36時間目の酔狂

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ゼミが、ゼミでなくなって2ヶ月が経った。

 

呼称は変わらない(新入生に「立花ゼミサークル」とよばれたのはちょっと微笑ましかったが)、やってることも変わらない(だいぶアフターが増えたか)。

 

ただ、一ヶ月に何度か、三文ほど稼がなければならなくなったのと、しのごの喋る機会が増えたのと、メーリス癖(へきと読んでください)が拭い難くなってきたのと。

私のゼミ生活は、言うほど去年と変わっていない。

 

 

喋りはいつまで経っても惹けない。メーリスはいつまで経っても簡潔にならない。薄い快晴のした、まだスクランブルじゃない渋谷の眺めも、その味をしめたと言うにはまだ大分かかりそうだ。

なにしろ寝坊と遅刻は私のライフワークであって、この2ヶ月をおもってみても、朝8時や9時や、何度「ごめんなさい」を送信したか分からない。ある時は山手線のドアに寄り添って。ある時は靴の踵をふみながら。ある時は枕の上、人差し指一本でかち、かちと。

 

 

先輩たちの偉大さは結局後輩に圧しかかる。でもプレッシャーを感じています、などと言う自信はない。基本的に鈍感である。楽観しているわけではない。ゼミがゼミでなくなって、立花ゼミって何が立花なのって詐欺まがいを申し訳なく思いながら、しかし毎週ぞろぞろとやってくる新入生に、未だにずるずると減っていく新歓パンフに、喜びながらも懸念は消えず、不安だ不安だと言って、でも安寧を蹴る元気はない。

 

 

「大変だね」「ご苦労さま」

うれしいけれど、世の中にはもっと大切な大変が溢れている。労いの言葉は有り難くなければならない。

こちらの大変はしょせん語りたい大変であり、苦しめない苦労なのである。

 

 

かつて森見登美彦氏は、都内の某カフェで言った。

 

 

本にしていくまでの間にはいろんな小さな楽しみがあるんです。それこそ締め切りを乗り越えたら楽しいし、原稿料が入ってきたり、新しいアイデアが浮かんで来たら楽しいですよね。編集者の人から良い反応が返ってきたときも楽しい。それが段々と一冊の本になっていくことも楽しい。そしてとうとうそれが本屋さんに並んで、読者の人から「面白い」という感想が返ってきたりすれば、それだけでもうかなり元は取れているんです。僕の場合ありがたいことにある程度本も売れるんで、お金もちゃんと入って来るし、もう何を文句を言う必要があろうか、という感じなんです。……

 

 

もう何を文句を言う必要があろうか!

 

 

これが悪い意味でも私の暢気の根源なんでしょうね。

 

 

しかし、なんだって不可避に、水曜日という日は、私の中でいつも少し浮いているのである。

 

 

……こういうことを、ブログで堂々と書いちゃうあたり、私もまだまだ、十代だなあ。

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