った。 そこは世にも恐ろしい地獄絵図・・・ではなかった。 それだけにゼミ生たちの抱いた感想も多様であり、微妙である。 さまざまな角度からの「東大生v.s.山谷」を、ルポという形で収穫した。 有賀雄大
彼らと僕たちの住んでいる世界は違う.簡単に言うと,政治的態度が違う.僕たちは知的好奇心で彼らをピーピングするブルジョアジー,彼らはプロレタリアートだ.人は皆,党派性を帯びて生きている.その党派性は自己中心的なもので,人は皆自分の世界を住んでいる.
「そのお酒はどうされているのですか?」私たちが聞いた。 |
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