2007,2008年度の見聞伝,2005,2006年度のページSCI(サイ)へのリンクです。 kenbunden2007-2008 SCI
2010年度《見聞伝 駒場祭特設ページ》
伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

同じものなのに、人によって違う!?

同じものなのに、人によって違う!?伊藤さん 例えば、自分なりにコップを頭の中に思い浮かべてください。

僕たちは言われるままに筒状のガラスを思い浮かべた。デザインこそ違えど、それは共通して液体を入れる器だ。

伊藤さん では次に、「自由」を思い描いてみてください。「平等」を描いてみてください。「平和」を描いてください。

なるほど抽象概念を描いてみてもコップや机のように隣の人と同じものには行きつかない。

伊藤さん 「平等な社会を作りましょう」といった時、皆さんの中に違う「平等」が浮かんでしまうかもしれない。こういう目に見えないものをフレーズとしてあるいはキャッチコピーとして投げかけたとき、それぞれ違う受け取り方をしてしまうかもしれない。「平等」という言葉は本当にそうで、モノサシを決めない限り測れないんです。「みんな一律5%の消費税をとりましょう」。これも平等ですし、「いや、お金持ちからは10%、持ってない人からは1%でいいよ」というこれだって平等かもしれない。何かしらその人なりの前提を提示しない限り本来は共有できないんです。言葉というのは、僕らは普段何気なく使っているかもしれないけれど、それをとにかくすり合わせる。もしくは僕の「平等」ってこういう前提でつかっていますよ、ということをちゃんと提示していかないと本当の意味で「伝えたいことが伝わる」ということにはなっていかないんだと思っています。この「言葉に敏感になる」ということが相手と前提を共有していく作業だと思っています。今日まさに僕は「僕にとってのコミュニケーションとは何なのか」ということをこれだけの時間をかけてみなさんに提示しました。おそらく違う考え方もあるでしょうし、もっとこれにプラスできるアイディアもあるかも知れませんが、コミュニケーションという言葉に対する僕の前提というものをみなさんに提示したことになります。

相手と前提を共有するために言葉に敏感になる。それは現代のメディアを読み解くためのヒントでもある。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

第2部 コミュニケーションのコトバ

第2部 コミュニケーションのコトバ

日本語なのに読めない?使っているのに意味不明!?

 

人間である以上コミュニケーションは言葉でするし、日本人である以上それはだいたいが日本語だ。つまり言葉とはコミュニケーションにとっての前提なのだ。スクリーンには二つの言葉が映し出された。是非読んでみてほしい。

1、行火2、四十八願

答えは「あんか」と「よいなら」。ちなみにゼミ生は両方誰も読めなかった。小型の暖房器具と地名を引いて何が言いたいかと言えば、これらが日本語にも拘らず音として発音することすらできないということだ。アルファベットの言語は基本的に特殊なものを除けば大半が意味を知らずとも音にできる。ここが僕たち日本人の前提となるポイントだ。もうひとつの問題は母国語なのに意味がわからないということだ。意味がわからない、というか単語の指すニュアンスはわかっているし適当なタイミングで使うこともできるのだが、いざその言葉を説明しようとすると言葉にできない。伊藤さんは「サスペンス」という言葉を例に出した。

【サスペンス】「ドラマとかで人が殺されてキャー」「ハラハラする」「緊迫した事態」suspense ⇒ suspender(ズボンの吊り) ⇒ 心を中吊りにしてフワフワの状態にする

西洋の言語は割とロジカルにつくられているらしい。僕たちの使っている二字熟語の大半は、明治以降その西洋から輸入されたと言われている。その時代の日本人がわからないなりに無理をして漢字をあてがったのが今の言葉だから、例えば次のような事態が起こることもある。

ループしていく言葉達。

伊藤さん 僕たちはこれだけそれぞれの言葉の意味を理解してはいませんが、ポジティブに言えば「それでも僕らはつかいわけてる」んです。使い分けているんですが、ここで大事なのは、特に漢字と言うのは象形文字だったり、日本人は音に非常に敏感だと言われていたりするわけで、僕らは言葉をイメージでとらえているんですね。これはみなさんが自分で理解する分にはそれで構わないんです。けれども、言葉というのはみなさんが「想い」を伝えたい時にも使っているツールなんですね。ここで、まさにミスコミュニケーションが発生する可能性があるわけです。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

そんなところで走っちゃダメ!

そんなところで走っちゃダメ!

どこにでもある。

ミスコミュニケーションの実例として伊藤さんはある公園のスロープの話をした。「障害者の方にももっと公演を利用してほしい」という行政の思いがあり、ある公園にスロープが設置され右のようなマークが付けられた。ところが障害者の方があまりスロープを利用していないことが判明する。実際、調査をしてみるとあるエピソードが浮かび上がった。ある障害者の方が道を通ったとき、親子連れがいて幼い子供が無邪気にスロープを駆けていった。その際、母親が「そこはあなたが通る所じゃない、あなたはちゃんと階段を歩きなさい!」と子供を叱った。これを見て、その障害者の方は「そうか、子供が使っちゃいけないようなところを私たちはあてがわれているのか」と感じたそうだ。そもそもスロープを利用するのは障害者のみならず妊婦や高齢者もいるはずである。考えるべきはスロープのマークが何故これではいけなかったのか、ということだったのだ。もしこのマークを単に大きくオシャレにしたならそれは全く逆効果だったということになる。

伊藤さん まず相手の心の動きに自分がどうやってタッチするか。その心の動きに対して何ができるかを考えるのがコミュニケーションなのです。

ここまで話して第一部が終わった。要約すれば、「コミュニケーションはインフォメーションでもロジックでもない。相手の前提を考えて伝え方を変えていくこと、相手の心の動きに対して何ができるのか考えることだ。」だんだんわかってきた。つまり、好きなあの子に伝えたいことがあるなら見た目を着飾る前に、何で今のままでは付き合ってもらえそうにないか、考えることから始めないとならない。性格か、趣味か、見た目か。それを考えてから行動すべきなのだ。ただ、相手が好きなあの子のただ一人なら良いのだが、見聞伝が発信される場所はインターネット、相手は不特定多数になっている。こんな時、どうすればいいのだろう。その話は第3部へと引き継がれていく。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

「火事だ!」で心はどう動く?

「火事だ!」で心はどう動く?

伊藤さん じゃあコミュニケーションの課題ってなんなのかと言った時に、突き詰めていくと「心の動き」のことなんです。基本的に僕らができることというのはこの相手の心の動きに対してどういう風にその課題を解決していくのか、ということです。怒っている恋人を、どうしたら怒っていない状態に変えてけるのか、それを考えるのがコミュニケーションなんですね。

伊藤さんは東京外国語大学の大学院『平和構築・紛争予防コース』で教鞭をとっている。(その内容についてはこちら(立花ゼミ平和教育班のページ)で別途取材しているので参照されたい。)簡単に紹介すれば、伊藤さんはボスニア・イラク・アフガニスタンなどの紛争当事国からの留学生に対して、「平和構築・紛争予防に活用する広告的コミュニケーションのあり方」について教えている。

伊藤さん なぜ僕が今「ピース・コミュニケーション」をやっているのかというと、学問の世界では紛争分析などのいろんな手法があります。たとえば構造分析といってA族とB族の間で紛争が起こったとき「なぜ紛争が起こったのか」というのを構造的に分析します。資源の分配が偏っていたのではないか、もしくは歴史認識の違いが引き金になったんじゃないか。そのトリガーになったところまで分析することがあります。では僕がそこで何をコミュニケーションでやるのかというと、どんな物事でも、それが起こった時には人の心は動くんです。今ここで火事が起きたら皆さんの心は何かしら動きますね。怖いとか逃げようとか助けようとか。どんな物事も突き詰めれば必ず人の心の動きに行きつくんですね。心の動きが集積して何か物事も起こるわけです。僕が大学でやっているのは、じゃあ資源の分配が不平等であったことでそもそもどういう感情になっていたんだろうか、とか。そこが見えてこないと、分配の仕方を直しただけでも紛争は解決しないかもしれない。それが僕が大学でやっているコミュニケーションインサイトというものです。相手の心の動き、とはいえそれを考えるのは難しい。ふとしたことで踏み誤ればミスコミュニケーションが起きてしまう。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

避妊してほしい。

避妊してほしい。

なるほど、伝えようとする相手には前提がある。伝わって欲しいなら相手の前提に合わせて伝え方を変える。では「前提を考える」とはどういうことなのだろう、どうやって相手の前提を読み解けばいいのだろう。今度は「AIDS予防キャンペーン」を例にとっての説明が始まった。

あるNPOがアフリカで広報用のパンフレットを使ってAIDSに関する啓蒙活動をしていた。しかし、あまり効果がなく、さらなる対策をしたい。どんなアイディアが良いだろうか?

伊藤さん こういう課題に直面した時には、アイディアを思いついた瞬間にそこから離れられなくなっちゃうんです。

例えば、こんなアイディアが挙がってくる。

ポスターをオシャレにすればいいんじゃない?(一番よくあるらしい)
コンドームのパッケージをメチャメチャかっこよくしよう!
テレビCMで啓蒙しよう!
コンドームの使い方を教えるイベントを開催したらどうだろう?
有名人を読んでチャリティーライブをやろう!(伊藤さんは一番ダメなパターンと言った)

伊藤さん どれもお金をかければ何かしら効果はあるかもしれません。でも僕らの仕事はコミュニケーション、課題を解決することなんです。それを考えて大事なことはなんだったか。「効果がなかった」ということです。なぜ効果がなかったのか、どうして伝わらなかったのか。これを考えなければ、コミュニケーションの仕方は決められません。

パンフレットが読みにくかった ⇒ デザインを変える
パンフレットの存在を知らなかった ⇒ 流通の方法を変える
AIDSを怖いと認識していない ⇒ 知識を伝える
コンドームの使い方がわからなかった ⇒ イベントをひらく

もちろん、デザイン的に優れたデザイナーを入れればある程度の認知度は必ず得られますし、見聞伝も良いクリエイターを使えば普通に出すよりは読んでもらえるものになるかもしれません。でもこういう問題ってデザインとかだけで解決できないことってたくさんあるんです。そもそも存在を知らなかったんなら流通を変えるしかないですよね。なんとか目に触れるように流通の仕方を変えない限りいくらオシャレにつくってもそれは相手には伝わりません。こういう風にコミュニケーションの課題によって表現方法は僕らの現場でも変わってきます。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

虹は黒い!?

虹は黒い!?

相手が何を前提にしているのか、それを読み解くことがまず大事と言う。例えば、と言って伊藤さんが挙げたのが「虹の色」だ。御存知だろうか、日本人は7色と当然のように思っているが、他の国ではそうでもない。

日本・・・7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)イギリス、アメリカ・・・6色(赤・橙・黄・緑・青・紫)メキシコのマヤ族・・・5色(黒・白・赤・黄・青)かつての沖縄地方・・・2色(赤・黒もしくは赤、青)

また、具合が悪い人の顔色も国によって表現がまったく異なる。(調べてみてね!)この種の先入観は様々な場面で存在する。「ヨガの先生はベジタリアン」「モンゴル人は馬に乗ってる」「お坊さんは健康で長生き」「韓国の美人は整形」「世界はひとつ」・・・。

伊藤さん 他人というのは自分と違う前提を持っている。自分と相手の世界は決定的に違うんです。違うからこそすりあわせていく意義があるし、コミュニケーションをする意義があると僕は思っています。確かに、「私」という人間を決める要素はたくさんあって、その組み合わせで個性というものが生じる。年齢、性別、地位、国籍、宗教、知識、教養、趣味、心理、経済、政治・・・。

伊藤さん コミュニケーションというのは、できるかどうかは別として、これだけいろんな要素が組み合った中から「どうやってその人に伝えるのか、伝わるのか」ということを、考えることなんです。つまりコミュニケーションというのは、自己主張ではなく、相手の前提に合わせて自分を伝えることです。もちろんそれは自分を無くせということではありません。言いたいことは自分にあっていい。だけど相手の前提に合わせて自分の伝え方を変えていくんですね。一番皆さんが普段やっていることで言えば、服装がそうだと思います。当然結婚式場に行けばそれに合った服を着ようと思うでしょうし、お葬式だったら喪服を着ます。それは自分の着たい服を自分で買っているんですけど、「今日はどういう服装が適するのか」ということを日々みなさんは考えているんですね。コミュニケーションとはそれに近い行為だと思っています。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

あなたの「前提」はなんですか?

あなたの「前提」はなんですか?

ここで二つの二択問題が示された。あなたならどちらを選ぶか、そしてそれはどんな理由でか、考えてほしい。

Q1.空腹でパンを盗んだ男をどう処罰する?選択肢A「見逃しては他に示しがつかない。社会のルールとして処罰すべき」選択肢B「餓死寸前に追い込んだ社会に原因がある。そちらを追求すべき」Q2.急な仕事とデートの約束、彼氏と彼女どちらの主張が正しい?彼氏「仕事をおろそかにしたら、彼女と結婚して養っていけないよ」彼女「約束をすっぽかすなんて。この先もきっと同じことが続くわ」

どちらを選んだだろう?どちらも正しいような、彼氏の気持ちも彼女の気持ちもわかるような、判断が難しい。次にスクリーンにはもうひとつの問いが映し出された。

どっちだろう?

伊藤さん これは非常に簡略化したものですが、Aを選んだ人は形を重視して、Bを選んだ人は色を重視してそれぞれ選んだのです。つまり、選んだモノサシ、自分の基準というものがあるんです。この基準が普段はわからない。泥棒とパンの例で言えば、AもBもロジカルには正しいんです。でもコミュニケーションはプレゼンテーションとは違うんです。

ロジックとは?

僕らの世界で言うロジックというのはこの図のとおりです。「オマエのことを大事にしたいから働かなくちゃいけないんだ」というのは彼氏にしたらロジックとして100%正しいわけです。ただし、この図の中に一つだけロジックじゃない部分があります。そう、Aの部分。出発点のAというのはまったくロジックじゃない。ある物事に対して自分が思考を出発させるその瞬間というのは基本的にはロジックじゃないんです。そのスタート地点というのは、個性かもしれないし価値観かもしれない。そこでコミュニケーションにとっては、この『前提は何なのか』ということを考える、それがすごく大事なことだと僕は思っています。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

どうやって謝れば伝わるの?

どうやって謝れば伝わるの?

ここからが本題だと言い、伊藤さんは「謝罪」を例に挙げる。謝罪の言葉は「ごめんなさい」だ。しかし僕たちはこの気持ちを伝える相手によって言葉を変えている。例えば親しい友人なら「わりぃ」、お客さんなら「申し訳ございません」、恋人になら言葉にせずアツい抱擁か。ともかく、表現は、相手によって伝え方が変わる。さらに言えば、その言葉をどんなツールで伝えるかも変わってくる。手紙で言うのか、絵文字も付けてメールで送るのか、電話か、それとも会って伝えるか。僕たちは無意識のうちにでも意図的にこのツールを使い分けている。

伊藤さん これが、僕らの業界で言う、『メディア』です。同じ情報だけれど、何で伝えるかによって伝わり方って変わっちゃうんですね。つまりコミュニケーションというのはインフォメーションではないんですね。『伝える』というのはインフォメーションです。何か一方的に情報としては発信している。だけど伝わらなかったのには必ず理由があるわけです。『伝わる』というのは相手に到達することなんです。

ではその到達する場所とは、僕たちが伝えようとしている相手とは一体何なのだろう。

伝えたい、見聞伝 2009.7.13 | by admin

伝わるように、伝えるには。伊藤剛さんに聞いた。

イケメンには勝てない。街中で、キャンパスで、合コンの席で。パッと見て女の子が「話しかけたい」と思うのは、ストスナ並みにイケてるファッションセンスのイケメンだろう。つまり、第一印象がイケてないと次のステップ、中身が見てもらえない。僕たちのやっていることもそういうことだと思っていた。

コミュニケーションという分野にまつわるありがちな誤解として、「カッコ良くしたら」とか「お洒落にすればいいんじゃないか」というものがあります。

伊藤剛さん

そう言って話を始めたのは、伊藤剛さん。縁あって立花ゼミの場で出合い、その「伝える」という行為へのこだわりに魅かれこの場に至る。「伝えるプロ」がイケメンを否定する。ここから伊藤さんによるコミュニケーション論の授業が始まった。

第1部 コミュニケーションとは何か

広告なんて、覚えてない!?

 

伊藤さんは広告代理店勤めを経て、自分で『ASOBOT』というクリエイティブ会社を立ち上げた。その実態は、PRや広告・空間デザイン・エディトリアルと多岐にわたる。伊藤さんは、広告とは「課題を解決するためのコミュニケーション技術」で、そこがアートとの違いだと言う。どういうことか。実は伊藤さんは前もってゼミ生にある「課題」を出していた。右のシートは至ってカンタンなつくりで、自分の長所と短所を思いつくままに列挙させるものだ。授業開始前にゼミ生に埋めてもらった。これを使い、伊藤さんはゼミ生を指名して発表させた。「エロい」「八方美人」「運動音痴」「背が低い」「自虐的」「関西弁」「UFOキャッチャーが得意」「PC弱い」「彼女ができない」などが挙がる。数人に挙げさせた後、伊藤さんはそのうちの一人を指して「この人の自己PRを思い出せるだけ言ってごらん」と言った。ゼミ生がみんなで答えるが、ついさっきのことなのにすでに記憶はおぼろげで、スムーズに出て来ない。

伊藤さん まずだいたい覚えていないと思います。これが広告の前提です。つまり、「広告を見よう!」と思ってメディアを買う人はいない。広告を読むために新聞を、雑誌を買う人はいないんです。普通は別のものを読むために買って、その間に差し込まれているのが広告なんです。その中でどうやって読んでもらうか、読み手をキャッチしていくのかという技術を培ってきたのが広告的コミュニケーションです。広告というのは時間的・場所的な拘束が一切できないし、誰も聞く義務なんてないんです。これが、皆さんが教室の中でやってること、すなわちディスカッションと決定的に違うことでして、目の前に人がいて「さて、このテーマで話しましょう、はい席について、始め」というものではない。そういう中でどうやって相手に伝えたいことを伝えるようにするのかというヒントを今日はお話ししたいと思います。

見聞伝を発信しているインターネットの世界にも同じことが言える。ネット記事は時間的・場所的な拘束ができない。でもまだ腑に落ちない。街の雑踏、有象無象の溢れる中で目を惹くのはやはりイケメンじゃないの?

伝えたい、見聞伝 2009.6.24 | by admin

雑誌をつくろう!

見聞伝を雑誌にする!?
僕たちの活動の跡を形として残したい。
そんな想いで始めてみた。
伝え手として僕たちに必要なこととは。
コミュニケーションと向き合ってみる。