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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
2009.12.16 | by admin

山谷へ行った 山根梨佳子

 「これから山谷に行く。わくわくドキドキ!」ツイッターでそんなことをつぶやきながら、23時頃南千住駅に着いた。何もない。コンビニ、マック、商店街、だいたい東京都内のどの駅付近にも存在する商業的なものがなかった。
「まぁこんなもんか。」

 先に到着していたメンバーと合流して宿へと向かった。宿に行くまでの道は大通に面していて、人気が少ない深夜の町、というだけで何か非日常的な、暗く陰気な雰囲気が格別漂っていたわけではなかった。しばらく歩いていると、普通の人でない人を見た。ただ歩道の脇につっ立って、ガウンのようなものを羽織っていたようだが寒いのだろうか、小刻みに揺れていた。そして何かをぶつぶつを呟いていたような気がしないでもない。服は全身薄汚い黒だった。
その人の前を通り過ぎる前に、ふと私は会話をするのを止めていた。目の前は少しうつむきながら通り過ぎた。
やはり後ろめたさがあったことは否定できない。通り過ぎ終わってからまた静かに会話を再開した。
「あの人、そうだよね?」

 宿に到着し、軽く打ち合わせをした後、少しばかり山谷を歩いてみることにした。おそらく一番ホームレスが多かった場所、アーケード「いろは会」に行ってみた。アーケードの両脇にはずらりとホームレスの方々が端から端まで並んでいた。大半の人たちはそのまま床に段ボールを敷いて寝ていた。中には部屋のようなものを作ってその中にいた人たちもいた。
彼らがどんな生活をしているのか、知りたかった。だから私は視線を彼らに向けた。なんてことはなかった。彼らはもう寝ていたから。

 他にも気になることはあった。
いろは会の中にあった大きな家とマンション。どちらもとても新しくきれいだった。
大きな家には、セコムが付いており、マンションもオートロック付き。決してホームレスの人が家宅侵入するとは思えないが、住人たちにとってセキュリティの問題は切実だろう。
とにかくとても気になった。何故こんなところに家を建てたのか、何故こんな物騒なところにあるマンションに住もうと思ったのか。
私だったらここは選ばないとはっきりと思えた。
そのくらい「いろは会」は普通のごくありふれた商店街とは違っていた。暗くて不気味で、出来れば通りたくないようなところなのだ。

 いろは会を歩きながら視線を上にあげてみると、一軒のお店の二階の窓から人が外を見ているのがわかった。
女性で、年はおそらく40代。私の視線には気付かなかったようだが、私の前を歩いていた数人のゼミ生に冷ややかな視線を向けていた。彼女の視線が移動し、一瞬目が合った気がした。と思うと、すでに窓は閉じられていた。
すりガラスの窓の奥にはその女性以外にもう一人誰かがいるのがわかった。
2人はこの建物で生活している夫婦だろうか?朝になったら1階に降りてきて、商売を始めるのだろうか?
少ない情報から私は必死に思いを巡らせたものの、彼女の冷ややかな視線ばかりが何度も思い返されるだけだった。今頃私たちについて何か話しているのだろうか?それとも話題にするにも値しないのだろうか。
なんとなく彼女の視線は「また来たよ、こういう連中」と言っているような気がしたのだけど。

 宿に戻る間、とにかく彼らの生活に結び付きそうなものを見ておきたかった。
自販機が安いかどうか、ゴミが捨てられている場所ではどんなゴミがあるかも見た。ビームスのオレンジのショップバッグがゴミ山に捨てられていた。辺りを見回すとそこはすでに普通の住宅街。ほんの少しいろは会を抜ければ、もう東京都荒川区であって「山谷」ではないみたいだった。
ビームスで買い物をするような世代の人だってそりゃあいるよなぁ。

結局彼らの生活を垣間見れるようなアイテムに遭遇することはできなかった。

 翌朝4時にメンバー全員で宿を出た。
もしそこでツイッターで何かつぶやいていたとしたら「山谷見学本格始動なう!わくわくドキドキ。でも雨ヤバイorz」とかそんな程度だったと思う。つまり前日の23時の気分と大して変わっていなかった。雨もまた前日同様、激しく降り続いていた。

 まずどろぼう市が開催されるという神社に向かった。宿からは徒歩10分弱。
神社付近で、一人の男性が私たち一行に近付いてきた。足もとがふらついていたし、何か言葉を発していた。私は視線を合わせないようにした。間違いなくホームレスだった。服の襤褸臭いところや、肌の色、髪のボサボサ加減。なぜ一目見ただけでわかってしまうのだろう。確認したわけではない。でもこうやって見分けられるのは私だけではないはず。「からまれたくない」どこか恐怖感にも似た感情によって、私はその人の存在を完全に無視したのではなく、存在を確認した上であえて距離をとった。

 どろぼう市が行われていないことがわかった後、私たちは仕事を捌く会場となっているところに向かった。
途中、大きな公園があった。いや、公園というにはもはやふさわしくない。彼らの居住空間が存在していた。人が歩く通路を除いて、一面青いビニールシートで覆われた彼らの「家」の横を無言で通りすぎていった。
カメラを提げていた私は彼らの「家」を撮っていった。「家」だから問題ない。でも本当だったらいろんな角度から撮りたかったのが本音である。しかしそんなことは出来ない。
青いビニールシートは誰かの造ったオブジェでも何でもない。彼らの「家」。
まだ陽が昇っておらず暗かったせいもあって、視点が硬直したつまらない記録写真しか撮れなかった。仕方がなかったとはいえ、少し歯がゆい気持ちになった。

 何度がホームレスの方の目覚まし時計が鳴るのを耳にし、実際ホームレスの方が起きているのも見た。
そろそろ山谷の町が動き出すのではないかと私は“期待”に胸を膨らませた。しかし会場だとされていたところでその気配はなかった。しばらくその近辺をぐるぐると回ったりしたものの、どうやらこちらも空振りのようだった。
残念だった。せっかくだから見たかったのに。

途中コンビニにより休憩を挟みながら、今後の動きを確認して、再びアーケード「いろは会」に戻ってみることにした。

 一見するといろは会は特に変わった様子ないようだった。ところが入口付近で一人の男性が話しかけてきた。何と言っていたのか覚えていない。初めはろくに返答もせず曖昧にやり過ごし、少々進んでみた。
しかし既に時間は6時ごろ。とにかく何か情報が欲しかった。「あのおじさんに話しかけちゃえばよかったね」
そんな会話をしていたら、話しかけるのが有効な気がしてきて、来た道を引き返し先ほどの男性に近付いた。
「どっか行くの?」男性から再び話しかけてくれた。すかさず「逆にどこかへ行かれるんですか?」一緒にいたœ廣安さんが聞き返した。
すると彼は話始めた。「行く場所なんてない」最近、日雇いの仕事が全然なくなってしまったとのこと。
隣にいた別の男性も話始めた。資格がなければ仕事はないと言ったり、それでも今どき資格を持っていても仕事がないということ。さらに彼は「どうにかしてほしい」と懇願もしていた。
私たちと彼らで会話のキャッチボールが成立していたかというと、微妙なところで、初めに話しかけてきた男性は「だいたいこのくらいの時間にいつも起きるのですか?」という私の質問に丁寧に答えてくれたのだが、もう一人の男性は一方的に話しているようだった。なるべく彼らの話を引き出したかった私はとにかく聞くようにした。真剣に、彼らの話に耳を傾けていた。

「そのお酒はどうされているのですか?」私たちが聞いた。

男性たちの前におかれた缶ビールや漫画、お菓子。
確かにそれらは「仕事がない」現状には似つかわしくない嗜好品だった。

 ところがこの質問はもう一人、二人の男性の奥にいた男性の逆鱗に触れることとなってしまった。
「何が言いてぇんだよ、てめぇら。買ってんだよ!!」「さっさと帰れよ」
そんなようなことを言っていたと思う。私はあまりに急な展開に当惑していた。手前で話をしていた男性二人にしか目が行っていなかったので、まず2人の他に男性がいたことすら気づいていなかった。そしてその第3の彼が突然激怒するとは。初めに話しかけた男性も激怒した彼に合わせるように「じゃあね」と突き放した。
私たちはただ「すみませんでした」と謝って足早に去っていった。

「もうこれ以上追及するのはよそう。」
そういった空気が私たちの間に立ちこめていた。

 何日か後にたまたま労働者にも取材したことがあるジャーナリストの方とお話をする機会があり、
山谷であった出来事を話してみた。日雇い労働者は人とコミュニケーションすることに餓えている、と言っていた。仕事がなければ宿に引きこもることになる。そういった生活の中で、人は他人とどう接すればいいのかわからなくなる。そうするとお酒を飲むしか人とコミュニケーション出来なくなり、お酒が手放せなくなるのだと。
昔は山谷にはもっと立ち飲み屋がたくさんあったのだという。今セブンイレブンとなっている場所には「世界本店」という山谷を代表する飲み屋があった。現在、そのセブンイレブンのドアには「世界本店」と書いてある。
彼の話が絶対ではないのだが、そういった事情がありうることは頭に入れておきたい。

 いろは会で私たちはホームレスと会話をした。僅かながらコミュニケーションをしたのである。
あくまでも推察にすぎないが、結果突き放すことになったはものの、やはり彼らは私たちと話したかったのではないかと思う。いつも同じ人といるよりも少しでも外部の人間と話がしたかったのではないか。
だから男性は私たちにフランクに話しかけてきたのだと思う。
隣で私たちに資格の必要性を訴え、どうにかしてほしいと懇願したのは紛れもない事実なのだから。

 と同時に、話をしなかった大多数のホームレスの方々がいたことを私は忘れることが出来ない。
特に話をした3人組の向かい側にいた男女2人の姿。2人は焦点があっていないようだった。ただ一点を見つめて座っていた。2人の視界に入るようなところにたとえ私がいても、二人からは私は見えないのではないかと思う。
「こんにちは」と私が言っても何も反応をくれない気がする。

私たちのような外部の人間を認知してくれているだけでいい。
怒ってくれるだけでも、人間味がある。

 帰りの電車の中で私が言わんとしていることを近藤くんが「精神構造が違う」と言ってくれた。
話が出来ないと思った大多数のホームレスの人と私たちとでは精神構造が違ってきてしまっているため、
健全なコミュニケーションがもう出来ない。そんな仮説が浮かんだ。

直接寄付をする前にまず精神を通わせる必要があると私は思った。
そうでなければ寄付なんて絶対に出来ない。
というよりも本当に彼らが必要としているものを理解できない。

 ホームレスの炊き出しのボランティアをやっている人に先日偶然話を聞くことができた。
炊き出しを定期的にしていると、向こうもこちらを覚えてくれて話せるようになるとのこと。
しかも彼女はホームレスの写真を撮っている。

ひとまず私は炊き出しに行こうと思う。
それからでないと寄付の問題も、ホームレスという大きなくくりでの問題も何もわからない。
踏み出してしまったからには自分が納得するまでゆっくりでもいいからこの問題に向き合っていきたい。

山谷から帰る電車の中で私はつぶやいた。
「山谷見学終わる。さすがに考えさせられる。難しいけど、もっと理解したいとは思う6:38 AM Nov 11th」

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