2008年3月10日。
一年間浪人したのに、またしても東大に落ちた。
情報の発信者として僕たちはどうあるべきなのか、
3時間を目一杯につかった授業はこれまでになく密度の濃いものになった。それは伊藤さんが「伝えるプロ」であり、僕たちの前提・ニーズを的確に読み解き、聞き手の側におりてきてくれたからだと思うし、同時にゼミ生ひとりひとりに情報の発信者としての悩みがあったからだと思う。但し、これは「答え」ではなかったと思う。伊藤さんは、具体的にこれをしろ、というような指導はしなかったし、僕たちに考える余地を十分に残した上で議論に最初の火を放ってくれた。これをヒントとしてこれからの見聞伝がどう燃えていくか、それが宿題だと思うし、「見聞」から「見聞伝」へと一歩踏み越えることだと思っている。 2009年6月24日(水)駒場キャンパス1号館にて。
立花隆、開口 伊藤さんに僕たちのサイトを見た感想を聞いてみた。実はあまり第三者の意見というものに触れたことがなく興味があった。 伊藤さん ネットだからターゲットってすごく絞りづらいと思うんです。海の中に投げ込んでるようなもんですからね。ネットでどう見せるかというのはやはり専門的なスキルが必要で、どこにリンクを貼るかとかいう話になりますけど、そもそも僕はさっき心の動きって言ったと思うんですが、」やはり最終的には自分が興味を持って調べたことだけど、こういう気持ちの人に、ここを通過したら、こういう気持ちになりました、なってもらいたい、みたいな感じが「伝えたい」という欲求に近い行為だと思うんですよね。みなさんが伝えたいって思う人たちがどういう心の状態なのか、それをどういう心の状態にしたいのか。例えば見聞伝を知って「オレ頭良くなったぜ」っていうのも伝えたい目的かもしれないし、これはマスメディアがずっと考えて来て出来ていないことですが、キッカケだけじゃなくアクションまでさせたいのか。「貧困と京大」といってそれぞれの大学にこの問題を考えさせたいのか、誰にどういう気持ちになってもらいたいのかということをデザインも含めて考えないと正解って見つからないと思うんです。そのあたりのすりあわせはした方がいいと思うんですよね。すると楽しそうに聴いていた立花先生が口を開いた。 立花 僕はちょっと違う意見を持っていまして。インターネットというのは極めて不思議なメディアであってターゲットのことはあまり考えなくていいんじゃないか、考えれば考えるほど伝わったかどうかということが気になりますよね。けれど実際やってみるとまったく思いがけない人たちに伝わって反応があるんですよね。ゼミのある時期は割と丹念にログを見て実際にどういう人が見たのかを調べたことがあるんですよね。そうすると本当に全く不思議な人が不思議なところから見てまして、伝わり方もこちらが考えているものと全然違うんですね。だからコミュニケーション論というとやはり、ターゲットがありそれに伝わったかどうかが気になりますが、僕はこれは本当に自分が発信したいことを発信しているだけで自然に伝わる所には伝わってるんだからそれで十分なんじゃないかと考えるのが正解なんじゃないかと最近は思っているんですよね。ターゲットを考えれば考えるほどさもしさが出るようなつまらないコミュニケーションになっちゃうと思うんですよ。あくまで自分が主体的に発信するそちらの方に気持ちを集中させた方が結局は良い発信になるんじゃないかという気がしますけどね。再び伊藤さん。今度は選挙カーの話を持ち出した。 伊藤さん 渋谷で国会議員が来てやってるんですが、確かに目の前に若者はいっぱいいるんですよね。でも誰かの心に響いているのか。それで心を動かされて泣く人がいるのかと考えると、やはり伝わってないなといつも思うんですよ。僕は表現者なんでやっぱり心を動かしたいんですよね。選挙カーで演説している人には、僕はなりたくない。というところから、じゃあそれをやるためにはどうしたらいいんだろうというスキルとして今日は受け取ってもらえればと思います。
これ、俺のことだ! 伊藤さん 結局、僕もこういう特集をやる時に忘れないようにしているのは、取材って進めていくとだんだん賢くなってわかってきちゃうじゃないですか。でも、やり始める前はみなさんが考えている読者と全く同じ状態でして、自分はわかっていないんです。何がわからなかったのか、なんで僕は興味をもてなかったのか。そこの伝わること・伝わらないことというのは常に僕の中で考えています。さっき言ったキーワード「自分事化する」、どうやったら「これ俺のことだ」って思えるのか。100%思うことなんて難しいですがそういう風に思える切り口というのは必ずあるはずなんですね。僕自身はそういうことを考えながら媒体をつくっているんで、いわゆる既存のメディアの視点から見たら非常に主観的ですし公正中立かはわかりません。学問の世界から見てもそれが知の体系になるかはわからないですが、ひとつの結果としてGTを見た読者の人が実際にそれを読んで何かが伝わって今日のこういうリアクションになっている。それをやるために僕はこういう冊子を発行しているんです。 おそらく僕たちは様々な場面で無意識のうちに「自分事化」を実行してきた。今回、それらの無名・無自覚の行為に名前が与えられ、僕たちは今後その営みを自覚的にやっていく。見聞伝でのいろんな企画。重いものも軽いものも、「どうしてそんなことをしているのか」今回で言えば「どうやって自分事化したのか」を積極的に伝えていきたい。その姿を見て、読者にもその問題を「これって俺にも言える話じゃん!」「言われてみれば私もそう思う!」なんて思わせることができれば、それがその人にとっての「入り口」となることは間違いないだろう。
日露戦争と平成生まれが同居するジダイ 伊藤さんは、歴史と自分のリンクをさらに体感したいと感じたという。それが最新号、第10号の「時を拓く」という特集につながっている。この号では100年前から現在までの年表と自分の年齢を併記させることで世相がどういう風に影響してくるのかということを考えさせている。例えば若くして夭折したカリスマ歌手尾崎豊がデビューした年というのはまさに校内暴力があった時代で、その翌年には熱血ラグビードラマの「スクールウォーズ」が放映されている。 伊藤さん 自分が何歳だった頃にどういうことが起こったのかを考えることで、もしくはある物事が起こったとき、自分の祖母が20歳だった頃がある、自分の母親が乙女だった頃があるということを感じてもらうための年表です。僕が今回ここにいる皆さんを想定した時にこの年表を見ると、90年生まれの人がいるんですか?いますね。90年といえば僕は15歳、中学生だったのですが、その時にまさに生まれた人がいるってことは、例えば「阪神大震災」というのは当たり前のように知っていることを前提として会話してしまいますし、オウムの事件もそうですが、その頃5歳くらいということですもんね。そう考えると、阪神大震災とかは記憶ないですか?オウム真理教は教科書で知る感じですか?というぐらいのことなんだということを、この年表を通じて見てほしくて。こんなことは本当は年表をつくらなくても同じ歴史を違う人たちが違う年齢で迎えているということは間違いないんですが、僕にとって年表はそういうツールでした。さらに年表の延長で、実際にニュースの中にいた人を取材した。日系ブラジル移民、関東大震災の経験者、ひめゆり学徒隊、日大全共闘の士、バブルの頃にお立ち台で踊っていたお姉さん。「あの日」にフォーカスした記事をつくることで、伊藤さんはあることに気づいた。 伊藤さん 超高齢化社会というというのは100歳差の人たちが同時に生きている時代なんですね。一番高齢の方は日露戦争を経験しているかもしれない。日露戦争で生まれた人と、みなさんのようにベルリンの壁が壊れた頃に生まれた人、今生まれた人、それらが同時に生きているということが、僕はこの特集をやっていて一番おもしろかったことです。同じ事件でも見方は全く違いますし、歴史に載っていることをそのまま語ってくれる人がいるんですね。 この特集をやりながら最終的に、今生きている人たちが何を考えて何を思っているのかということをアーカイブしたのが「時を拓く祈り」というコンセプトの記事になっていた。
江戸時代を知っている人と話したことがある。 第3号のタイトルは「roots」。いくらグローバル化する現代とはいえ島国に生きる日本人は、自分が何者なのかという意識をあまり持たない。そこからスタートし、漠然とした人間のルーツ(人類はアフリカで生まれたといわれている)を考えることから最終的に「苗字」というところに行きついたと言う。確かに自分の名字のなんてよっぽど珍しいものでない限り調べないだろう。伊藤さんは戸籍謄本を取り寄せて家系図を紐解いた。ちょうど4世代遡ったところで江戸時代に辿りついた。 伊藤さん 4世代前ってどういうことか。皆さんが今話すことができるおじいちゃん・おばあちゃんがいますよね。そのおじいちゃん・おばあちゃんがみなさんと同じように話したことがある人、その人が江戸時代の人なんです。だからみなさんは「江戸時代に生きた人」と話したことがある人と同じ時代に生きている、そういう距離感なんです。これは僕は結構衝撃で、坂本竜馬とか憧れてはいたけれど自分とのつながりはまったくなかったわけです。それが自分が話したことがあるおじいちゃんおばあちゃんが、もしかしたら竜馬と会っている人と話したことがあるかもしれない。このことを知って、僕には江戸時代との距離が全く違うように感じられたわけです。 これを聴いて、僕も衝撃だった。自分の祖父祖母が僕たちと同じような年齢のころ、彼らは自分の祖父祖母から江戸時代の思い出を聞かされていたかもしれない。「江戸時代」という教科書の文字としてのみ在ったワードが現在とリアルにリンクする形で迫ってきた。江戸時代を自分事化できた、ということだろうか。
「街ヲ想フ」 そんな視点でもう一度GTを見てみる。第2号の特集「街ヲ想フ」。街というテーマを伊藤さんはいかに自分事化したのだろう。 伊藤さん 当時市町村合併があって3000くらいあったものが1000そこらになってしまう時に、「そもそも街って何だ?」「国とか地球のことを語る前に自分の街のことも僕らはわからないな」という興味でテーマを組んだのですが、もちろん、記事の中には例えば湯布院の合併の話やコミュニティスクールという既存の学校をどうやって街へ開いていくかという取り組みを取材していますし、休業をしていた時のCoccoというミュージシャンに「ただの沖縄の一人の女性として」という視点で当時やっていたゴミ拾いのことを記事化して読者の方にも興味を持ってもらうようにしています。けれど、結局原点に還ったとき、「自分が住んでる街のことを知らない」という時に「僕はどれくらい知らないんだろう」ということを体感することから始めようと思いました。これがこの号のメインコンテンツとなっています。
伊藤さんは、「街で見たことがあるがよく意味が分かっていないもの」をひたすら撮りためることから始めた。例えば路上に残されたイニシャル、「消火栓」という看板の首にある矢印、区と区の境目の表示、選挙ポスター、そして戦争遺跡。どれも確かに僕たちの街を構成する要素なのだが、示されてみて初めて「そう言えば考えたことなかったな」と目を見開かされる。(これらが何を意味するか、調べてみてほしい。)中でも戦争遺跡は興味深い。なんの変哲もない並木通りが実は戦時中は滑走路として使われていた。僕らのふとした日常がかつての戦争とリンクしていること、この平和な日本にも戦争があったという事実をリアルに感じられる。まさに日常の風景から戦争が自分事化されていく。
「自分事化」する。 結局、この特集の紹介を通じて伊藤さんは僕たちにどんなことを伝えたいのだろうか。「伝えるから伝わるへ」これを理解しながらそのノウハウはGTの中でどのように活かされているのだろうか。 伊藤さん こんな感じでいろんなページがありながら一つのメッセージに向かうようにつくっているんですが、この「伝えるから伝わるへ」ということを表現に落とし込む時に僕が最も大事にしていることというのが「どうやったら『自分事化』できるか」というその一点を常に探しています。それは取材をする僕自身もそうですし、相手に伝える時には「何故伝わらなかったのか」「何故伝わらないと思うのか」ということを常に考えるしかないんですね。N君が「僕らがやっていることは非常に難しくてなかなか興味を持ってもらえないと思うんです」と言っていましたけど、感覚的に捉えているその勘は正しいと思うんですが、「じゃあなんで興味をもってもらえないのか」ということを考える、その人にとって自分事化できる接点てなんなのかということを、僕は表現をする時に常に考えています。 「接点」という言葉にピンときた。確かに僕たちのやっていることは内容が多分にアカデミックなためなかなか読んで欲しいと思う相手の意をひくことができない。ただし、そのアカデミックな内容を自分事化してやっている「僕」という人間は読み手と同じ地平にいる。いくら話が漢字だらけの難しいものでも、アカデミックなことに興味のない僕が興味のある僕へと変化するその接点の部分はわかってもらえるはずだ。 |
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