Archive for September, 2009

堀江敏幸さんトークイベント

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たまには文学企画っぽい話を。

 

堀江敏幸さんの新刊発売イベントに行ってきた。

@青山ブックセンター六本木店。

 

このイベントの話を人にしたら、堀江さんて誰と返されたから、世間的には知名度低いのかもしれない。

わりと近く(といっても調べたら8年前だった)に、芥川賞受賞されてるんですけども。

とはいえ私も、ものすごく執心な読者である自信はなく……、高3の受験直前期にひどく魅了され食事も惜しんで読んでたが受験直直直前期に手放して、それ以来ご無沙汰、という考えてみれば浅いファン歴。

そもそもの出会いは07年センター国語の2番、というありがちな。

ちなみに問題の正答率は自己最低だった気がする。

 

先日文学企画で永江朗さんに取材させていただいた際(文字起こし…)、早稲田の教授つながりで堀江さんの名前が出たのがきっかけで、最近自分の中で再燃している、その流れでの今日である。

本当は、企画とからめて、事前に依頼メールを送っておこうかとか戦略的なことも考えていたのだが、時間がなくて諦めた。

ゆえ単純に一ファンとしての参加となったのだけどもそれはそれで、どきどきするものですね。

 

内容は、40分くらいのトーク+質疑応答+サイン会。トークは、今月中央公論社より発売されたエッセイ集『正弦曲線』装丁にまつわる秘話から、(野球選手の)キムタクの話まで。

 

売り場に堂々と椅子を並べ、かつ座りきれないほとんどの参加者は立ち見、という豪快な会場作りをする青山ブックセンターはあっぱれだと思う。

ガツガツした客のいない、ゆったりした雰囲気の店だからなせる技かもしれない。

しかし、本棚と本棚のすきまから首をのばして、講談社文芸文庫の向こうに堀江さんを臨む50分間というのもなかなかオツなものだった。

履いてくる靴を間違えたとは思ったが。

 

堀江さんは、見た目にたがわずとても穏やかな口ぶりで、あぁ、この人にしてあの文章あり。

しかしそれだけじゃなく、きっと内に濁りも抱えたひとなんだろうと思わせる。

印象的だったのは、終盤にかたられた「正弦曲線の狂気」の話。

1とマイナス1の間を単調にたゆたう正弦曲線は、じつはとても危ういものを秘めているのではないか。決められた枠を突き抜けてしまうのも狂気だけれど、そんなある種の情熱ももたずただただ同じ幅で振れつづける、そっちの方が、恐ろしいこともある。

いつ破綻するか分からない、「不穏な狂気」と堀江さんはおっしゃった。

自分はそういう小説を、文章を、書きたいと。

まぁ理系さん的には、正弦は正弦だ狂ってねーよ、って感じだろうか。

 

また、この『正弦曲線』、章ごとにページが改まらないレイアウトになっているのだが、それも本人のこだわりで、たえまなくきれまなく同じリズムで延々と続く正弦曲線の感じを出したかったのだということ。

日々読み、食べ、見、聞き、触れ、著した、すべてが因果関係で結ばれて自分の作品が成っており、だから始めから全てを狙ってものを書くなんてことはできなくて、先を、見ているようで見ていない、がっちり正視はしないがぼんやり見てる、そういう姿勢をいつも目指している、ということ。

私の言葉じゃ陳腐に聞こえるだろうけれど、そんな話も心に残っている。

 

大爆笑は起こらないが、終始ささやかなユーモアに満たされた気持の良いトークショウだった。

 

そしてぜひとももっとたくさんお話を聞いてみたい。

文学企画の次の取材目標に勝手に決めました。依頼文書きます。

 

あと、個人的には、サインをいただいた時、私の名前をためらわずに正しく書いてくださったのが嬉しかった。

戸籍登録から18年、初対面のひとに、「みゆき」だと間違われなかったことのほうが少ない。

「安弘みゆき」と勘違いされたのは傑作だったが、もはや誰だよって話。

 

数十人規模の小さなイベントだったのだが、帰り際になぜか、立ち読みをしているクラスメイトを発見。

聞けば同じくこのイベント目当てでやって来たとのこと。

なんという奇遇。

こんな身近に熱心な堀江さんファンがいたとは、ぜひとも彼にも文学企画に参加してもらいたいものです(笑)。 画像 007

 箱入りの立派な装丁。

「おかげで値段がはりますが、それは僕のせいじゃない」とは堀江さんの弁。

NINSシンポジウム事前取材**宮下先生

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9月7日。宮下保司先生@東大医学研究棟。

 

駒場1年生としては、五月祭以来?の本郷キャンパス。

おそるおそる医学部研究棟の床を踏み、エレベーターで上階へ。

ガラス張りの「リフレッシュルーム」から文京区の景色を楽しんでいたところに、やはり颯爽と現れる宮下先生。

今回は、より脳密着型、というか、「脳科学」っぽいお話をしてくださるということで、いよいよ知識面での不安を感じつつの取材だったのだが、これも全くの杞憂であった。

先生自身が気を遣ってくださったこともあって専門用語は控えめ、脳科学のあり方・研究の進め方、といった大枠に重きを置いたお話は、私でも充分理解できた、というかとても面白かった。

 

宮下先生が終始強調し、「研究の上でいちばん楽しい」とも語るのは、「日常生活からいかに実験検証が可能なモデルを構築するか」ということである。

脳やこころ(こころ、だなんて全てを一語で片付けてしまうのは日本語の不思議で、例えば英語ではheartmindspiritsoul、などなど沢山のニュアンスを言い分ける)の働きについて知ろうと思っても、そもそもどうやって知ればいいのか。

頭を切り開けば済むというものではないし。

その働きを、限りなく正確に、研究可能・実験可能な形に単純化する。

これが、脳科学者(脳に限ったことではないだろうが)の最大の課題なわけである。

思い返せば松沢先生も、アイの「知能」をはかる方法を大変苦労しながら模索した、という話をしてくださった。

「アイが数字を覚えた」ということと、「アイが1から9まで順番にタッチパネルを押せるようになった」ことは、本当に同値かどうか。どこかに落とし穴はないか。

宮下先生の話でいえば、Feeling Of Knowing=「知ってる気がする、ぱっとは思い出せないけど」というのは、脳のどういう働きからくるのか。調べるには、まず「FOK」を実験可能な形にモデル化しなければならない。絶対抜け目がないように。

 

こういう課題・問題に取り組むのが、とにかく楽しいのだと、宮下先生はおっしゃっていた。

そしてこれらを解決するためには、取り敢えず色々試してみて、アイデアを出して、「Positive break through」を目指すことだ、とも。そういうbreak throughはだいたい、「周辺」から来るから。そういう意味で脳科学は総合科学なんですね、と繰り返し語られたのが印象的だった。

 

それから、松沢先生との対比で、動物実験の是非についての話があったが、それも個人的に色々と考えさせられた。

屠畜企画でしばらく前に訪れた遠藤先生の話も思い出しながら、今も、考えている。

事実と理想と現実がまざりあうところなだけに、難しい。

 

案の定、予定時間を大幅にオーバーしての取材だったが、もちろんその分、学んだものも多い。

先生の研究についても、先生自身についても。

人並みなまとめ方ではあるが、夏休み、家でだらだらごろごろして終わることもできる4時間も、機会さえあればこんなに濃いものに変えることができるのだ。

大学生というのは、なんとも贅沢な生き物だと思う。

NINSシンポジウム事前取材**松沢先生

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とても今さらながら、NINSシンポジウム事前取材に関して、簡単に記事を。

 

当然、NINSのシンポに関わるのは初めてだったわけだが、実に色々なものを見せられ、そのぶん考えさせられた2日間だった。

 

まず、9月2日、松沢哲郎先生@霊長類研究所。

いつも通り過ぎるばかりだった名古屋に、人生で初めて降り立つ。

地下鉄と地下街が発達している、以外はどことなく我が地元、広島に似ているなぁと感じた(広島は三角洲由来の街ゆえ地盤が弱く、地下を掘り起こせない)。

駅や街の雰囲気、道路の走り方など特に。

と、故郷に想いを馳せながら、シロノワールなど賞味しつつ、初名古屋に満足した翌日。

 

早朝から名鉄に乗って犬山市、霊長類研究所へ。

タクシーから降りた瞬間、すごい猿の鳴き声がする。若干、それらしい臭いもする。

そこへ松沢先生が颯爽と現れて、いよいよ長い取材の始まりである。

 

早速、チンパンジー・アイの勉強部屋へと通される。

エレベーターでやってきたアイを見ての感想は、やはり、「でか!」だった。

昔からテレビでその存在や「天才」ぶりを見知っていたとはいえ、現実に、雄叫びをあげて目の前に座るアイには、相当の迫力があった。

松沢先生もおっしゃっていた通り、我々のチンパンジー(ひいては霊長類全体、動物全体)に対する知識や感覚が、いかにメディアに捏造されたものであるか。最初から、思い知らされる。

 

それからの10時間は、驚きと納得の連続であった。

アイとアユムの勉強風景を見学したり、高いやぐらの並ぶサルたちの遊び場をながめたり、350円で大変美味しい定食をいただいたり。それから部屋で先生のプレゼンを聴いての質疑応答、などなど。

いわゆる「理系知識」の著しい欠如を自覚している私としては、今回のテーマ「脳科学」に対して、ちょっと身構える部分もあったのだが、それは全くの杞憂であった。

そもそも、私のもつ「科学者」のイメージというのは、自らの知的好奇心のみに動かされ、ただ目の前の課題に取り組んでいる人、という感じだった。偏見を付け加えるなら、ちょっと社会不適応気味の。

しかし松沢先生にしろ、次の宮下先生にしろ、全然そんなことはなくて、特に松沢先生などは、自分の研究・行動がいかに社会に影響を与えるか、というのを常に考えていらっしゃるようだった。

自分の信念、世に伝えたいこと、そういったものをきつく抱えている。

 

チンパンジー研究に関する話や、それに併せて語られた「そもそも研究とはどうあるべきか」という話は、興味深いものばかりだったが(これに関しては他の方の記事を参照ください)、私としては、生身の研究者というのを感じられたのが何よりも大きかった。

 

 

後日、個人的に動物園に行く機会があった。

松沢先生の、日本の動物園批判を聞いた直後だけに、単純に楽しめない自分がいた。

チンパンジーも飼われていたのだが、当然、やぐらなどはなく、一匹一匹が隔離された狭い檻の中、ちょこっと組まれた台の上を走っていた。

説明書きを読めば、「人工保育でそだちました」とある。

チンパンジーの赤ちゃんは母親依存です、絶対に、母親から引き剥がすなんてことがあってはならない。強く言っていた松沢先生の顔を思い出しつつ、それぞれの園で事情はあるにせよ、なんだかなぁーと考えながら、その場を後にしたのだった。

そういうことを考えられるようになっただけ、マシかもしれないと、思いつつ。