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2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
その他 2011.4.18 | by shugotamura

雑誌企画 無期限無責任連載 第3回 「雑誌不況への分析」

無期限無責任連載ということで、前回から随分と執筆が遅れたが、その間PCが壊れるなどの惨事に見舞われたという言い訳を、まずはさせて頂きたい。そして、遅れている間に副ゼミ長になった執筆者の責務として、ますます本連載を書きあげなければならなくなった。閑話休題、では連載再開いたします。

 

「今、雑誌は流行らないよ」

この連載の冒頭にも書いた、雑誌企画を立ち上げた当初、幾度か言われた言葉である。雑誌をよく知り、雑誌を愛する人々の言葉だった。一人は大手出版社で書籍発行を主導した人間で、一人は零細出版社に出入りして雑誌作成に関わった人間だった。

 

今世紀に入ってから慢性的に叫ばれている出版業界の不振、中でも雑誌媒体は最早「雑誌不況」という言葉が定着しつつある。有名な例だけでも、1915年以来の歴史を誇った「主婦の友」が2008年に、日本きっての国際情報誌として知られた「外交フォーラム」が2010年に、それぞれ廃刊している。アメリカでは、「TIME」に並ぶ大手総合雑誌と言われていた「NEWSWEEK」誌が、所有者であるワシントンポスト社が売却を検討するほどの経営危機に陥っている。これらの大手雑誌の陰では、無数の中小雑誌が泡沫のように潰れている。今年有名になった映画「ソラニン」の原作漫画が連載されていた「週刊ヤングサンデー」は、2008年に廃刊した。

 

この理由づけに、活字離れという言葉が世間では一般的に使われることもある。また、ネット媒体の発達による紙媒体の衰弱を指摘する声もある。しかし本当にそうなのだろうか、ということで、実際に調査して見た。

総務省統計局の統計データ(日本統計年鑑第23章10節、日本の統計第23章6節)によると、雑誌の出版点数は、05年の4581部をピークに減少し、09年には4215部となっている。この数字では8%減で、そこまで悲惨には見えないが、『FACTA』オンライン2007年8月号に載せられた日本ABC協会の資料はより深刻だ。この記事によると、2001年から05年の5年間で、主要50誌の売上総数は01年の1325万部から05年には1012万部に減少、なんと4年間で24%減である。

そして雑誌全体を見ても、公正取引委員会の資料(公正取引委員会平成20年度報道発表資料 著作物再販協議会第8回会合 資料1『書籍・雑誌の流通・取引慣行の現状』 08年6月19日作成)によると、雑誌全体の発行部数は1997年に、発売部数は95年にピークを迎え、07年までに販売部数は30%以上の、市場規模では、25%近くの大幅縮小である。一方で、返品率は年々上昇傾向にあり、07年には35%を突破している。

一方で書籍の総発行部数は、同じく公取委の資料によると、販売部数は1988年にピークの9億4千万部を記録して以降穏やかな減少を続けているものの、99年からは7億冊台を保ち続け、03年から07年にかけては微増傾向にすらある。新聞媒体も、新聞協会経営業務部HPによると、2001年の5368万部から2009年には5035万部と、発行部数全体では9割ほどに減少したが、雑誌ほどではない。紙全体を見通しても、活字媒体自体はどこも雑誌ほど衰えていないし、そもそも電子媒体の活字に関してどれだけ読まれているかと言う統計はないため、活字離れという言葉自体が実態を把握しきれていない。

結果として分かったことは、事態は雑誌にとってはより深刻、つまり「出版不況」以上に「雑誌不況」であるという残酷な事実であった。

 

何故、活字媒体の中で雑誌だけが、こうも危機に陥っているのだろうか。

日経BPなど雑誌業界に長く身を置いた高橋文夫氏の著書『雑誌よ甦れ』(晶文社 09年)において、著者は従来の中産階級をターゲットとした総花色的な内容が時代に合わなくなっている、と主張する。現代の雑誌、特に週刊誌が発達した背景には、戦後の高度経済成長に伴い中産サラリーマン階層が成長し、国民総中流と言われる均質な政治的、文化的な情報を求めるようになったことがある、と氏は分析する。そして、その社会的背景が、近年の多様な趣味嗜好の発達や格差拡大によって崩壊しつつあり、国民全体で均一の情報を要求する風潮が薄れているため、従来型の雑誌構成では成立しがたくなっている、と主張する。

そして、高橋氏の説を補強すべく、そこで述べられている趣味嗜好の多様化には、現代のインターネットの発達が不可欠だと僕は分析する。従来は制限されていた情報供給手段が、ネット社会到来によって爆発的に拡大し、情報量の飛躍的増大を促し、情報消費者の側に選択の可能性を広げたのだ。それは、相対的にも絶対的にも出版業界全体の地位を低下させたが、それ以上に趣向の多様化と言う面から従来型雑誌への打撃となったのだ。

 

本記事に関する調査を行い、それを実際に文字にするだけでも、雑誌の未来はますます暗く見えてくる。

だが、雑誌企画を立ち上げたものとして、ここで終わる訳にはいかない。

この現状を打開するには、そもそも雑誌とはどういう媒体なのかを、より詳しく分析する必要がある。雑誌の本質を見極めてこそ、現在の低迷を乗り越えられるものと考えて、次の記事では、そもそもの雑誌の本質に迫ろうと思う。

雑誌企画 2010.11.7 | by shugotamura

雑誌企画 無期限無責任連載 第2回「僕にとっての雑誌」

僕が初めて雑誌というものに手を触れたのは、中学の下校時に立ち寄ったコンビニでのことだ。

最初に手に取った雑誌は、漫画雑誌だった。同年代の男子の例にもれず、漫画が大好きだった僕は、少年ジャンプや少年サンデーなどを立ち読みするようになった。そこから、他の漫画雑誌にも手を出すようになった。少年誌だけではなく青年誌にも手を出すようになった。そして、その伸びた手の行き着く先は、青年漫画雑誌の横に置いてあった総合雑誌だった。

総合雑誌とは、世の中の大よその時事問題を取り扱いうる雑誌で、漫画雑誌やファッション誌のような専門雑誌の対極にある種類の雑誌である。僕が開いた総合雑誌には、国内外の政治・経済・社会・文化などありとあらゆる事象に関する記事が載っていた。

当初、自分の知っている分野だけを読んでみた。有名なニュースだ。そしてそのページの横にふと目が行った。少しばかり興味を持った。どんどん読み進めていく内に、今まで良く知らなかった分野への興味関心が沸いた。同じ内容を別の雑誌の記事で見かけ、理解は深まる。そしてその記事を読んでいると、また別の記事に目が行く。全く知らない分野だ。これを繰り返していく内に、僕の世の中に対する味方考え方は広がっていた。

 

僕が今の僕であるには、それを支える認識の基盤が不可欠である。その基盤こそが、この雑誌の読解で形成されていったと言っても過言ではない。その関係性は、最初は漫画の立ち読みという所から始まった。

まるで予想もしない内に構築されてきた、この雑誌を通した関係性が、僕は気に入っている。自分では予想のつかない偶然の積み重ねの結果今の自分が作られている、という陳腐な表現がこれほどぴったり来るのも珍しい。だが、雑誌という媒体の性質上、これは必然だったともいえる。

 

雑誌とは、読んで字のごとく「雑」多な記事の集合である。記事にはある一定の方向性があることもあるだろう。専門誌などはそれが顕著だ。しかし、一つ一つの記事には厳密な統一性はない。漫画雑誌には多くの漫画家の漫画が寄せられているし、ファッション誌にはヘアスタイルの記事の横にシャツの記事が載っていてもおかしくない。そこには、読者が今まで考えてもいなかった繋がりが生まれうる。それこそが、僕が先ほど見出した関係性だ。

本なら、1人の作者の有する一つの大きな方向性がある。そこに収束するべく全ての文章は構成されている。雑誌にはそれがない。その全体の関係性は、読者に委ねられている。

じゃあTVや新聞はどうなのだろう。(政治的スタンスは別にして)一つの方向性などなく全てを網羅しているではないか。しかし、その網羅する量は余りにも大きい。それこそ、そこに載ってない事象はない。一方で雑誌はその量を制限されている。そこには、編集者という存在の意思が介在している。

製作者の意思の介在して限定された領域に、しかし読者による働きかけにより新たな関係性が見いだせる、この雑誌という媒体の特殊性が、二重の意味で偶然の関係性を形成するのだ。

 

人間の知識や認識が広がる時、そこには偶然性が不可欠である。しかし、その偶然性に飛び込むためには、本人の意思=好奇心が不可欠である。

「人はダイスと同じで自らを人生へと投げ込む」

とフランスの偏屈な哲学者が昔言った。自らの意思を持って偶然性を選択することの楽しさを、僕は雑誌を通じて知ったのだ。それは、時に知的欲求と呼ばれる。

 

そんな雑誌が、危ないとここ数年、騒がれ始めた。

雑誌企画 2010.11.7 | by shugotamura

雑誌企画 無期限非集中連載 第1回「雑誌企画とは?」

「雑誌は今、流行らないよ」

じゃあ流行らせてやろうじゃないか。雑誌を。

 

雑誌不況と言われるこのご時世に、いやこのご時世だからこそ雑誌をやろうと思い立ったのが、今年の4月の新生立花ゼミ起動時。そしてこの雑誌企画を正式に稼働させ始めたのが5月祭後の6月。以来ぼちぼち活動してきました。この度、その活動について正式に説明の場を得られたので、一席打とうと思います。

この企画は、東大文科3類1年の田村を中心に、

(1)何故今、雑誌が次々と廃刊に追い込まれる「雑誌不況」に陥っているのか。

(2)そもそも雑誌という媒体はどんな存在なのか。

について書籍やインタビューを通じて考え、その上で、

(3)それらから得られた考えに沿った、自分たちの雑誌を作ろう。

という大まかな流れを当初からの目標として活動しています。

それにしても、何故今、雑誌なのか?

単純に、僕自身が雑誌が好きだからだ。

じゃあ、何故雑誌が好きなのか?

それを、次回の記事で書き綴っていこうと思います。

== 続く ==  (文責:田村修吾)