世田谷イルミネーション探訪

Add a comment

 私は現在、日々駒場まで自転車で通う身なのだが、その道すがら通りかかる家々のイルミネーション合戦が、クリスマス当日に向けいよいよ白熱していくのを傍観するのが、ここ最近のささやかな趣味だった。

 ハロウィーンの頃から、玄関に手彫り感あふれるかぼちゃが鎮座したりして雲行きが怪しかったのだが、11月に入ってやっと、それも撤退したと思ったら、突如12月。

 懸命に走る師を誘惑したいのか知らないが、華美に飾られる玄関。

 一軒が頑張りはじめると、それに呼応か対抗か、お隣お向かい斜向かい、日ごとに自宅デコレーションの輪が広がっていき、月も半ばになると、駒場Ⅱキャンパス周辺の家は毎晩チカチカピカピカキラキラ。

 むしろ何の施しもしていない家のほうが目立って勝ちだったんじゃないかと思うくらい、派手に飾られた住宅街には、さすがに自転車を漕ぐ足もおろそかになる。

 

 中高時代は、クリスマスの綴りも知らないような町で過ごしたので、こういう都会のマダムな腐心は非常に興味深い。

 去年だったか、下宿のおばちゃんが、なぜだか張り切って庭の植え込みに単色の電飾とモールを巻きつけていた(そして、電気代がもったいないといってほとんど点灯しない)のさえ、なんだか「おおお」という感じだったのに、やはり東京は、目黒区は、違うらしい。

 

 数日前、不在票が入っていた荷物を取りにちょっと遠くまでチャリで出かけたのだが、その途中でも、あちこちで家々が、発光していた。

 しかも今度は世田谷区である。

 私も、引越ししたてのころは、下北沢への行き方が分からず、綿々とつづく高級住宅街に迷い込み、車庫シャッターを下ろせばいいのにわざとかあえてか見せびらかされているベンツを横目にEZナビウォークと格闘した思い出があるが、やはりこういうところにお家を建てる人は、電気メーターなど見たこともないのだろう。風呂の残り湯で洗濯なんて、したこともないに違いない。

 とりあえず、庭の中にリアルツリーがある家、多数。塀で全貌は見えないので、はみ出た木のてっぺんから想像するに、であるが。

 こうなるともはや、一体誰にアピールしているのか分からないし、実際どの家もさして独創性あるデコり方をしてるとも思えないが、とにかくみな、光りたいらしい。

 泥棒よけにしては、大層な投資である。

 また、通りがかったアンゴラ大使館のイルミネーションも、それは立派なものだった。一瞬、民家かと思って目をうたがったけれども。

 

 それにしても、通りかかるたびに思わずふらふら近寄って眺めてしまう私は、やはりしょせん、蛾属性だなと、悲しくなるのでありますが。

 そして来年、高田馬場に引っ越したら、今度は目白の高級住宅地を散策に行ってみようと、思ったりする。

 

 そういえば、30分以上かけて荷物を取りに行ったはいいのだが、「受け取りセンターを間違えてますね」ということで、寒い中再び長々チャリを漕がねばならなくなった、というのは余談でしょうか。

 しかしお陰でたまたま、受験のとき泊まったホテルを通りかかったりして、ちょっと寂しく、まだ1年も経っていないのかと思ったりして、センター模試パックの束の分厚さを思い出したりもして、いやあ初心に返らねばならないなと思わされつつ、年は暮れゆく模様です。

 

 よいクリスマスを。

夜は短し、記せよ駒祭

1 Comment
というわけで、てきとうなタイトルのまま、深夜です。 駒場祭が、終わった。 文化祭というものが存在しない中高で育った身としては、あの、つんのめりつつ駆け出す「祭り」感がなんとも新鮮で、思い返してみれば非常に楽しかった。 やってる最中(特に直前期)は、目の前しか見えてなかった感がありますが。 そして意味もなく毎日徹夜をしていた。 大事な仕事は全部、他の方々に丸投げしてたくせに。 みなさんの熱が引いてきたところで(PCにメーリスが来ない日なんて、久しぶりだ)、いまさらながら、祭のことを思い出してみる。 『二十歳の君へ』に倣い、プリクラ版スタッフロールを兼ねつつ、書籍化する際のコラムに使えるかなという、期待薄な目論見もこめて。笑 私が関わったのは、基本的には、プリクラ機営業関連。 他の企画と違って、そもそも「やるのか?」というところから話が始まった。 どう好意的に見積もっても、3日間で元が取れるとは思えない。とんとんが限界。 メーリス等でいろいろ議論したものの、結論は出ず、けっきょく、(確か)10月頭のミーティング@コミプラで、「まぁ、もういいや。やろう」と、断行決定。 要は、駒場にプリクラ機、という誘惑に勝てなかった感じですね。 それと前後する形で、レンタル会社を探して、それぞれの会社に電話し料金を尋ね、(色々あって、)一番良さげな会社に決定。そして契約。 あんまり公に言うことではないが、実際、この「決定」から「契約」に至るまでがなかなか大変だったりした。 一時期、私の携帯の発信履歴は、市外局番04で埋まりました。 それから、いかにして「駒場祭限定感」を出すか検討。 終わってみれば、これにある程度成功したからこそのあの売り上げだったのだと、思う。 この、駒祭限定グッズとして何を置くか・それをどう準備するか、についてもまた地味に紆余曲折があった。 一番の問題はあのカラスじみたフクロウくんだったが、結果的にあんな見事なユータスくんが誕生したのだから、私はこれから教務課窓口に行くたびに、ざまぁと思うに違いない。 (一応説明すると、ユータスくんというのは駒場の公式?キャラクター。教務課にはそいつを象ったぬいぐるみが置いてあり、当初プリクラの小道具として借りようとしたのだが断れたため、仕方なくゼミ生が、本家よりデカいものを手縫いした。) 実際、あのクオリティはやばかった。 宣伝がてら、プリクラ機前の椅子に座らせてたら、プリクラ撮らずに写メだけツーショットして帰ってく人とか結構いたもんな。 そういえば、打ち上げの席で有賀さんが枕にしようとして、舞い上がる埃にげほげほ言ってましたが笑、それだけ多くのお客さんに相手にされたということ。 内藤さんとテヒさんには本当、感謝です。 感謝といえば、栄田さんの写真の美しさも、いまさらながら思い知らされた。 「駒場祭限定プリクラが撮れる」の一環として、東大にまつわる写真を何枚も用意し、それをプリクラ機に取り込んで背景にできるようにしていたのだが、その元となる写真がどれも素晴らしかった。 あの色合いに魅せられてふらふらやって来、ついでにプリクラも撮っていく、という人も多かったほど。 銀杏の黄色や、八重桜の…まさに桜色。 どうやったらこんな写真が撮れるのやら。と呟くお客さんに、私も内心うなずいていた。 もちろん当日の宣伝部隊も、すごかった。 廣瀬さん栗原くん内藤さん有賀さん廣瀬くん始め、生粋のナンパ師がキャンパス各地に散り笑、次々(主に女性)客を連れ帰る華麗さ!笑 あの行列は、何よりみなさんの地道な客引きのお陰です。 また、銀杏並木の交差点に立って看板を掲げ、街宣してくださった窪田さんの物凄い流麗な口調も、忘れられない笑。今すぐビックカメラ渋谷ハチ公口店に就職できるのではないかと。 実際、通行人が「え、プリクラ?」とか反応してくれてるのも聞こえた。 受付や、(先述の)背景写真取り込み作業にも、たくさんのゼミ生の協力をいただいた。 特に後者みたいな単調作業、大勢の協力がなけりゃ絶対しんどかった。 とりあえず内藤さんと上田くんは3日間全日という神っぷりだったし、随時智華さんや岡田くん、蘭ちゃん、木許さん、テヒさん、山本さん、西田さん、山根さん、etc. 初日、インクが切れてパニクった時も、上田くんはじめ周りの協力がなければ延々、モニターは警告表示のままだっただろう。 なんか、「周りに協力してもらった」なんて偉そうなことを書いているが、事実思い返せば、(ここに書いてないのも含めて色々なことがあったけど、)本当に私は何もしていない。ほとんど、ぼーっとしていただけだ。 にも関わらず、この充実感は何なんだろう。 そしてこの、なんともいえない寂しさは。 ふとした瞬間に、あのプリクラ機の能天気なBGMが、頭の中に鳴り響く。 しかしまだ立花ゼミは、全然「了る」気配を見せない。 1年生の身としては、正直、今年度で終られちゃあ何だかすげー悔しいなぁと思っていたから、貸しオフィスだか何だか、どうなるやら分からんが、この空気がこれからも存続するというのは、ほんとに願ったり叶ったり。 しかも『二十歳の君へ』書籍化というビッグすぎる企画を抱えて、だ。 うまくいけば、私がちょうど成人する頃に発売、もありえるって話でしょう? わくわくは当分止みそうにない。 もちろん、文学企画の進展もある。 夏学期+夏休みのフラれっぷりは何だったんだとばかりに、朗報がつづいている。ダイエットと同じか。 メンバー一同、ファン魂爆発で訪ねた森見登美彦氏につづき、今度は、企画の元祖取材相手候補、太田克史氏。 たまっていく一方の取材音源を、早く消化(昇華?)しなければ。 諸々、来たるべき戦いに備えて、明日はとりあえずサボりまくってた眼科に行ってきます。 ぜったい白内障すすんでる……。手術とか勘弁。

堀江敏幸さんトークイベント

Add a comment
たまには文学企画っぽい話を。 堀江敏幸さんの新刊発売イベントに行ってきた。 @青山ブックセンター六本木店。 このイベントの話を人にしたら、堀江さんて誰と返されたから、世間的には知名度低いのかもしれない。 わりと近く(といっても調べたら8年前だった)に、芥川賞受賞されてるんですけども。 とはいえ私も、ものすごく執心な読者である自信はなく……、高3の受験直前期にひどく魅了され食事も惜しんで読んでたが受験直直直前期に手放して、それ以来ご無沙汰、という考えてみれば浅いファン歴。 そもそもの出会いは07年センター国語の2番、というありがちな。ちなみに問題の正答率は自己最低だった気がする。 先日文学企画で永江朗さんに取材させていただいた際(文字起こし…)、早稲田の教授つながりで堀江さんの名前が出たのがきっかけで、最近自分の中で再燃している、その流れでの今日である。 本当は、企画とからめて、事前に依頼メールを送っておこうかとか戦略的なことも考えていたのだが、時間がなくて諦めた。 ゆえ単純に一ファンとしての参加となったのだけどもそれはそれで、どきどきするものですね。 内容は、40分くらいのトーク+質疑応答+サイン会。 トークは、今月中央公論社より発売されたエッセイ集『正弦曲線』装丁にまつわる秘話から、(野球選手の)キムタクの話まで。 売り場に堂々と椅子を並べ、かつ座りきれないほとんどの参加者は立ち見、という豪快な会場作りをする青山ブックセンターはあっぱれだと思う。 ガツガツした客のいない、ゆったりした雰囲気の店だからなせる技かもしれない。 しかし、本棚と本棚のすきまから首をのばして、講談社文芸文庫の向こうに堀江さんを臨む50分間というのもなかなかオツなものだった。履いてくる靴を間違えたとは思ったが。 堀江さんは、見た目にたがわずとても穏やかな口ぶりで、あぁ、この人にしてあの文章あり。 しかしそれだけじゃなく、きっと内に濁りも抱えたひとなんだろうと思わせる。 印象的だったのは、終盤にかたられた「正弦曲線の狂気」の話。 1とマイナス1の間を単調にたゆたう正弦曲線は、じつはとても危ういものを秘めているのではないか。決められた枠を突き抜けてしまうのも狂気だけれど、そんなある種の情熱ももたずただただ同じ幅で振れつづける、そっちの方が、恐ろしいこともある。 いつ破綻するか分からない、「不穏な狂気」と堀江さんはおっしゃった。自分はそういう小説を、文章を、書きたいと。 まぁ理系さん的には、正弦は正弦だ狂ってねーよ、って感じだろうか。 また、この『正弦曲線』、章ごとにページが改まらないレイアウトになっているのだが、それも本人のこだわりで、たえまなくきれまなく同じリズムで延々と続く正弦曲線の感じを出したかったのだということ。 日々読み、食べ、見、聞き、触れ、著した、すべてが因果関係で結ばれて自分の作品が成っており、だから始めから全てを狙ってものを書くなんてことはできなくて、先を、見ているようで見ていない、がっちり正視はしないがぼんやり見てる、そういう姿勢をいつも目指している、ということ。 私の言葉じゃ陳腐に聞こえるだろうけれど、そんな話も心に残っている。 大爆笑は起こらないが、終始ささやかなユーモアに満たされた気持の良いトークショウだった。 そしてぜひとももっとたくさんお話を聞いてみたい。 文学企画の次の取材目標に勝手に決めました。依頼文書きます。 あと、個人的には、サインをいただいた時、私の名前をためらわずに正しく書いてくださったのが嬉しかった。 戸籍登録から18年、初対面のひとに、「みゆき」だと間違われなかったことのほうが少ない。 「安弘みゆき」と勘違いされたのは傑作だったが、もはや誰だよって話。 数十人規模の小さなイベントだったのだが、帰り際になぜか、立ち読みをしているクラスメイトを発見。 聞けば同じくこのイベント目当てでやって来たとのこと。 なんという奇遇。 こんな身近に熱心な堀江さんファンがいたとは、ぜひとも彼にも文学企画に参加してもらいたいものです(笑)。 画像 007 箱入りの立派な装丁。 「おかげで値段がはりますが、それは僕のせいじゃない」とは堀江さんの弁。

NINSシンポジウム事前取材**宮下先生

Add a comment

9月7日。宮下保司先生@東大医学研究棟。

 

駒場1年生としては、五月祭以来?の本郷キャンパス。

おそるおそる医学部研究棟の床を踏み、エレベーターで上階へ。

ガラス張りの「リフレッシュルーム」から文京区の景色を楽しんでいたところに、やはり颯爽と現れる宮下先生。

今回は、より脳密着型、というか、「脳科学」っぽいお話をしてくださるということで、いよいよ知識面での不安を感じつつの取材だったのだが、これも全くの杞憂であった。

先生自身が気を遣ってくださったこともあって専門用語は控えめ、脳科学のあり方・研究の進め方、といった大枠に重きを置いたお話は、私でも充分理解できた、というかとても面白かった。

 

宮下先生が終始強調し、「研究の上でいちばん楽しい」とも語るのは、「日常生活からいかに実験検証が可能なモデルを構築するか」ということである。

脳やこころ(こころ、だなんて全てを一語で片付けてしまうのは日本語の不思議で、例えば英語ではheartmindspiritsoul、などなど沢山のニュアンスを言い分ける)の働きについて知ろうと思っても、そもそもどうやって知ればいいのか。

頭を切り開けば済むというものではないし。

その働きを、限りなく正確に、研究可能・実験可能な形に単純化する。

これが、脳科学者(脳に限ったことではないだろうが)の最大の課題なわけである。

思い返せば松沢先生も、アイの「知能」をはかる方法を大変苦労しながら模索した、という話をしてくださった。

「アイが数字を覚えた」ということと、「アイが1から9まで順番にタッチパネルを押せるようになった」ことは、本当に同値かどうか。どこかに落とし穴はないか。

宮下先生の話でいえば、Feeling Of Knowing=「知ってる気がする、ぱっとは思い出せないけど」というのは、脳のどういう働きからくるのか。調べるには、まず「FOK」を実験可能な形にモデル化しなければならない。絶対抜け目がないように。

 

こういう課題・問題に取り組むのが、とにかく楽しいのだと、宮下先生はおっしゃっていた。

そしてこれらを解決するためには、取り敢えず色々試してみて、アイデアを出して、「Positive break through」を目指すことだ、とも。そういうbreak throughはだいたい、「周辺」から来るから。そういう意味で脳科学は総合科学なんですね、と繰り返し語られたのが印象的だった。

 

それから、松沢先生との対比で、動物実験の是非についての話があったが、それも個人的に色々と考えさせられた。

屠畜企画でしばらく前に訪れた遠藤先生の話も思い出しながら、今も、考えている。

事実と理想と現実がまざりあうところなだけに、難しい。

 

案の定、予定時間を大幅にオーバーしての取材だったが、もちろんその分、学んだものも多い。

先生の研究についても、先生自身についても。

人並みなまとめ方ではあるが、夏休み、家でだらだらごろごろして終わることもできる4時間も、機会さえあればこんなに濃いものに変えることができるのだ。

大学生というのは、なんとも贅沢な生き物だと思う。

NINSシンポジウム事前取材**松沢先生

Add a comment

とても今さらながら、NINSシンポジウム事前取材に関して、簡単に記事を。

 

当然、NINSのシンポに関わるのは初めてだったわけだが、実に色々なものを見せられ、そのぶん考えさせられた2日間だった。

 

まず、9月2日、松沢哲郎先生@霊長類研究所。

いつも通り過ぎるばかりだった名古屋に、人生で初めて降り立つ。

地下鉄と地下街が発達している、以外はどことなく我が地元、広島に似ているなぁと感じた(広島は三角洲由来の街ゆえ地盤が弱く、地下を掘り起こせない)。

駅や街の雰囲気、道路の走り方など特に。

と、故郷に想いを馳せながら、シロノワールなど賞味しつつ、初名古屋に満足した翌日。

 

早朝から名鉄に乗って犬山市、霊長類研究所へ。

タクシーから降りた瞬間、すごい猿の鳴き声がする。若干、それらしい臭いもする。

そこへ松沢先生が颯爽と現れて、いよいよ長い取材の始まりである。

 

早速、チンパンジー・アイの勉強部屋へと通される。

エレベーターでやってきたアイを見ての感想は、やはり、「でか!」だった。

昔からテレビでその存在や「天才」ぶりを見知っていたとはいえ、現実に、雄叫びをあげて目の前に座るアイには、相当の迫力があった。

松沢先生もおっしゃっていた通り、我々のチンパンジー(ひいては霊長類全体、動物全体)に対する知識や感覚が、いかにメディアに捏造されたものであるか。最初から、思い知らされる。

 

それからの10時間は、驚きと納得の連続であった。

アイとアユムの勉強風景を見学したり、高いやぐらの並ぶサルたちの遊び場をながめたり、350円で大変美味しい定食をいただいたり。それから部屋で先生のプレゼンを聴いての質疑応答、などなど。

いわゆる「理系知識」の著しい欠如を自覚している私としては、今回のテーマ「脳科学」に対して、ちょっと身構える部分もあったのだが、それは全くの杞憂であった。

そもそも、私のもつ「科学者」のイメージというのは、自らの知的好奇心のみに動かされ、ただ目の前の課題に取り組んでいる人、という感じだった。偏見を付け加えるなら、ちょっと社会不適応気味の。

しかし松沢先生にしろ、次の宮下先生にしろ、全然そんなことはなくて、特に松沢先生などは、自分の研究・行動がいかに社会に影響を与えるか、というのを常に考えていらっしゃるようだった。

自分の信念、世に伝えたいこと、そういったものをきつく抱えている。

 

チンパンジー研究に関する話や、それに併せて語られた「そもそも研究とはどうあるべきか」という話は、興味深いものばかりだったが(これに関しては他の方の記事を参照ください)、私としては、生身の研究者というのを感じられたのが何よりも大きかった。

 

 

後日、個人的に動物園に行く機会があった。

松沢先生の、日本の動物園批判を聞いた直後だけに、単純に楽しめない自分がいた。

チンパンジーも飼われていたのだが、当然、やぐらなどはなく、一匹一匹が隔離された狭い檻の中、ちょこっと組まれた台の上を走っていた。

説明書きを読めば、「人工保育でそだちました」とある。

チンパンジーの赤ちゃんは母親依存です、絶対に、母親から引き剥がすなんてことがあってはならない。強く言っていた松沢先生の顔を思い出しつつ、それぞれの園で事情はあるにせよ、なんだかなぁーと考えながら、その場を後にしたのだった。

そういうことを考えられるようになっただけ、マシかもしれないと、思いつつ。

さやかに風も吹いてゐる

Add a comment
岡山は、雨だった。 提げていた紙袋はへなへなと萎れ、傘は半壊、水の染みこまないコンクリートを腹立たしく思いながら、坂道をのぼった。 なにが「晴れの国・おかやま」だ。 「警報が出て休校」という儚い楽しみを夢見て、必死で逆さてるてる坊主に雨乞いをした、中高時代を思い出す。 降ってほしいときには降らない。降らんでいいときに降る。 兎角この世は生きにくい。



東大が期末試験まっさかりであった頃の話。 連日シケプリ完成の報告メールが行き交う中、その日、私もシケ対の任務を全うすべく、パソコンに向かいc-fiveとワードを往復していた。 かたかた浅いキーボードを叩きながら、思う。 あぁ、なにやってんだわたし。あぁ、下宿帰りたい。 はじめは、冗談みたいな気持ちだった。 あー帰りたい帰りたい。 しかし思ったら止まらない。 あぁ、もういいや。帰ろう。 ワード文書を保存、終了。その指で下宿に電話。 「あ、おばさん。あのー、下宿帰りたいんですけどいいですか。明後日の朝そっちに着く予定で」 「……あぁ! えぇで」 「迷惑じゃないですか」 「は! そんなん! いつでも帰りたい時に帰ってきたらえぇねんから」 通話時間30秒。今度は更にその指で翌日の夜行バスを予約。空席あり。片道5500円也。 突然の帰省は、そんな風に決まった。 SN360007 簡単に説明しておくと、私は中高時代、実家を離れて下宿生活を送っていた。 中1から高3まで、女子ばかり常時10人程度が暮らす、小さな下宿だ。 基本的には大家のおばさんが一人で切り盛りしているのだが、この人がとにかく大らかで(その大らかさに悩まされたことも多々あったけど)、その影響か、私も6年間、女子の集団にありがちな陰湿さに泣くこともなく、文字通り「自由に」日々を送ってきた。 学年を越えて下宿生同士のつながりも深く、敢えて痒いことを言うならば、まさに家族。下宿は私の第二の実家だ。 当初は二泊三日で下宿に滞在する予定だったのだが、どうせ岡山まで帰るなら(実の)家族にも顔を出すべきだろうということで、はじめの一日は(いわゆる)実家がある広島で過ごした。 翌日朝、久々に下宿の床を踏む。 母屋のダイニングは、何も変わっていなかった。 SN360005 おばさんの顔も、何も変わっていなかった。 しかし数えればたかだか四ヶ月離れたていただけだ。全てが豹変してても困る。 学校はいま夏季補習授業中だそうだ。下宿生の声がしない、静かな食卓でお茶をすすりながら、しばしおばさんと二人、近況報告に花が咲く。 じきに、学校を休んでいたらしい後輩がお昼を食べにやってきた。 私を見てぎょっとする。 「何でいるんですか!?」 おばさんには、私が来ることは下宿生には内密にしておくよう頼んでいた。「その方が面白いな」とあっさりノッてくるのがおばさんの良いところ。ちなみに、こういう会話も含めての通話時間30秒である。 その後輩と一緒にお昼をたべ、お茶を飲み、おやつを食べ、牛乳を飲み、ひたすら喋ったり黙ったりしていると、続々と他の下宿生たちも部活を終えて帰ってくる。 その度にいちいち、平然と「おかえりー」と迎えて相手をびびらせるのが楽しかった。 下宿は、ほんとうに、「相変わらず」だった。 おばさんは煎餅をことごとく冷蔵するし、後輩の口の悪さは改善の余地がない。 4月から加わったという新入生とは初顔合わせだったけれど、みんな早くもそれぞれにこの家に溶け込んでいるようで、少し安心した。毎年新入生が入ってくると、必ず一波乱あるのだ。今年も例外ではなかったらしいけど、上級生の腐心(あるいは暗躍)によって一段落しつつあるらしい。 人が人と接する限り不満が出てくるのは当然で、でもふくらみ甲斐のない陰口や敵意はあっけないほどすぐ消える。だから、悪口を、重ねない。ふくらませない。さりげなく、言葉少なに、摘み取りもみ消す。そこらへんの調節こそが、先輩の役目だ。 そういうことに気づく頃には私も先輩になっていて、そのまま最高学年になってしまって、後輩にどれだけのことが伝えられたのかは分からないまま、あの家を去った。 特に去年、私が高三だった時は、一つじゃ済まないほどの波乱があって、後輩たちはみんな可愛くてしょうがなかったけれど不安の多い毎日だった。このまま私たちが下宿を去って、下宿は大丈夫だろうか、崩壊しやせんもんか、と卒業間近の1月2月など、受験勉強もそこそこに、高三3人で夜な夜な出口の見えない話し合いをつづけたものだ。 しかし四ヶ月ぶりに下宿を訪れて、それが杞憂だったと知った。 後輩はみんなちゃんと、「先輩」になっていて、下宿を「分かっていた」。ほっとしたし、単純に嬉しかった。 こうやって何十年も、綿々と続いてきた下宿を、私たちもいちおう受け渡せたんかなー。 相変わらず、みんなで集まって夜中までだらだらと喋りながら、そんなことを考えていた。 岡山に帰っても、テストが消え失せるわけではなく、私は下宿に一泊しただけで、翌日の夜行バスで帰京、午後から近現代史のテストを受けた。試験の出来は、もう忘れた。い。 その二日後、後輩からメールが来た。 「今日で18.5歳、おめでとうございます!」 それおめでたいのか? とは思ったが、18の誕生日を迎えたときはまだのんびり高校生してたのかー、下宿生してたのかー、と考えると、不思議だ。たった半年、のくせに。 感覚ももう、ずれてきている。例えば高校時代は普通に思っていたコンビニまでの徒歩30分が、こないだは酷く億劫だった。6年かけて培ってきた感覚も、たった半年でしおれるらしい。 しかし東京の猛暑に接すると、すぐまたあの山の中の町が恋しくなる。九月には絶対もっかい帰ってやる、長逗留してやる、と心に決めつつ、八月ももう半ばを過ぎた。 今週は、後輩ではなく、下宿時代の同級生2人と会う予定だ。みんな東京住まい。というか、1人は駒場のひとですけども。

Dear Gandhi

Add a comment
バイト先で、俗に言うところの「G」が出た。 キッチンのゴミ箱にひそんでいたらしい。まがりなりにも飲食店なのだから、衛生上どうなんだろうとは思うが、いくら気をつけたところで、ヤツは出る。しょうがない。 きゃーきゃー言うバイト仲間を横目にご飯をよそいながら、私は寧ろ懐かしい気さえしていた。東京に来てからめっきり虫を見なくなったなーと、思っていた矢先だったのだ。 田舎で暮らすと、公害の代わりに常につきまとうのがこの虫害である。実際Gはそんなに見なかったけど、足が百本あるというMなどは蝸牛に勝る梅雨の風物詩だ。目覚めると天井から「おはようございます」。冬が近づけば、テントウムシが寝床探しのため大挙して部屋を見舞いにくる。朝、腕を通しかけた制服に、カメムシ(田舎サイズ)がぴっとりしていたときのテンションの落ちようは凄まじかった。それから、地味にゲジゲジ(田舎サイズ)の存在感も見逃せない。   下宿生はこれに関して、過去、色々な対処法を考えてきた。    前提として、ド田舎産の虫たちに市販の殺虫剤は効かない。   そこで、 洗剤をぶっかけるもすばしこく逃げられ、床が泡まみれになったこともあった。 お湯をぶっかけるもすばしこく逃げられ、床が水びたしになったこともあった。 お茶の葉はMを寄せ付けないらしい、とあらゆる場所にティーバッグをぶらさげるも、よく効果が分からないうちに袋が破れ、床がお茶っ葉まみれになったこともあった。   日々、どこからか気休め的知識やアイデア(ほとんどの出自はインターネット)を持ち寄っては徹底的に試した。 そのなかで一番定着しているのは、   「カップ麺のカップで捕獲」   ゲジゲジやGはともかく、Mは叩いたりお湯かけたりするとフェロモンが出て、つがいを呼び寄せてしまう。だから迂闊には殺せない。カメムシに至ってはご存知の通りで、誤ってちょっと刺激してしまおうものなら、あの臭いは容易にはとれない。 ∴カップでつかまえて数週間放置し、衰弱死させるしかない。 そういうわけで、下宿ではカップ麺カップは生活必需品だった。食べたら洗って干し、所定の場所にためておく。   しかし思えば、何とも身勝手な殺し方だった。  自らの手をまったく汚すことなく、しかも相手を潰す感触さえ味わわずに、苦しめるだけ苦しめる。そしてその過程はすべて、「駆除」という言葉で正当化される。 べたべたなホームドラマでは、親は子供の頬を張ったあと泣きながら言う。「お母さんの手だって痛いのよ」 この論理が、虫相手にも通用するのかどうかはともかく、私は、痛い、あるいは気まずい思いは一切せずに、思考停止状態で問答無用、五分以上の魂を葬り去っていたのだ。   屠畜を考える企画ではないけれど、というか、目的や意味をまったく考えていない分、こっちの方がよっぽど罪深い。 綱吉を賞賛するつもりはないものの、なんで蚊は叩かなくちゃいけないのか。 考えれば考えるほど、分からなくなってくる。 血ぐらい少しわけてやったっていいじゃないか。痒いといったってウナコーワが支えてくれる。マラリア日本脳炎……まで考えてみんなパチンとやってるわけじゃない。そんなこと言ったらゴキブリなんて、何の害もないという話だ。 もっと意識の浅いところで、刷り込み。条件反射。蚊? うるさい。ゴキブリ? きもちわるい。潰した、カップに閉じ込めた、その手で私は合掌し、世界平和を祈っているのだと思うと、自分が自分で気持ち悪い。   去年の秋、一匹のGを叩いた時のことを思い出す。 スチロールカップなんかじゃ捕まらないほど恐ろしくすばしっこいやつで、階段での死闘が終結したときには新聞紙はもうへなへなになっていた。 いつも通り、亡骸を庭に埋める。 それは静かな真夜中で、とても綺麗な空だった。星はちらほらだったけど、空の色濃さ、そして真っ白に強く光る月。陳腐な言葉を使うなら、おとぎ話で映えそうな。何時間でも見ていたくなる、空だった。 何となく思った。 この空と殺したゴキブリと、なにがちがうのかといわれたら、私はきっと答えられない。   命ってそんなに重かったっけ。   というわけで、今から本郷での屠畜企画に参加してきます。 英語一列、おつかれさまでした。   そしてとてもどうでも良い話ですが、冒頭のバイト先はつい先日、経営不振でつぶけました。

文学企画事始

4 Comments

企画を立ち上げるに至ったそのきっかけについて、記事を書こうという話があった。せっかくなので、文学企画についても語ってみる。

ものすごく個人的な話である割に、やたら長い。でも分けて上げるのも面倒なので、一気に載せます。

 

中学に入学して最初にでた宿題は、作文だった。テーマは、将来の夢について。

私は、なにを今更、とばかりにさらさらと、3枚だか5枚だかの原稿用紙を埋めた。当然、冒頭はこうである。

「私の夢は、小説家になることです。」

夢、というより、予定、に近い感覚だった。私が作家を目指していることは、親戚中の知るところだったし、小学校の文集にもそう書いたし、本当、何度も言わせんなよという気持ちである。

しかし先生の対応は違った。初の個人面談で早速つっこまれた。他の友達は、みんな医者とか教師とか書いていたらしい。気の利いた子は弁護士と。

「小説家になりたいって、親御さんは反対しないの?」

私は驚いた。親? 反対? なぜ?小説家が不安定な「仕事」であろうことは分かっているつもりだったし、私の両親は揃って歯科医である。過疎の進む田舎町で、地元の人たちに頼られながら働く姿には憧れるし、村唯一の診療所を継ぐのも悪くないとは思う。

でも私は小説家になるのだ。親もそれを知っている。歯医者になれだとか理系に進めだとか、一切言われたことはない。6年生のときの担任だって、卒業式の日、「あなたの小説が本屋さんに並ぶ日を楽しみにしています」と送り出してくれた。

今まで誰にも疑われたことのない「夢」だったのだ。

新しい担任は、そのあと学校生活や学習態度等について一通り話題を消化したあと、笑顔でしめくくった。「これから、作家志望ですなんて言うと色々言われるかもしれないけど、先生は応援するから。夢は貫けよ」

それは、ひどく新鮮な励ましだった。

小説家とは、本来「色々言われる」ものなのか! 「二葉亭四迷」は現代でも充分ありうる話なのだと、初めて実感したのだった。

しかしそのあと、私は先生の言葉をあっさり裏切ることになる。

三年後、高校入学直後の個人面談。

中高一貫だったから、新担任といえども目慣れた顔である。加えて、耳慣れた質問。

「将来はどうするんだ」

私は、口慣れない答えを返す。

「まだ、わかりません」

高校生にもなって「作家になりたいです」はないだろうという照れ、そもそも才能云々の問題、ここでの「将来」とは結局進路指導に繋がるものであり小説家と答えたところで何の意味もないということ。

理由はいろいろあったが、多分その頃からだんだん、小説や本そのものに辟易するようにもなっていたのだと、思う。

きっかけは特にないけれど、作家になった自分、書店に並ぶ自分の本を想像しても、高揚より虚しさが先に立つようになった。要するに、文学企画が抱く問題意識である。

「こんなに本があふれていてどうするんだ」

大量の書籍の中に沈んでいく自分の著作、というイメージは、ある日食べていたポテチの袋と重なった。

丁寧に工夫されたデザイン。キャッチコピー。裏面の商品説明。豆知識コラム。原材料名。デキストリンとはじゃがいものでんぷんのことです。こういったすべてを、私はろくに読みもせず不燃ごみに捨てる。何しろパーティー開けをしたら、内側の銀色しか目に入らない。たまに暇つぶしがてら、流し読みすることはあっても、大抵次の日には忘れている。

もちろん、こういうパッケージと小説は目的が違うのだから、同じ土俵にあげるのはおかしな話だと思う。けれど、一ヶ月後には主人公の名前さえ思い出せない、そういう読書はどこかこれと似ている気がして、読み捨てられる本、むしろ「使い捨てられる」本、という意識が生まれた。

とはいえ相変わらず読書は続けていたし、使い捨てどころか何度も読み返した本だってある。高校の三年間で、好きな作家や作品も増えた。

しかし小説を書く気は、完全に失せた。幼き頃より小説家を志し、本当に実現するひとはほんの一握りしかいない……とはよく聞いていたが、私はここで脱落したわけである。よくここまで勘違いを維持できたなとも思うけど。

ただ、ゆえに、現役作家に対するお節介な興味は膨れていった。

「自分の本が埋もれていく( かもしれない) 虚しさって感じたことないですか」

 

このタイミングで立花ゼミと出会えたことは、幸運だったと思う。

その場のノリで提案した企画が、ちゃんと成立してるという現状にも、今更ながら感動する。ありがとうございます。

正直言って、着地点の見えにくい企画だ。作家や編集者に話を聞いたからって、何か変わるわけでも、納得できるわけでもないだろう。

でも、私がそれなりに悩んで諦めたものを、叶えているひとたちは(なりゆきでデビューした人もいるでしょうが)、何で諦めずに書き続けていられるのか、作り続けていられるのか。

まぁ詰まるところやっぱり、単なる私の個人的興味なわけだけれど、企画を進めていく上で得られるものは予想以上に多そうだ、とも感じている。何より、読書の口実ができるし。

使い捨てだなんだと言いながら、結局本が好きなのだ。

文学企画を通してなにがやりたいって、こんな時代だけど本を好きでいてもいいですよね、という再確認がしたいだけなのかもしれない、ですね。

 

と、センチメンタルな感じで終わるのは、もう朝の5時だからです。

知らない人は、覚えてね。

Add a comment
090620_171501 たまには(というほど記事を書いているわけでもないですが)画像を載せてみようということで、撮ってみた。自前の楽器です。ついこの間購入したばかり。中古でかなりお買い得だったとはいえ、入学早々、親に多大な借金をすることになってしまいました。駒場を去るまでには完済したい。    それにしても、この楽器の存在・名前を知っているひとはどれくらいいるのでしょう。 ご覧の通りの図体で(比較のためペットボトルを置いてみたのですが大した役割果たしてないですね)、大きい楽器というのは得てして知名度が低い。私は中学からこの楽器と付き合っているけれど、「何を演奏してるの」との質問に「チューバです」と答えて良い反応が返ってきたことがありません。絶対的に、飲み会での話題には向かない。「あぁ、あのかたつむりみたいな楽器ね!」(ホルンです)だの「スライドさせるやつでしょ」(トロンボーンです)だのと勝手に納得し、話をつづけてくれる人がむしろ有り難いくらいのもんです。 せめてラピュタのパズー少年あたりが朝、屋根の上でチューバを吹く。宮崎駿にそれくらいの気概があったなら、状況はだいぶ変わっていただろうになと、しょうもないことを考え、たくもなる無名ぶりなのです。   しかしながら、こいつがあらゆる場面で「ひどく目立つ」ことは間違いありません。   今私は某大学の某オーケストラ楽団に所属しており、練習のため週3で大隈さんのもとに通っていますが、駒東から最寄駅まで、乗り継ぎ2回、およそ40分の道のりを、こいつを背負って往復するのは、なかなかの苦行です。 一応デカさアピールをしておくと、高さは私の胸くらいまで。重さは10キロ超だと聞いています。体重計に乗せようにも乗らないから本当の数字は不明だけども。いつか量るのが私の夢です。 それをリュック式のソフトケースに入れて、階段をのぼり、おり、人にぶつかり、謝り、ときどき改札にひっかかり、通行人に二度見され、「パパあれなに?」「うーん何だろうね楽器かな」「楽器?」「お姉ちゃんに直接聞いてごらん」「……。」「まったくこの子ってば人見知りなんだから」――核家族に会話のネタを提供したこともある(実話)。 反面、練習会場に着けばやたら優しくされます。まずドアを自分で開けたことがない。それから道が勝手にひらける。……もちろん楽器を持ってるとき限定です。まさにチューバの威を借るモーセ。   そして見た目に限らず音もでかい。 私の耳は、都合よく低音をひろえるようカスタマイズされていますが、それにしてもチューバの音はよく響く。よく響くように作られている上、よく響くように吹いているのだから当たり前なのだけれど、ステージを一本で制圧するその存在感、音色は、他の(知名度高い)楽器への妬みをぬきにしてもとても気持ちがいい。逆に言えばそれがオケにおけるチューバの最大にして唯一の存在意義なのかもしれないけれど。   自虐はすなわち自己愛なので、私のチューバに対する愛情も尋常じゃないものなわけですが、しかし大学に入ってもチューバを続けようかどうか、迷っていた時期もありました。   まず私は、とりあえずオーケストラがやりたかった。中高と吹奏楽部に所属し、高3の秋までみっちりこれを全うした身としては、「もう吹奏楽はいいや」という気持ちが大きかった。吹奏楽も充分楽しいが、どうせならもっと歴史がある曲を、自分の身体で再生してみたかった。母が地元のアマチュアオケでコントラバスを弾いているんですが、その影響も大きかったかもしれないです。吹奏楽よりもずっと緻密なスコアを、私も読んでみたかった。 しかしそうなると、チューバは捨てなければならない。オーケストラにおいて、比較的新しい楽器であるチューバの需要は低く、サックスほどではないにしても、出番はあまり期待できない。ベートーベンもブラームスもモーツァルトも、基本的にチューバはお呼びでないのです。お呼びもなにも、その時代にはこの楽器が存在しないわけですが。 しかしそれじゃあオケを望む意味がない。 そういうわけで、新歓期私はコントラバス志望を称して東大内の各オーケストラ団体を渡り歩きました。何でコントラバスなのかというと、ただ、音が低いから。高音楽器はいろんな意味で私のキャパを超えています。演奏聴くのは嫌いじゃないけど。 しかしなかなか「入りたい!」と思えるサークルがない。途中面倒くさくなって、もう音楽はいいか、と思ったこともありました。でもそのたびに蘇るのは、吹奏楽部時代のコンサート。   我が高校の吹奏楽部は笑っちゃうくらい弱小で、ほんとどうしようもない演奏しかできなかったんですが、文化祭なんかでは一丁前にステージに乗ってコンサートをやっていました。 私も曲の基部を支えるべく、一見初見でも吹けちゃいそうな単純な楽譜を追う。吹く。テンポの定まらない指揮者を仰ぐ。吹く。吹く。あ、間違えた、け、ど、誰も気づくまいチューバだし。吹く。吹く。そうこうしているうちに、だんだん「夢中」になってゆく。夢中になっていた、と悟るのはコンサートがすべて終わったあとで、はっと穴から這い出したような、世界が開けたような気分になってやっと、今まで狭いところにいたのだと知る。もちろん演奏中だって、ちゃんと意識はあるわけだし、曲に関係ない思考も働いてるし、何の違和感もなく呼吸しているつもりなのですが、何故か終わると「夢中」から醒める。醒めると途端に寂しくなって、また練習頑張っちゃおうかなという気にさせられるのです。 あの演奏中にみる夢はいったい何なのか、別に科学的に解明したいとは思わないものの、とりあえず一回見るとまた見たくなるということだけは確かで、新歓イベントに食傷気味の私でも、この記憶だけは忘れられませんでした。それが音楽を捨てられない唯一の理由だったわけです。   ……と、やっと、入りたいサークルがなくて云々の話に戻るわけですが、まぁそういうわけで、「東大に入りたい楽団がないなら外行きゃいいじゃん」と。 オケの場合、新歓期を逃すと練習の面でも周りに馴染みづらくなるゆえ、慣れないMacで急いで他大のオーケストラ団体を検索。そして現在があるわけです。   なぜコントラバスじゃなくチューバを続けているのかというと、たまたまそのオケがチュビストを絶賛募集中だったから。そして私が先輩のチューバに惚れてしまったから、です。 中高時代の部活については、いつかまた記事を書こうかなと思いますが、私は6年間、パート直属の先輩を持ったことがありません。つまりチューバを教えてくれる人、見本となってくれる人が一切いなかった。すべてそのせいにしてはいけないと思うけど、実際今の私の奏法はめちゃくちゃな自己流で、呼吸法もまったくなっていません。 しかしその先輩は、私と数えるほどしか年違わないのに、近くで聴いても遠くで聴いても嬉しくなるほど美しい、一瞬で「ああなりたい」と思ってしまうような魅力をもったおとを出す。 例え出番が少なくても、「運命」など舞台袖で見学してるしかないとしても、あんな人の下で吹けるなら我慢しよう。まぁ「新世界」にくらいはコミットできるんだし。 私も大概単純です。   ……人との出会いは人生を変えるのだ、という自明のことを、あえてこんだけの行数使って示してみるのもありかな、という話でした。   相変わらず尻切れとんぼですが、何日も前から書いては下書き保存していたものが、いちおう形になったので良しとします。 伝えたかったことはひとつ。   この楽器はチューバ(TUBA)です。コンパでこの名前が出たら、積極的に絡んであげてください。

好き好き大好き超愛してる。

2 Comments
英訳タイトルは、「Love  Love you Love I Love you!」。 アマゾンブックレビューによれば、このタイトルが良いのだそうだ。私も、これ自体に対してはさほど拒否反応はないですが、小説の中身と突き合わせたときに、「なぜ敢えてこのタイトルにしたのか」。作品のもつ雰囲気とタイトルとの乖離を感じた。   さて、明日(今日かー)の予習のために、数日前明け方までかかって読了しました。 基本的に、激しく遅読です。書くのも遅い歩くのも食べるのも遅いですが。標準的な夜ご飯は、ほっとくと2時間かかります。人生損してると、自分でも思う。   それにしても、500円か。 率直な感想です。私の4時間を返せとは言わないけれども、500円あれば食堂で一食たべられる。この本をお昼ごはんには代えられないなーと思う私は、スレてるのか、モノが分かっていないのか。軒並み好評価を下す世間とのギャップに苦しみます。これこそ、何度も読めば価値が分かる、の、だろうか。「新しい」ってそういうこと? 聞くところによると、世に言う「セカチュー」へのアンチテーゼだという説もあるらしいですが。 しかし、今日企画メンバーと話した限りでは、満場一致で疑問符。 とりあえず明日、この本を推薦したという文芸サークルとサシで話がしてみたい。皮肉ではなく。私には読み取れなかった行間があるのかもしれない。広かったしね、実際!   というわけなので、詳しい感想や疑問(アダムとイブとミスターシスターが一冊に同居してる意味はなんだ、等)は置いておきます。私が書いてもろくな言葉にならない気がする。文芸サークルの方々と話をしてなにか開眼したところがあれば、改めて読み直した上で「ぼくほん」に投じるかなー。   では贈賞式の報告などは、また後日掲示板にでも。   目下の悩みは、服装をどうするか。貧相なクローゼットが悔やまれる。