知らない人は、覚えてね。

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たまには(というほど記事を書いているわけでもないですが)画像を載せてみようということで、撮ってみた。

自前の楽器です。ついこの間購入したばかり。

中古でかなりお買い得だったとはいえ、入学早々、親に多大な借金をすることになってしまいました。駒場を去るまでには完済したい。

 

それにしても、この楽器の存在・名前を知っているひとはどれくらいいるのでしょう。

 ご覧の通りの図体で(比較のためペットボトルを置いてみたのですが大した役割果たしてないですね)、大きい楽器というのは得てして知名度が低い。

私は中学からこの楽器と付き合っているけれど、「何を演奏してるの」との質問に「チューバです」と答えて良い反応が返ってきたことがありません。

絶対的に、飲み会での話題には向かない。

「あぁ、あのかたつむりみたいな楽器ね!」(ホルンです)だの「スライドさせるやつでしょ」(トロンボーンです)だのと勝手に納得し、話をつづけてくれる人がむしろ有り難いくらいのもんです。

 

せめてラピュタのパズー少年あたりが朝、屋根の上でチューバを吹く。

宮崎駿にそれくらいの気概があったなら、状況はだいぶ変わっていただろうになと、しょうもないことを考え、たくもなる無名ぶりなのです。

 

しかしながら、こいつがあらゆる場面で「ひどく目立つ」ことは間違いありません。

今私は某大学の某オーケストラ楽団に所属しており、練習のため週3で大隈さんのもとに通っていますが、駒東から最寄駅まで、乗り継ぎ2回、およそ40分の道のりを、こいつを背負って往復するのは、なかなかの苦行です。

一応デカさアピールをしておくと、高さは私の胸くらいまで。

重さは10キロ超だと聞いています。

体重計に乗せようにも乗らないから本当の数字は不明だけども。

いつか量るのが私の夢です。

 

それをリュック式のソフトケースに入れて、階段をのぼり、おり、人にぶつかり、謝り、ときどき改札にひっかかり、通行人に二度見され、「パパあれなに?」「うーん何だろうね楽器かな」「楽器?」「お姉ちゃんに直接聞いてごらん」「……。」「まったくこの子ってば人見知りなんだから」――核家族に会話のネタを提供したこともある(実話)。

反面、練習会場に着けばやたら優しくされます。

まずドアを自分で開けたことがない。それから道が勝手にひらける。

……もちろん楽器を持ってるとき限定です。

まさにチューバの威を借るモーセ。

 

そして見た目に限らず音もでかい。

私の耳は、都合よく低音をひろえるようカスタマイズされていますが、それにしてもチューバの音はよく響く。

よく響くように作られている上、よく響くように吹いているのだから当たり前なのだけれど、ステージを一本で制圧するその存在感、音色は、他の(知名度高い)楽器への妬みをぬきにしてもとても気持ちがいい。

逆に言えばそれがオケにおけるチューバの最大にして唯一の存在意義なのかもしれないけれど。

 

自虐はすなわち自己愛なので、私のチューバに対する愛情も尋常じゃないものなわけですが、しかし大学に入ってもチューバを続けようかどうか、迷っていた時期もありました。

 

まず私は、とりあえずオーケストラがやりたかった。

中高と吹奏楽部に所属し、高3の秋までみっちりこれを全うした身としては、「もう吹奏楽はいいや」という気持ちが大きかった。

吹奏楽も充分楽しいが、どうせならもっと歴史がある曲を、自分の身体で再生してみたかった。

母が地元のアマチュアオケでコントラバスを弾いているんですが、その影響も大きかったかもしれないです。

吹奏楽よりもずっと緻密なスコアを、私も読んでみたかった。

 しかしそうなると、チューバは捨てなければならない。

オーケストラにおいて、比較的新しい楽器であるチューバの需要は低く、サックスほどではないにしても、出番はあまり期待できない。

ベートーベンもブラームスもモーツァルトも、基本的にチューバはお呼びでないのです。

お呼びもなにも、その時代にはこの楽器が存在しないわけですが。

 

しかしそれじゃあオケを望む意味がない。

そういうわけで、新歓期私はコントラバス志望を称して東大内の各オーケストラ団体を渡り歩きました。

何でコントラバスなのかというと、ただ、音が低いから。

高音楽器はいろんな意味で私のキャパを超えています。

演奏聴くのは嫌いじゃないけど。

 

しかしなかなか「入りたい!」と思えるサークルがない。

途中面倒くさくなって、もう音楽はいいか、と思ったこともありました。

でもそのたびに蘇るのは、吹奏楽部時代のコンサート。

 

我が高校の吹奏楽部は笑っちゃうくらい弱小で、ほんとどうしようもない演奏しかできなかったんですが、文化祭なんかでは一丁前にステージに乗ってコンサートをやっていました。

私も曲の基部を支えるべく、一見初見でも吹けちゃいそうな単純な楽譜を追う。吹く。テンポの定まらない指揮者を仰ぐ。吹く。吹く。あ、間違えた、け、ど、誰も気づくまいチューバだし。吹く。吹く。そうこうしているうちに、だんだん「夢中」になってゆく。

夢中になっていた、と悟るのはコンサートがすべて終わったあとで、はっと穴から這い出したような、世界が開けたような気分になってやっと、今まで狭いところにいたのだと知る。

もちろん演奏中だって、ちゃんと意識はあるわけだし、曲に関係ない思考も働いてるし、何の違和感もなく呼吸しているつもりなのですが、何故か終わると「夢中」から醒める。

醒めると途端に寂しくなって、また練習頑張っちゃおうかなという気にさせられるのです。

 

あの演奏中にみる夢はいったい何なのか、別に科学的に解明したいとは思わないものの、とりあえず一回見るとまた見たくなるということだけは確かで、新歓イベントに食傷気味の私でも、この記憶だけは忘れられませんでした。

それが音楽を捨てられない唯一の理由だったわけです。

 

……と、やっと、入りたいサークルがなくて云々の話に戻るわけですが、まぁそういうわけで、「東大に入りたい楽団がないなら外行きゃいいじゃん」と。

オケの場合、新歓期を逃すと練習の面でも周りに馴染みづらくなるゆえ、慣れないMacで急いで他大のオーケストラ団体を検索。そして現在があるわけです。

 

なぜコントラバスじゃなくチューバを続けているのかというと、たまたまそのオケがチュビストを絶賛募集中だったから。

そして私が先輩のチューバに惚れてしまったから、です。

中高時代の部活については、いつかまた記事を書こうかなと思いますが、私は6年間、パート直属の先輩を持ったことがありません。

つまりチューバを教えてくれる人、見本となってくれる人が一切いなかった。

すべてそのせいにしてはいけないと思うけど、実際今の私の奏法はめちゃくちゃな自己流で、呼吸法もまったくなっていません。

しかしその先輩は、私と数えるほどしか年違わないのに、近くで聴いても遠くで聴いても嬉しくなるほど美しい、一瞬で「ああなりたい」と思ってしまうような魅力をもったおとを出す。

例え出番が少なくても、「運命」など舞台袖で見学してるしかないとしても、あんな人の下で吹けるなら我慢しよう。

まぁ「新世界」にくらいはコミットできるんだし。

私も大概単純です。

 

 ……人との出会いは人生を変えるのだ、という自明のことを、あえてこんだけの行数使って示してみるのもありかな、という話でした。

 

相変わらず尻切れとんぼですが、何日も前から書いては下書き保存していたものが、いちおう形になったので良しとします。

 

伝えたかったことはひとつ。

この楽器はチューバ(TUBA)です。

コンパでこの名前が出たら、積極的に絡んであげてください。

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