世田谷イルミネーション探訪
私は現在、日々駒場まで自転車で通う身なのだが、その道すがら通りかかる家々のイルミネーション合戦が、クリスマス当日に向けいよいよ白熱していくのを傍観するのが、ここ最近のささやかな趣味だった。
ハロウィーンの頃から、玄関に手彫り感あふれるかぼちゃが鎮座したりして雲行きが怪しかったのだが、11月に入ってやっと、それも撤退したと思ったら、突如12月。
懸命に走る師を誘惑したいのか知らないが、華美に飾られる玄関。
一軒が頑張りはじめると、それに呼応か対抗か、お隣お向かい斜向かい、日ごとに自宅デコレーションの輪が広がっていき、月も半ばになると、駒場Ⅱキャンパス周辺の家は毎晩チカチカピカピカキラキラ。
むしろ何の施しもしていない家のほうが目立って勝ちだったんじゃないかと思うくらい、派手に飾られた住宅街には、さすがに自転車を漕ぐ足もおろそかになる。
中高時代は、クリスマスの綴りも知らないような町で過ごしたので、こういう都会のマダムな腐心は非常に興味深い。
去年だったか、下宿のおばちゃんが、なぜだか張り切って庭の植え込みに単色の電飾とモールを巻きつけていた(そして、電気代がもったいないといってほとんど点灯しない)のさえ、なんだか「おおお」という感じだったのに、やはり東京は、目黒区は、違うらしい。
数日前、不在票が入っていた荷物を取りにちょっと遠くまでチャリで出かけたのだが、その途中でも、あちこちで家々が、発光していた。
しかも今度は世田谷区である。
私も、引越ししたてのころは、下北沢への行き方が分からず、綿々とつづく高級住宅街に迷い込み、車庫シャッターを下ろせばいいのにわざとかあえてか見せびらかされているベンツを横目にEZナビウォークと格闘した思い出があるが、やはりこういうところにお家を建てる人は、電気メーターなど見たこともないのだろう。風呂の残り湯で洗濯なんて、したこともないに違いない。
とりあえず、庭の中にリアルツリーがある家、多数。塀で全貌は見えないので、はみ出た木のてっぺんから想像するに、であるが。
こうなるともはや、一体誰にアピールしているのか分からないし、実際どの家もさして独創性あるデコり方をしてるとも思えないが、とにかくみな、光りたいらしい。
泥棒よけにしては、大層な投資である。
また、通りがかったアンゴラ大使館のイルミネーションも、それは立派なものだった。一瞬、民家かと思って目をうたがったけれども。
それにしても、通りかかるたびに思わずふらふら近寄って眺めてしまう私は、やはりしょせん、蛾属性だなと、悲しくなるのでありますが。
そして来年、高田馬場に引っ越したら、今度は目白の高級住宅地を散策に行ってみようと、思ったりする。
そういえば、30分以上かけて荷物を取りに行ったはいいのだが、「受け取りセンターを間違えてますね」ということで、寒い中再び長々チャリを漕がねばならなくなった、というのは余談でしょうか。
しかしお陰でたまたま、受験のとき泊まったホテルを通りかかったりして、ちょっと寂しく、まだ1年も経っていないのかと思ったりして、センター模試パックの束の分厚さを思い出したりもして、いやあ初心に返らねばならないなと思わされつつ、年は暮れゆく模様です。
よいクリスマスを。
箱入りの立派な装丁。
「おかげで値段がはりますが、それは僕のせいじゃない」とは堀江さんの弁。
簡単に説明しておくと、私は中高時代、実家を離れて下宿生活を送っていた。
中1から高3まで、女子ばかり常時10人程度が暮らす、小さな下宿だ。
基本的には大家のおばさんが一人で切り盛りしているのだが、この人がとにかく大らかで(その大らかさに悩まされたことも多々あったけど)、その影響か、私も6年間、女子の集団にありがちな陰湿さに泣くこともなく、文字通り「自由に」日々を送ってきた。
学年を越えて下宿生同士のつながりも深く、敢えて痒いことを言うならば、まさに家族。下宿は私の第二の実家だ。
当初は二泊三日で下宿に滞在する予定だったのだが、どうせ岡山まで帰るなら(実の)家族にも顔を出すべきだろうということで、はじめの一日は(いわゆる)実家がある広島で過ごした。
翌日朝、久々に下宿の床を踏む。
母屋のダイニングは、何も変わっていなかった。
おばさんの顔も、何も変わっていなかった。
しかし数えればたかだか四ヶ月離れたていただけだ。全てが豹変してても困る。
学校はいま夏季補習授業中だそうだ。下宿生の声がしない、静かな食卓でお茶をすすりながら、しばしおばさんと二人、近況報告に花が咲く。
じきに、学校を休んでいたらしい後輩がお昼を食べにやってきた。
私を見てぎょっとする。
「何でいるんですか!?」
おばさんには、私が来ることは下宿生には内密にしておくよう頼んでいた。「その方が面白いな」とあっさりノッてくるのがおばさんの良いところ。ちなみに、こういう会話も含めての通話時間30秒である。
その後輩と一緒にお昼をたべ、お茶を飲み、おやつを食べ、牛乳を飲み、ひたすら喋ったり黙ったりしていると、続々と他の下宿生たちも部活を終えて帰ってくる。
その度にいちいち、平然と「おかえりー」と迎えて相手をびびらせるのが楽しかった。
下宿は、ほんとうに、「相変わらず」だった。
おばさんは煎餅をことごとく冷蔵するし、後輩の口の悪さは改善の余地がない。
4月から加わったという新入生とは初顔合わせだったけれど、みんな早くもそれぞれにこの家に溶け込んでいるようで、少し安心した。毎年新入生が入ってくると、必ず一波乱あるのだ。今年も例外ではなかったらしいけど、上級生の腐心(あるいは暗躍)によって一段落しつつあるらしい。
人が人と接する限り不満が出てくるのは当然で、でもふくらみ甲斐のない陰口や敵意はあっけないほどすぐ消える。だから、悪口を、重ねない。ふくらませない。さりげなく、言葉少なに、摘み取りもみ消す。そこらへんの調節こそが、先輩の役目だ。
そういうことに気づく頃には私も先輩になっていて、そのまま最高学年になってしまって、後輩にどれだけのことが伝えられたのかは分からないまま、あの家を去った。
特に去年、私が高三だった時は、一つじゃ済まないほどの波乱があって、後輩たちはみんな可愛くてしょうがなかったけれど不安の多い毎日だった。このまま私たちが下宿を去って、下宿は大丈夫だろうか、崩壊しやせんもんか、と卒業間近の1月2月など、受験勉強もそこそこに、高三3人で夜な夜な出口の見えない話し合いをつづけたものだ。
しかし四ヶ月ぶりに下宿を訪れて、それが杞憂だったと知った。
後輩はみんなちゃんと、「先輩」になっていて、下宿を「分かっていた」。ほっとしたし、単純に嬉しかった。
こうやって何十年も、綿々と続いてきた下宿を、私たちもいちおう受け渡せたんかなー。
相変わらず、みんなで集まって夜中までだらだらと喋りながら、そんなことを考えていた。
岡山に帰っても、テストが消え失せるわけではなく、私は下宿に一泊しただけで、翌日の夜行バスで帰京、午後から近現代史のテストを受けた。試験の出来は、もう忘れた。い。
その二日後、後輩からメールが来た。
「今日で18.5歳、おめでとうございます!」
それおめでたいのか? とは思ったが、18の誕生日を迎えたときはまだのんびり高校生してたのかー、下宿生してたのかー、と考えると、不思議だ。たった半年、のくせに。
感覚ももう、ずれてきている。例えば高校時代は普通に思っていたコンビニまでの徒歩30分が、こないだは酷く億劫だった。6年かけて培ってきた感覚も、たった半年でしおれるらしい。
しかし東京の猛暑に接すると、すぐまたあの山の中の町が恋しくなる。九月には絶対もっかい帰ってやる、長逗留してやる、と心に決めつつ、八月ももう半ばを過ぎた。
今週は、後輩ではなく、下宿時代の同級生2人と会う予定だ。みんな東京住まい。というか、1人は駒場のひとですけども。
たまには(というほど記事を書いているわけでもないですが)画像を載せてみようということで、撮ってみた。自前の楽器です。ついこの間購入したばかり。中古でかなりお買い得だったとはいえ、入学早々、親に多大な借金をすることになってしまいました。駒場を去るまでには完済したい。
それにしても、この楽器の存在・名前を知っているひとはどれくらいいるのでしょう。
ご覧の通りの図体で(比較のためペットボトルを置いてみたのですが大した役割果たしてないですね)、大きい楽器というのは得てして知名度が低い。私は中学からこの楽器と付き合っているけれど、「何を演奏してるの」との質問に「チューバです」と答えて良い反応が返ってきたことがありません。絶対的に、飲み会での話題には向かない。「あぁ、あのかたつむりみたいな楽器ね!」(ホルンです)だの「スライドさせるやつでしょ」(トロンボーンです)だのと勝手に納得し、話をつづけてくれる人がむしろ有り難いくらいのもんです。
せめてラピュタのパズー少年あたりが朝、屋根の上でチューバを吹く。宮崎駿にそれくらいの気概があったなら、状況はだいぶ変わっていただろうになと、しょうもないことを考え、たくもなる無名ぶりなのです。
しかしながら、こいつがあらゆる場面で「ひどく目立つ」ことは間違いありません。
今私は某大学の某オーケストラ楽団に所属しており、練習のため週3で大隈さんのもとに通っていますが、駒東から最寄駅まで、乗り継ぎ2回、およそ40分の道のりを、こいつを背負って往復するのは、なかなかの苦行です。
一応デカさアピールをしておくと、高さは私の胸くらいまで。重さは10キロ超だと聞いています。体重計に乗せようにも乗らないから本当の数字は不明だけども。いつか量るのが私の夢です。
それをリュック式のソフトケースに入れて、階段をのぼり、おり、人にぶつかり、謝り、ときどき改札にひっかかり、通行人に二度見され、「パパあれなに?」「うーん何だろうね楽器かな」「楽器?」「お姉ちゃんに直接聞いてごらん」「……。」「まったくこの子ってば人見知りなんだから」――核家族に会話のネタを提供したこともある(実話)。
反面、練習会場に着けばやたら優しくされます。まずドアを自分で開けたことがない。それから道が勝手にひらける。……もちろん楽器を持ってるとき限定です。まさにチューバの威を借るモーセ。
そして見た目に限らず音もでかい。
私の耳は、都合よく低音をひろえるようカスタマイズされていますが、それにしてもチューバの音はよく響く。よく響くように作られている上、よく響くように吹いているのだから当たり前なのだけれど、ステージを一本で制圧するその存在感、音色は、他の(知名度高い)楽器への妬みをぬきにしてもとても気持ちがいい。逆に言えばそれがオケにおけるチューバの最大にして唯一の存在意義なのかもしれないけれど。
自虐はすなわち自己愛なので、私のチューバに対する愛情も尋常じゃないものなわけですが、しかし大学に入ってもチューバを続けようかどうか、迷っていた時期もありました。
まず私は、とりあえずオーケストラがやりたかった。中高と吹奏楽部に所属し、高3の秋までみっちりこれを全うした身としては、「もう吹奏楽はいいや」という気持ちが大きかった。吹奏楽も充分楽しいが、どうせならもっと歴史がある曲を、自分の身体で再生してみたかった。母が地元のアマチュアオケでコントラバスを弾いているんですが、その影響も大きかったかもしれないです。吹奏楽よりもずっと緻密なスコアを、私も読んでみたかった。
しかしそうなると、チューバは捨てなければならない。オーケストラにおいて、比較的新しい楽器であるチューバの需要は低く、サックスほどではないにしても、出番はあまり期待できない。ベートーベンもブラームスもモーツァルトも、基本的にチューバはお呼びでないのです。お呼びもなにも、その時代にはこの楽器が存在しないわけですが。
しかしそれじゃあオケを望む意味がない。
そういうわけで、新歓期私はコントラバス志望を称して東大内の各オーケストラ団体を渡り歩きました。何でコントラバスなのかというと、ただ、音が低いから。高音楽器はいろんな意味で私のキャパを超えています。演奏聴くのは嫌いじゃないけど。
しかしなかなか「入りたい!」と思えるサークルがない。途中面倒くさくなって、もう音楽はいいか、と思ったこともありました。でもそのたびに蘇るのは、吹奏楽部時代のコンサート。
我が高校の吹奏楽部は笑っちゃうくらい弱小で、ほんとどうしようもない演奏しかできなかったんですが、文化祭なんかでは一丁前にステージに乗ってコンサートをやっていました。
私も曲の基部を支えるべく、一見初見でも吹けちゃいそうな単純な楽譜を追う。吹く。テンポの定まらない指揮者を仰ぐ。吹く。吹く。あ、間違えた、け、ど、誰も気づくまいチューバだし。吹く。吹く。そうこうしているうちに、だんだん「夢中」になってゆく。夢中になっていた、と悟るのはコンサートがすべて終わったあとで、はっと穴から這い出したような、世界が開けたような気分になってやっと、今まで狭いところにいたのだと知る。もちろん演奏中だって、ちゃんと意識はあるわけだし、曲に関係ない思考も働いてるし、何の違和感もなく呼吸しているつもりなのですが、何故か終わると「夢中」から醒める。醒めると途端に寂しくなって、また練習頑張っちゃおうかなという気にさせられるのです。
あの演奏中にみる夢はいったい何なのか、別に科学的に解明したいとは思わないものの、とりあえず一回見るとまた見たくなるということだけは確かで、新歓イベントに食傷気味の私でも、この記憶だけは忘れられませんでした。それが音楽を捨てられない唯一の理由だったわけです。
……と、やっと、入りたいサークルがなくて云々の話に戻るわけですが、まぁそういうわけで、「東大に入りたい楽団がないなら外行きゃいいじゃん」と。
オケの場合、新歓期を逃すと練習の面でも周りに馴染みづらくなるゆえ、慣れないMacで急いで他大のオーケストラ団体を検索。そして現在があるわけです。
なぜコントラバスじゃなくチューバを続けているのかというと、たまたまそのオケがチュビストを絶賛募集中だったから。そして私が先輩のチューバに惚れてしまったから、です。
中高時代の部活については、いつかまた記事を書こうかなと思いますが、私は6年間、パート直属の先輩を持ったことがありません。つまりチューバを教えてくれる人、見本となってくれる人が一切いなかった。すべてそのせいにしてはいけないと思うけど、実際今の私の奏法はめちゃくちゃな自己流で、呼吸法もまったくなっていません。
しかしその先輩は、私と数えるほどしか年違わないのに、近くで聴いても遠くで聴いても嬉しくなるほど美しい、一瞬で「ああなりたい」と思ってしまうような魅力をもったおとを出す。
例え出番が少なくても、「運命」など舞台袖で見学してるしかないとしても、あんな人の下で吹けるなら我慢しよう。まぁ「新世界」にくらいはコミットできるんだし。
私も大概単純です。
……人との出会いは人生を変えるのだ、という自明のことを、あえてこんだけの行数使って示してみるのもありかな、という話でした。
相変わらず尻切れとんぼですが、何日も前から書いては下書き保存していたものが、いちおう形になったので良しとします。
伝えたかったことはひとつ。
この楽器はチューバ(TUBA)です。コンパでこの名前が出たら、積極的に絡んであげてください。