さやかに風も吹いてゐる
岡山は、雨だった。
提げていた紙袋はへなへなと萎れ、傘は半壊、水の染みこまないコンクリートを腹立たしく思いながら、坂道をのぼった。
なにが「晴れの国・おかやま」だ。
「警報が出て休校」という儚い楽しみを夢見て、必死で逆さてるてる坊主に雨乞いをした、中高時代を思い出す。
降ってほしいときには降らない。降らんでいいときに降る。
兎角この世は生きにくい。
東大が期末試験まっさかりであった頃の話。
連日シケプリ完成の報告メールが行き交う中、その日、私もシケ対の任務を全うすべく、パソコンに向かいc-fiveとワードを往復していた。
かたかた浅いキーボードを叩きながら、思う。
あぁ、なにやってんだわたし。
あぁ、下宿帰りたい。
はじめは、冗談みたいな気持ちだった。
あー帰りたい帰りたい。
しかし思ったら止まらない。
あぁ、もういいや。帰ろう。
ワード文書を保存、終了。その指で下宿に電話。
「あ、おばさん。あのー、下宿帰りたいんですけどいいですか。明後日の朝そっちに着く予定で」
「……あぁ! えぇで」
「迷惑じゃないですか」
「は! そんなん! いつでも帰りたい時に帰ってきたらえぇねんから」
通話時間30秒。
今度は更にその指で翌日の夜行バスを予約。空席あり。片道5500円也。
突然の帰省は、そんな風に決まった。
簡単に説明しておくと、私は中高時代、実家を離れて下宿生活を送っていた。
中1から高3まで、女子ばかり常時10人程度が暮らす、小さな下宿だ。
基本的には大家のおばさんが一人で切り盛りしているのだが、この人がとにかく大らかで(その大らかさに悩まされたことも多々あったけど)、その影響か、私も6年間、女子の集団にありがちな陰湿さに泣くこともなく、文字通り「自由に」日々を送ってきた。
学年を越えて下宿生同士のつながりも深く、敢えて痒いことを言うならば、まさに家族。下宿は私の第二の実家だ。
当初は二泊三日で下宿に滞在する予定だったのだが、どうせ岡山まで帰るなら(実の)家族にも顔を出すべきだろうということで、はじめの一日は(いわゆる)実家がある広島で過ごした。
翌日朝、久々に下宿の床を踏む。
母屋のダイニングは、何も変わっていなかった。
おばさんの顔も、何も変わっていなかった。
しかし数えればたかだか四ヶ月離れたていただけだ。全てが豹変してても困る。
学校はいま夏季補習授業中だそうだ。
下宿生の声がしない、静かな食卓でお茶をすすりながら、しばしおばさんと二人、近況報告に花が咲く。
じきに、学校を休んでいたらしい後輩がお昼を食べにやってきた。
私を見てぎょっとする。
「何でいるんですか!?」
おばさんには、私が来ることは下宿生には内密にしておくよう頼んでいた。
「その方が面白いな」とあっさりノッてくるのがおばさんの良いところ。
ちなみに、こういう会話も含めての通話時間30秒である。
その後輩と一緒にお昼をたべ、お茶を飲み、おやつを食べ、牛乳を飲み、ひたすら喋ったり黙ったりしていると、続々と他の下宿生たちも部活を終えて帰ってくる。
その度にいちいち、平然と「おかえりー」と迎えて相手をびびらせるのが楽しかった。
下宿は、ほんとうに、「相変わらず」だった。
おばさんは煎餅をことごとく冷蔵するし、後輩の口の悪さは改善の余地がない。
4月から加わったという新入生とは初顔合わせだったけれど、みんな早くもそれぞれにこの家に溶け込んでいるようで、少し安心した。
毎年新入生が入ってくると、必ず一波乱あるのだ。
今年も例外ではなかったらしいけど、上級生の腐心(あるいは暗躍)によって一段落しつつあるらしい。
人が人と接する限り不満が出てくるのは当然で、でもふくらみ甲斐のない陰口や敵意はあっけないほどすぐ消える。
だから、悪口を、重ねない。ふくらませない。さりげなく、言葉少なに、摘み取りもみ消す。
そこらへんの調節こそが、先輩の役目だ。
そういうことに気づく頃には私も先輩になっていて、そのまま最高学年になってしまって、後輩にどれだけのことが伝えられたのかは分からないまま、あの家を去った。
特に去年、私が高三だった時は、一つじゃ済まないほどの波乱があって、後輩たちはみんな可愛くてしょうがなかったけれど不安の多い毎日だった。
このまま私たちが下宿を去って、下宿は大丈夫だろうか、崩壊しやせんもんか、と卒業間近の1月2月など、受験勉強もそこそこに、高三3人で夜な夜な出口の見えない話し合いをつづけたものだ。
しかし四ヶ月ぶりに下宿を訪れて、それが杞憂だったと知った。
後輩はみんなちゃんと、「先輩」になっていて、下宿を「分かっていた」。
ほっとしたし、単純に嬉しかった。
こうやって何十年も、綿々と続いてきた下宿を、私たちもいちおう受け渡せたんかなー。
相変わらず、みんなで集まって夜中までだらだらと喋りながら、そんなことを考えていた。
岡山に帰っても、テストが消え失せるわけではなく、私は下宿に一泊しただけで、翌日の夜行バスで帰京、午後から近現代史のテストを受けた。
試験の出来は、もう忘れた。い。
その二日後、後輩からメールが来た。
「今日で18.5歳、おめでとうございます!」
それおめでたいのか? とは思ったが、18の誕生日を迎えたときはまだのんびり高校生してたのかー、下宿生してたのかー、と考えると、不思議だ。
たった半年、のくせに。
感覚ももう、ずれてきている。
例えば高校時代は普通に思っていたコンビニまでの徒歩30分が、こないだは酷く億劫だった。
6年かけて培ってきた感覚も、たった半年でしおれるらしい。
しかし東京の猛暑に接すると、すぐまたあの山の中の町が恋しくなる。
九月には絶対もっかい帰ってやる、長逗留してやる、と心に決めつつ、八月ももう半ばを過ぎた。
今週は、後輩ではなく、下宿時代の同級生2人と会う予定だ。
みんな東京住まい。というか、1人は駒場のひとですけども。
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